1945年8月15日、疎開先の母の実家の狭い納屋の中、母と姉二人を交えた4人でラジオから流れる玉音放送を聞いた。国民学校一年生の身には全く理解できなかったが、母が ”戦争に負けたらしい、やっと終わった”と嘆息混じりに発した言葉だけは鮮明に記憶に残っている。
確かに一家を支え苦労の絶えなかった母にとっては,戦争に負けたことより戦争が終わったこと、敗戦より終戦の方がはるかに意味が大きかったというのはよく理解できる。
日本が連合軍にポツダム宣言を受け入れることを表明し、降伏したのが8月15日、従ってこの日が敗戦の日であり終戦の日でもある。(日本政府が「ポツダム宣言」の文書に調印したのが9月2日、アメリカ、イギリス、フランス、カナダ、ロシアなどの戦勝国では、一般的に9月2日を「戦勝記念日」と定めているが、どちらをとっても大きな意味はない。)
ポツダム宣言は「日本国民を欺瞞(ぎまん)し、之をして世界征服の挙に出づるの過誤を犯さしめたる者の権力及勢力は、永久に除去せられざるべからず」と明記した。
不正義の侵略戦争を断罪し、侵略戦争推進勢力の責任を鋭く追求したものであるが、日本はこれを受け入れたのである。
しかしこのポッダム宣言受諾にも拘わらず、日本の軍部や、政治家、内務省・外務省等の戦争責任者達は戦中・戦後を通じて、退却・撤退を「転戦」、全滅を「玉砕」・「散華(さんげ)」と言い募ったのと同様、敗戦を「終戦」と言って責任逃れをしようとし、それが今でも尾を引いて日本社会の無責任体制を作り出している。
私の母のように庶民感覚としては「終戦」でも一向に構わないが、 戦争責任を明らかにしたくない勢力にとっては当事者意識を覆い隠し、他人事のような響きを持つ「終戦」という言葉は責任の追求を逃れるための好都合な表現だ。
過去を真に反省し 周辺諸国から信頼される国になるためには「敗戦」であることを素直に表すべきだと思う。
わざわざ8月15日を選んで靖国神社に参拝する国会議員達には、何やら選挙目当て等の意図が透けて見え、非を素直に認める潔良さが欠落している点と重ね合わせ誠に醜い姿と言わざるを得ない。
彼等が一様に口にするのは…「お国のために」戦って「尊い犠牲」となられた「英霊」…という言葉である。
戦争で亡くなられた人の命は尊いけれどお国の為にはなっていないし、犠牲は悲惨・無慈悲で無駄であった。
お国の為という言葉は無知な国民を、必要のなかった戦争に駆り出す為の職業軍人達の便利な口説き文句、宣伝惹句に過ぎない。
戦争末期学徒動員等で駆り出された若者はお国のためではなく、自己の責任を回避しようと「戦争責任者が戦争を長引かせるために」利用された無駄な死であった。無理やり特攻隊や人間魚雷で死んだ彼等若者の「戦死」を尊い犠牲、英霊などと表現することなど許されるわけがない。これらの言葉はすべて終戦と同じペテン用語、志願し自己犠牲で死を選んだわけではない。戦後出版された「きけ、わだつみの声」を読んで見れば前途有為の優秀な学徒がどんな思いでいたかよく理解できる。
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