表丹沢・塔の岳と私
「一番好きな山」
だけど
「ただ登るだけでは、つまらない山」なんだよ
・
「身近である上での性」なのだろうか!
2024/02/24
布団から手を伸ばし恐る恐る目覚まし時計を探り当て、目を細めて6時を確認した。昨夜決めていた事を脳みそが思い出したようで自然に目が覚めた。首元から入り込んできた冷気に耐えて、もそもそと布団から這い出しパジャマ姿で目的地に向かう。玄関の鍵を開けて「塔の岳」を眺望できる台所壁面に背を向けた。素足のサンダル履きは霜焼けにこたえるが、顔を上げると思わず口元が緩んだ。塔の岳が新雪をまとい「来い」と読んでいる。
全身を覆っていた冷気はその瞬間に吹っ飛んだ。踵を返して、パンを頬張りながら速攻でバックパックに荷物を投げ入れた!
風がなく背中から陽射しの温もりを感じながら塔の岳山頂で愛用カメラRのファインダーを覗き込んでいる自分がいる。時刻は10時前だ!「パジャマ姿から4時間も経っていないではないか」 この何時も隣に居る距離感が“塔の岳”、そう君の大好きな所だとにんまりしながらシャッターを押したが、写真の構図が何時もと同じで代わり映えしない事に不満を感じる。
これこれ、何処を撮っても同じ構図になってしまうつまらなさ……
どうにかならぬかと、最近スリムになったウエストをよじ曲げながらレンズに写る被写体を走らせるがウエストの振り子の運動は留まらない。ウエストの動きに共振したのかレンズを支えていた左手がズームリングを回し始めるがそれも留まる気配がない。挙げ句の果てに口元までも共振したのか「ふー 」と、ため息が漏れた。
それでも、今日は何時もと違うのだと気分を変えてウエストの動きを停める。シャッターを押す人差し指は満足げに上下して白銀の世界を捉えた。
そうそう、今日は新雪風景を観るために塔の岳を駆け上がってきた。気合いを入れてきた割には写真の成果が何時もと変わらないので、焦りと共に少しばかり日頃から思っていた塔の岳からの眺望についての不満が自分の中から湧いてきてしまった訳だ。「我が儘を言える間柄だよね!」と心の中で呟き、勘弁してもらう。
執筆しながらふと心をよぎる物があった。登山歴40年で初めて怪我という物をした。歩行中滑って出血を伴う強烈な打撲怪我をしたが、それは感謝の気持ちを忘れたのが起因ではないのだろうかと…… 心を入れ替える。
「生まれたときから麓に住んでいる私に
折に触れ、声を掛けて頂き
ありがとうございます」
これを機会に表丹沢と対峙してみることとした
本タイトルに合う写真を探したところ、
「これだ!」
暫しこの下記写真の話を……
最初見たときは暗い写真でスルーしていたが、おでんの大根のように時間が経つに連れて凄く気に入ってしまった。目をつぶってがむしゃらに降ったバットからホームランが飛び出したような出来具合である。嫌々、満塁ホームランですね!濃淡のない、この手の写真はまともに撮れたためしがない。黙々と歩く後ろ姿の登山者が、異次元の世界に吸い込まれるような風景となった。満足。満足。大満足!
