追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

西暦か和暦か…(3)

2017年08月22日 | 文化・文明
天皇陛下の意向を無視して一代限りの生前退位を取り決めた特例法が成立し今後の焦点は退位日と新元号制定に移った。
和暦(元号)については日本でしか通用しない固有の制度であり国際化・グローバル化の進展に伴い世界に通用する西暦に一本化すべきではないだろうか。
2017年5月のNHK世論調査では西暦より元号を使うべきとした人は29%(1992年比17%減)、そう思わない64%(同16%増)と言う数字を報じるブログ記事があるが真偽は定かではない。
一方2017年7月の朝日新聞世論調査では元号制度を維持すべき75%、否15%、新元号を始める時期、一月一日70%となっていて国民感情から此方の方が信憑性が高い様な気がする。
昭和初頭大日本帝国論華やかなりしころ植民地・軍備の放棄を唱え言論の自由を主張し、戦後総理総裁となった稀有の政治家、石橋湛山氏は元号廃止と西暦使用が合理的であると主張したが、東大名誉教授で歴史学者の坂本太郎氏が「元号使用は独立国の象徴である」等々全く根拠薄弱な持論で熱弁を振るい有耶無耶になってしまった。
(「天皇は祈っているだけで良い」と言い放った平川祐弘東大名誉教授といい文科系の東大名誉教授と名の付く人にはなんと硬直的,お気楽な頭の持ち主が揃っているのだろうか。)
又仏文学者の桑原武夫は同様元号廃止を唱え「人間としての天皇の一生に私達国民の……あらゆる生活の基準を置くと言うのは象徴にふさわしくない」…天声人語引用…と述べている。

こうした、元号表示廃止論を述べると、決まって出てくる反論が、「元号は日本文化、味わいのある時代区分だ。このような日本古来の文化は尊重されるべき」という如何にも文化人的な主張だ。美しい日本、愛国という様などこか胡散臭い発言と共通するものを感じる。
ちょん髷を断髪にし和服を洋服に着換えても日本人であることに変わりはない。時代のニーズで文化が廃れ・変質するのはごく自然な流れ、そこに発展や進歩の可能性が存在する。
柔道や和食、盆栽等々優れた日本文化は少しずつ変質しながらも放っておいても生き残る。
文化や伝統の移り変わりに不寛容なのは保守主義ではなく単純な右翼の発想で美徳でも何でもない。不合理・不便な元号使用は公的機関が率先して中止すべきである。

元号が始まったのは、中国・前漢の時代、武帝が統治の初年にさかのぼって元号を立てた。これは天帝の子たる皇帝(天子)が空間だけでなく時間(暦)をも支配するという思想の表れで、中国帝国のほか、中国との間で「宗主国」と「朝貢国」の関係とされた朝鮮、日本などでも真似してきたものだ。
現在、世界で元号を使用している国は日本だけで、本家の中国でも清朝の「宣統」を最後に消滅してしまった。
日本が国民主権となって70年、天皇が代替わりしたら元号も変えると言う明治時代の遺物の様な制度は、あたかも今尚天皇が国家を統治していると言う誤解を招きかねない。
この様な利便性にとってマイナス、コストも掛かる時代錯誤も甚だしい制度は一刻も早く廃止すべきだと思う。これを廃止すれば公務員の大幅削減に繋がるのではないだろうか。国家総動員による無駄遣いではないだろうか。

元号に関する規定は大日本帝国憲法下の旧皇室典範12条に定められていたが現憲法下の新たな皇室典範ではその条文が削除され根拠が亡くなった。
しかし新憲法下でも国会、政府、裁判所の公的文書、民間では新聞等で慣例的に元号が使用されていたと言う背景や自民党を支持する右翼系団体への配慮もあったのか、1979年(昭和54年)6月元号法が新たに成立した。

法律内容は; 第1項:元号は、政令で定める。 第2項:元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める(一世一元の制)。2項だけの日本で条文が最も短い法律である。
しかし元号の使用を国民に義務付ける規定はなく使用するか否かは組織・個人の判断に委ねられている。


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