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オリンピックの記憶

2019年10月31日 03時38分22秒 | 日記
 順不同で思いつくまま。
まず、メキシコ五輪について。
開催地がメキシコシティに決定した時、識者から
「あんな高地でスポーツの祭典をやるなんて選手の健康を考えてないのか」
と相当の批判あり。

1964、東京五輪。前夜は土砂降りの雨。
朝には快晴、ただ開会式の演出で土鳩を含むハトを平和のシンボルと
して一斉に飛ばした為に選手団に大量のハト糞が巻き散らかされて悲鳴が上がった。
平和のシンボルとされているのは白いハトなのだが数が揃わなかったのだろう。
尚、参加国でボイコットして帰国や不参加した国があった事はあまり知られていない。

1976年、モントリオール五輪。
この大会が転機となってオリンピックは完全マネーゲームとなるきっかけになった。
開催したものの大赤字。更にアフリカ勢はボイコットして参加していない。
初めてドーム式のメインスタジアムにする予定だったが工事が間に合わず。

ミュンヘン五輪、これも以降の大会で警備が厳重になるきっかけとなった
テロ事件発生。追悼の為、メインスタジアムへ選手、関係者全員集合が
掛けられたが日本選手団には通達が不徹底で役員とほとんどの選手達は
選手村で独自に黙祷。 君原さんだけは確固たる意志を持った方なので
「同じ選手村という仲間の追悼に何故参加しないのか、他国の選手達は
ゾロゾロスタジアムに入って行っている」と知り得る限りただ一人メインスタジアムに。

杓子定規な親方日の丸の集合体に人情など入り込む余地は無いと露呈した醜態であった。

モスクワ五輪、1980年。ジミーカーター米大統領の判断により所謂西側諸国が
ボイコット。大会マスコットのミーシャが涙を流した演出が印象深い。
日本に関しては、この大会の独占放送権をテレビ朝日が獲得しており当初は鼻息荒く
「他局には3分の映像提供だけする」と息巻いていたが目論見は崩壊したという埋もれた歴史がある。

1984年、ロス五輪。オリンピック渇望症気味だったのに加えて今度は東側
社会主義国家がボイコット。
必然、ライバルの居なくなったマラソンの瀬古。水泳の長崎らに異常な取材攻勢が
掛かり常軌を逸した期待が選手達に掛かる。

さて、2020年の東京オリンピック。大人達が様々な揉め事にどう対処して
開催を迎えるのか、子供たちは見ている。 
そんな子達世代に「勝った負けたと騒ぐじゃないぜ、後の勝負が大事だぜ」と
歌い継いでおきたい。
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