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昭和の依存症から1

2014年07月13日 05時30分19秒 | ちょっと俯瞰
子供のころはパチンコ屋の台に椅子など無かった
親に連れられて行って落ちている玉を拾って背伸びしてはじいて時間をつぶして
遊んでいた。
当時掛かっていた曲は演歌か軍艦マーチ
あの頃は一々弾かないと玉が出て行かず、一発の行方を落ちるまで見てから
次を入れていたので結構楽しめた。

後はゲーセンのピンボールが楽しかった。
だが、金が掛かるし裏ワザで台を持ち上げてドシンと落とすとテルト状態に
なり3ゲームくらい上がって(この辺は当時のガキでなければ分からないだろうが)
ただでゲームが出来た。ただし、店員にばれたらダッシュで逃げると。

やがてものぐさな自分は家で木の台に釘を打ち込んでそれを輪ゴムで囲って自制の
ピンボールを作って遊んだ。
これによってゲーセンからは自然と足が遠のいた。

今で言うUFOキャッチャーみたいなものはあったがムキになって実際に
景品を取ってみたら「なんだこれ?」
ショーケースの中にある商品は5割増しで魅力的に見えるという教訓は今でも
生きている。

後楽園のコインゲームもクレーンが動いて押し出されたものが落ちてくる台が
今でもあるがいい加減飽きる。せいぜい中学生まで惰性でやっていたが昭和の
いかにもアナログな機械でお馬もギコギコしながらレースをする方がゆったり
して面白かった。

パチンコ屋にしてもゲーセンにしても電子音のみが響いて却ってストレスが
溜まりそうなので子供連れの寂しそうな親子連れが居たらUFOキャッチャーで
景品を取って黙って渡して去ることにしている。

一人専門カラオケが出来たらしいので一人専門パチンコもあると良いと思うが



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