NPO法人 三千里鐵道 

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2月27日に『李時雨さんを囲む会』を開催します。 再掲

2011年02月22日 | NPO三千里鐵道ニュース

国家保安法について瞑想する李時雨氏



日時が迫ってきましたので、再度、掲載します。

ぜひ多くの方にお伝えくださり、ご参加いただきますようお願いいたします。

なお、囲む会終了後は、懇親会も予定しております。こちらにもご参加くださいね。


………………………



2月27日に『李時雨さんを囲む会』を開催します。ぜひお集まりください。

非武装地帯や対人地雷の写真家として広く知られる李時雨さんが、日韓民衆連帯全国ネットワークその他の団体が主催する『朝鮮半島の準戦時状態に終止符を! 2.26集会』で講演をするために東京に来られますが、名古屋の方にも来て下さることになりました。
それで、急きょ、『李時雨さんを囲む会』を開催することにしました。

2000年の6.15南北共同宣言は、東北アジアに和解と平和、対話と協商の時代を切り開きましたが、2007年の10.4南北共同宣言は、その上に立って、西海(黄海の朝鮮沿岸部)を平和の海とし、様々な協力事業を行うことを約束しました。
それが、2008年に李明博政権によって一方的に反故にされ、その延長線上においてせっかく核心的な合意を見たはずの六カ国協議も宙に浮いてしまいました。
そして昨年、平和の海になるはずだった西海では、いまだ真相究明がなされていないというほかない天安艦沈没事件が発生し、11月23日には民間人までが犠牲になった延坪島砲撃事件が発生し、大規模な韓米合同軍事訓練が行われ、そこに自衛隊も参加するという事態に至りました。
まさに戦争の海と化してしまったということができるでしょう。

このような情勢を私たちは確かに共有したいと思います。
そして、この日本の地で何ができるのか、真剣に考えたいと思います。
 
 ※当日は、李時雨さんの講演をいただきながら、質疑とざっくばらんな意見交換を中心に進行いたします。
 ※囲む会終了後、交流会をもちます。こちらにも是非ご参加ください。

日時  2月27日(日) 午後2時~午後5時
場所 名古屋都市センター 14階 第1会議室
      名古屋市中区金山1丁目1番1号 (金山駅南口 すぐ右の高い建物です。)

主催  NPO法人 三千里鐵道
共催  不戦へのネットワーク


※特に集会チラシは作りません。この内容をメールやFAX、電話などで広くお伝えいただきますようお願いいたします。

ヤン・ヨンヒ監督の危険なドキュメンタリー、<グッバイ平壌>

2011年02月22日 | NPO三千里鐵道ニュース
★また映画の話し。この作品はまだ見ていないが、統一ニュースが酷評している。大学のずーと後輩でもあり、在日の文化活動にも関わり、逢ったこともあるので、どうもやりきれない気持だ。韓国の進歩の最先端を行く言論から、こう酷評されるとムラムラと反発すら感じてしまう。…それでもぼくは監督の深層に疼く心情を信じたい。
分断が続けば続くほど、このような不幸は再生産され続ける。北であれ南であれ、分断維持を必要とし、そのことで地位と富を享受する輩は、それこそ巨悪として糾弾されるべきであろう。NAMSANG


ヤン・ヨンヒ監督の危険なドキュメンタリー、<グッバイ平壌>

2011年02月21日(月)チョ・ジョンフン記者whoony@tongilnews.com



北を祖国に選択した在日朝鮮人は、自身の家族を祖国に送った。 その理由は様々だが、彼らは家族を祖国に送りながら統一祖国の夢を抱いていた。

<グッバイ平壌>を作ったヤン・ヨンヒ監督の家族もそうだ。

帰国した(送還された)9万人余りの在日朝鮮人が乗った船に、彼女の3人の兄さんもいた。

そしてヤン・ヨンヒ監督の兄さんらも、北朝鮮の社会に適応して'北朝鮮の人'として生きた。

もちろん彼らが幸せに暮らしていると決めつけることはできない。 しかしまた、不幸の連続を生きたと判断をすることもできない。

今回の映画でヤン・ヨンヒ監督は、北に住んでいる家族に対する懐かしさを越えて、'不幸な人生'という烙印を押した。

前作<ディア平壌>が平壌にも人が生きている、と描いた彼女は、<グッバイ平壌>では完全に違った。 <ディア平壌>は理念色を除去したが、<グッバイ平壌>は理念を介在させたのだ。


監督の意図はどうであろうが北朝鮮を嫌う人々には、格好の広報手段になる。 すでに平壌を'グッバイ'した人々にも、同じ民族として共に生きて行くことを永遠に'グッバイ'させてしまうように…。

もはやこの映画は、類型の異なる現代版'反共'映画になった。

ヤン・ヨンヒ監督は
"今回の映画は、政治的なグッバイだ。 私に家族に会うなという平壌に対するグッバイだ。 家族と私の新しい関係が始まる"としながら、平壌に対するアンニョンをした。

監督は<ディア平壌>を作った後、北朝鮮政府か朝鮮総連機関かは分からないが、北朝鮮入国を禁じられた。 そして作った作品が<グッバイ平壌>だ。

家族が生きている平壌にこれ以上行けず、彼女の持っているあらゆる不平不満が映画に注がれたようだ。 不平の対象は家族ではない。北朝鮮政府に向かった自身の批判がストレートに発散された。

1995年から10年間余りとったというフィルムが、特殊な家族史の話を越えて現代版'反共'映画に様変わりした点が惜しい。