塔の岳山頂に向かう(登場人物はイメージ) img4471
前置きが長くなったが、「表丹沢・塔の岳と私」という題で、生まれたときから隣に居る「表丹沢・塔の岳」への想いを今回2/24登山日記と共に書き込みたい。(前編・後編の2編成)
前編「大好きなわけ」
目次
- 生まれたときから隣に居る山
1.1 生まれは
1.2 小学校の遠足
1.3 図工の時間
2. 大好きは永遠に続くだろう
2.1 朝刊と丹沢は一日の糧
2.2 表丹沢が見える場所は私の安全地帯
3. もしかして眺望の悪い山なの
3.1 目的がないと登らない
3.2 ファインダーを覗くと
3.3 ならば眺望を分析してみる
3.4 では表丹沢を分析すると
4. 丹沢山系写真集考えているが
5. まとめ
後編「隣に居る塔の岳登山日記2/24」
目次
1.日程
2.メンバー
3.今回の登山動機は新雪
4.体調について
4.1 ふくらはぎが固まる
4.2 怪我について
5.珍記録について
5.1 腰を降ろさず
5.2 飲食はポカリのみ
6.山頂からの景色
時間軸と共に
7.まとめ
では、目次に沿って……
前編「大好きなわけ」
そろそろ、先日行ってきた塔の岳の登山日記を書こうかと頭の中を覗き込む。すると、下山に要したとてつもなく退屈な時間をつぶしてくれた“あるひとつの考え事”が走馬灯のように蘇ってきた。
生憎この頂上からの下山ルートは、風景を楽しみながら降りるような登山ルートではないので飽きる!飽きる! 兎に角、高度を下げるために足下に視線を集中させ、足を投げ出すように運ぶ。一寸でも早く車のシートに腰を落ち着けたいのだが、そのドアを開けるには腹ぺこになるほど歩かねばならない。それ故、歩行中に自然と物思いにふけるのだが、今回は「何故、塔の岳に登るのだろうか?」と頭の中が騒ぎ出した。
ならば日頃の想いと共に騒ぎ出した頭の中を文書化してみるかと、本前編の作業に取りかかった訳だ。
挨拶がてらに麓の登山口から見た写真となるが、左奥が塔ノ岳となる。
Img1788
- 生まれたときから隣に居る山
やはり家から見た「塔の岳写真」は載せるべきだと思ったが、家から撮影した記憶がそもそもない。仕方が無いのでパソコンの電源を入れ思い当たるファイルをクリックする。漸く探し出した写真が家の近くにある公園の桜並木からの表丹沢である。敢えて挿入しなくても良いような写真だが入れておく事とする。
Img1617
視界から近すぎず、遠からずの距離感が、私の心に映る塔ノ岳を七変化させると思う。
「がんばれよ」と言っているときもあれば…
「がんばったな」の、時もある
私の心の中に“あるもの”で解釈されるのだ!
・
ある時は、「こんな時もあるさ」、「調子に乗るな」 とか…
・
私から問いかける時もある。決めかねている時など、心の中で、漠然と「どうしよう」と、思いながら塔ノ岳を仰ぎ見ることもある。解決するわけではないが、ひと呼吸取れる感触が落ち着きに代わる。
1.1 生まれは
私の生まれた所は塔ノ岳の始まり一ノ塔(二ノ塔、三ノ塔……)の麓の東小学校近所の養鶏場の借家で生まれたと聞いている。養鶏場でなくて家畜小屋だったらとんでもない人になっていたかもしれないと子供ながら思ったこともあったかな……
養鶏場は、小学生の頃まで母親方実家のみかん畑に行く途中にあった。出生地だと聞かされていれば興味深く観察していたのに今となっては残念だ。現在、養鶏場は消えているが、私はそこで鳴き声を表丹沢に響かせてお乳を飲んで育ったわけである。それから本町に移り、現在住んでいる西地区に親が家を購入し、教会の幼稚園に入園する。
話の落ちは
「幼稚園は教会」ですね!
イエス
・
話が落ちきれなかったのでまじめな話に
両親に“養鶏場と家畜小屋のヒストリーを話した時の反応”を見たかった
・
小学生の頃、親に話したら、「これからだよ!がんばれ!」と言われただろう
そこには、まんざら顔になっている自分がいる
それでは
この歳になって、天の両親から「これからだよ!」と言われたら
うれしいね
たまらなくうれしいね
1.2 小学校の遠足
丹沢麓にある小学校なので秋の遠足は山歩きと決まっていた。塔ノ岳にも登ったが記憶に残っているのはくだらないことだけしかない。
・山道が赤土で深いU字になっていたことがやけに頭にこびり付いている
・水筒の水を頂上で飲み干してしまう奴がいて「後のことを考えろよ」と思っていた私が居たこと、計画的に水筒の水を飲めずに水筒に沢山の水を残して家に帰る「自分も馬鹿だな」という記憶
・遠足にはPTAの方も手伝いで数人付き添っていたが、子供ながら「大変だな」と感じていた私がいた
そんな訳で、肝心の頂上に上った達成感とか景色への感動など肝心なことは一切覚えていない。遠足としての学業は”ゼロ点”だったということか?
