独走状態の大ヒットドラマ「半沢直樹」。いよいよ“後半戦”に突入し、平均視聴率も30%の大台をうかがう勢いだが、素朴な疑問がある。なぜ、いわゆる「主題歌」がないのか――。
過去の高視聴率ドラマは大抵、主題歌も話題になっていたりする。相乗効果で、ドラマの数字も伸びていた。古くは90年代の「101回目のプロポーズ」がCHAGE&ASKAの「SAY YES」、キムタク主演「ビューティフルライフ」(00年)ならB,z「今夜月の見える丘に」、最近なら「家政婦のミタ」(11年)が斉藤和義「やさしくなりたい」などなど。
で、TBSに聞いてみたら、「重厚感のある音楽で皆さまにドラマの世界を感じていただきたいと思い、服部隆之さんに音楽をお願いいたしました」(伊與田英徳プロデューサー)とのこと。
それに演出の福澤克雄氏は、半沢直樹と同じ日曜劇場「華麗なる一族」(07年)でも、服部氏の音楽を使っていた。確かに、チャラチャラした主題歌、挿入歌がないほうが、重厚感もテンポも出る。芸能評論家の肥留間正明氏が言う。
「これまでのドラマは、レコード会社とタイアップするなど、主演俳優の曲を主題歌にしたものが多かった。しかし、半沢直樹はそうした制作サイドの都合ではなく、視聴者のためのドラマ作りにこだわっている。それが功を奏したのだと思います。主題歌がないことで、一見地味ながら実力派俳優たちの演技をしっかりと見られるし、引き込まれていく。裏のない『正統派ドラマ』だからこそ受けているのです」
10代、20代なら悲しいシーンでお涙頂戴の挿入歌にグッとくるのかもしれないが、半沢は大人相手のドラマだ。それに、海外のサスペンスドラマのように展開が速いから面白い。ドラマの内容とまるで関係ない、間延びした音楽が流れていたら、堺雅人の小気味よい演技も殺していた可能性がある。最近は、アメリカのTVドラマにも主題歌がないケースが多い。
さらに、心理学博士の鈴木丈織氏はこう指摘する。
「特定のシーンで主題歌が流れないことによって、それぞれの視聴者が自分のタイミングでドラマの盛り上がりを体感できます。感動や憤りを覚える場面が人と違っても問題ないし、ストーリーについていろいろと考えたり、登場人物との連帯感を作り上げる効果もある。もちろん、主題歌があることによる感動も大きいが、主題歌がない方が自らの体験をドラマと重ねやすく、高揚感が強く長く継続する可能性があります」
この先、半沢の手法をまねるドラマが続出するかもしれない。