情けなくなったので採点をやり直してみた
無駄な抵抗かと思っていたら
・
“頂上で飲み干してしまった奴”
“大量の水を残したまま帰る奴”
体験したことで
・
今の自分に少しは足しになっているかな
1.3 図工の時間
5、6年生の頃、体育館の裏手に廻り腰をおろして二の塔、三の塔を書くのが好きだった。真正面にそそり立つ三角形が書きやすい形をしていたからだと思う。楽しく良く書いたことだけは覚えているが、残念ながらどんな絵を描いたかは全く記憶にない。小学生だから水彩画となったはずだが……
何を描いても良かった
・
山に興味を持っていた訳でもない
何故山を被写体に選んだのだろうか
銀杏の巨木、木造校舎でも良かったはずだ
答えを出そうと考えたが解らない
・
そのまま風呂に入り考えた
体裁の良い言葉でごまかす事とした
・
生活の一部になっていたからだろう
そう
「生まれたときから隣に居るから」
2. 大好きは永遠に続くだろう
サラリーマン生活に終止符を打ち、ネット上で仕事をしている私には転居と言う言葉は考えられない。丹沢山の伏流水と空気を吸って一生を過ごすことになる。腐れ縁だと言ったら怒られるが、疎遠になるピンチもなかった訳でもない。
仕事の都合で単身赴任生活を送らざるを得なかった時期があったが毎週末帰宅していた。製品の移管と共に、添附品のごとく、関わっていたグループメンバーが丸ごと縦割りで移動した。単身赴任生活の期限は自然と15年先の定年までとなるが、定年延長を考慮すると20年間週末は電車の中で過ごす計算になる。週末は何をされていますかと聞かれた時に、「常磐線電車からの車窓観賞です」とは、さすがに応えられない。自然と生末を考えざるを得なくなる。
そして、4年目を迎えたときにピリオドを打って戻ってきた。
2.1 朝刊と丹沢は一日の糧
顔を洗い、ポストに朝刊を取りに行き「今日の天気はどうですか?」と表丹沢をのぞき込むと、不思議と脳みそがonになり一日が始まる。それは、無事に朝を迎えられた安堵感から来るものだろう。アイコンタク後、踵を返して、抱え得ていた朝刊に目を落とすと一日の仕事が始まる。
2.2 表丹沢が見える場所は私の安全地帯
住めば都と言うが、長く住み続けるほど生活する知恵が増し、住み心地が良くなるものだ。それは、住む環境に対しても順応度も上がるし、強いては人間関係も年輪のように拡充され頼れる方が増えて安堵感が増してくる。その安心できる範囲は、表丹沢が見下ろしている領域となる。
そう、此処に居る限り高枕で熟睡できるのだ!
3. もしかして眺望の悪い山なの
一般的な話になるが、同じ山を何度も登り続けると飽きて登りたいとは思わなくなる。高級食材でも毎日食べていれば箸をつけなくなるのと同じだ。私にとって表丹沢がそれに該当する山だ。
当初その問題は、生理的な問題として済ませようとしたが、中には表丹沢を足蹴に通う方も居る。一般論では片づけられない“山とのマッチング”が生まれ、恋焦がれた人がリピートする。まさしく恋愛と言う奴だろうか…
一度登れば満足する山もあれば
魅力に惹かれ足蹴に通いたくなる山もある
・
どちらの山になるかは個々の登山者の心に潜んでいる
心は
山が立地している景観にも左右される
また、山本来の容姿も影響する
・
やはり
心をくすぐられたまま下山した山は…
「恋に落ちるよね!」
では、表丹沢の景観・容姿が解る写真を載せる事とする。(下記) 中央が塔の岳で右側ピークが丹沢山だ。この場をお借りして、書き込んでしまうが……
驚いたことに、「塔の岳の写真です。」と言った物が私の写真ファイルに無い。被写体にならないからだと思う。それは、容姿の半分が周りの山に埋もれていて、後の半分が平野に面しているために自然とシャッターを押す行為が生まれてこないのだと自分で納得してしまった。
塔の岳は、まさしく撮られる山で無く、周りの景観を観る山なのだ。
だから私は、これから塔の岳の勇ましい容姿の写真を撮る為に、周辺の山を歩き回って構図探しに努力すると決めた。
大山から撮影した表丹沢稜線 Img0674
3.1 目的がないと登らない
表丹沢は、隣に居るので思い立ったら登れる山で無銭飲食できる店といった位置付けである。ところが、無銭飲食し過ぎたせいか食欲がわかないので、味に変化を与える魔法が必要になる。
それでは、登るためにどんな魔法を使用しているか振り返ってみる。
- 朝焼け・夕焼け
太陽が地平線近辺に居るときは光の屈折と大気の温度変化が激しくなる。すると雲がミラクルに踊りだす。この自然現象は何時見ても感動する。
- 星空&夜景
観る時間帯で景色が変わるのでドラマチックである。
- 新雪
雪山に行くまでが大変だが、丹沢はアクセスの良さで登ることができる。しかし、最近では新雪をまとった景色スパイスも舌に馴染んでしまったかな……
- 頂上からの花火の観賞
年に一度、たばこ祭り花火を写真撮影するために登る。夜景の中に、空豆ほどの花火が浮かぶだけなので、気に入った写真が撮れたら登る目的から外れるかな?
- 体調管理
人間ドックの検査項目の一つとして登る。病院では検査できない”身体の衰え”を自身のアナログ的感覚で検査をする。飽きるほど登っている登山コースだからこそ身体の変化を捉えることができる訳だ。登頂に要した時間・疲労度・痛み・息苦しさ・食欲など、自覚によって前回との違いが把握できる。この目的の為にわざわざ登る事はないが、登った時は常に前回との体調の変化を意識している。
相手の知らない一面に気付くと嬉しいものだし、更に引き付けられる場合もある。山も同じで、接する角度を変えれば魅力を感じるのだろう。
「興味がない」と言いながら、
何だか分からないが、いつもそばにいる。
ある事がきっかけで恋をしていた事に気付く!
ある事って?
季節限定メニューとかタイムサービス
・
恋の話じゃなかったの…
「嫌いも、好きな内」と言いますね!
3.2 ファインダーを覗くと
どこへ行こうが必ずカメラ機材(カメラ・交換レンズ・三脚)は持参する。写真撮影にはまってしまい登山と共に楽しませてもらっている。俗に言う「一回登っただけなのに倍楽しい」嫌々、もっと楽しいことがついてくる。
登山を楽しむ
写真撮影&風景を楽しむ
・
帰宅して、写真整理で余韻を楽しむ
登山日記を記述する
・
後日、楽しかったことを写真で振り返る
登山日記で鮮明に蘇させる
・
1回で4倍・5倍楽しめることになるのかな…
ところが、表丹沢さんを撮りすぎた事で構図が同じになってしまい、出来上がる写真に変化がない。どこを切っても金太郎飴といったところだ。同じ所に立って、撮影しろと言われたら出来上がる写真は同じになるが、その写真を変えることができる要素は、自然現象(季節・気象条件・時間など)また動的なものとして動物・野鳥・草花・流れなどとなる。
その要素が、此処表丹沢には少ないが上に構図映えしないのだろうかと個人的に思うようになった。おそらく私の貧弱な品性と個人的相性から来ているものである。
その私個人のひずんだ視点を直せばファインダーから覗いた構図に変化が起こるはずだ。その辺りを次項で考えたいと思う。
3.3 ならば眺望を分析してみる
ここまで個人的にひずんだ能書きを記述してきたが、誰でも同じ山に通い続ければカメラの中の同じ構図に飽き飽きするものではないかと思う。やたらと引っ張らないで生理的な問題と片付けてしまうのも一つに手だが、折角だから何度でも通いたくなる山の特徴と事前の心構えを考えてみる。
- 登る山は容姿が良く、その姿を垣間見ながら登れる山
ちらちら見ながら登れる山は景色もその度に代わるので写真撮影にもってこいの山である。
- 登る山にドラえもんのポケットが付いていること
歩きながら色んなものに出くわすことができる山は飽きることはない。その数ある要素と季節を組み合わせることにより無限の構図が生まれるからである。
自然が豊富である:川・滝・池・池塘・紅葉・お花畑など絵になるところが豊富にある
個性がある:岩稜・火山帯など
- 登っている山からの景観が良いこと
観る山にもなれれば鬼に金棒となる。標高の高い山並みが重なる景観は圧巻だ。
- 登山計画を綿密に立てること
素敵な山行きにするには、最終的にはこれが全てと言っても過言ではない。山の特性を理解して何時、何処に居れば素敵を体感できるか計画を組むことである。
3.4 ならば表丹沢を分析すると
川は登山道から離れているが、お花畑は……
紅葉は……
標高1,500程度なので丸い山並みで……
東京からのアクセスが良いので人気が……
……
……
兎に角、自分に合った楽しみ方を計画することが大事である。
此処まで分析してきてやっと真相を掴んだ気がする。山から遠ざかっていると恋しくなるが、遠ざかるには訳がある。一般的に“私の事情”という奴が行く手を阻む。その事情を克服できる山が「隣に居る山!」で、「着の身着のままでどうぞ」と迎えてくれる。
まさしくこれだ!
4. 丹沢山系写真集考えているが
表丹沢の写真がかなり溜まったので写真集を考えているが、通った割には成果が乏しい。写真集の構成を考えると、これから撮り直しの様な気もしてきた……
【一年を時系列に】
季節要因(雪・新緑・花・紅葉・生物)
催し物(丹沢祭り・たばこ祭り花火)
・
【一日を時系列に】
朝日から始まり夜空まで
・
忘れていた!撮りたい物があった
虹!
日々のジョギング中に1,2回/年見るが、登山中見たことがない
天候が悪いときには登らないからだ
どうする……
誰にでも撮れる写真を集めた物で、俗に言う個人アルバムなのだ。だが、この写真集は世界で一番素敵な写真集と豪語できる。何故ならば、シャッターを押したときの私の想いが写し込まれているからだ。
そう、私だけしか判らない、私だけのアルバムなのだ!
5.まとめ
丹沢への想いを色々な面から文書化した事で、丹沢イメージを鮮明に浮かばせることが出来た点は非常に良かった。
そして、隣に居てくれる事の凄さを思い知った
私の事情も受け入れてくれる
・
もやもやする物がなくなった事で
素直な気持ちで丹沢の懐に飛び込んでいける!
「私だけのアルバムを作るために!」
・
そうだ
“塔の岳の顔”の写真を撮って上げよう
感謝の気持ちを込めて
後編「隣に居る塔の岳登山日記2/24」
前編で纏まりの悪い話をしてきたが、新雪というスパイスの元、隣に居る塔の岳に登った日記である。
花立山荘に続く急騰階段に差し掛かる手前で何気なく左手を仰ぎ見ると、目が釘付けになった。薄化粧した尾根の樹林帯を、ふわふわした層雲がオブラートしているではないか! 「来た甲斐があった」と拳に力が入る。先程まで雲海で包まれた薄暗い登山道の静けさが、更に気持ちを高ぶらせていることは間違いない。
雲海を突き抜けて異次元の世界に飛び込んだ私だが、先ずは景観の良さにほっとする。だが、晴天が故に、景観の主役である樹木にかろうじて噛り付いている積雪・霧氷はふるい落とされてしまう。時間との戦いとばかり足の回転を上げる。実は、お尻を叩く要因がもうひとつある。落ち着かない雲が、雲海の上を歩き回っているのだ。大気が安定していない証拠で、そのうち巨大化して山並みを飲み込んでしまうのではないかと、不安が頭を霞める。
山頂でポカリスエットを手に取る私の影を見つけた。無事写真撮影が終わり喉の渇きを覚えた所だった!
以下、後編に続く