郷土富士…(2) 控え書き
日本語には自然の景観の素晴らしさを称える美しい表現が数多く用意されている。風光明媚、山紫水明、一望無垠 (むぎん)、山容水態、花鳥風月等は一度は目にしたことがあるような気がするが、時に応じて、これを的確に使い分けるには中々骨が折れる。
間違いを恐れず挙げてみれば、「眺望の素晴らしさ」の意味合いの強い「風光明媚」は日本の宝、富士山に与えても異論は出ないだろう。
次に「山紫水明」は「日の光の中で山は紫にかすみ、川は澄みきった風景が清浄で美しい事」を意味するが、これにピッタリなのが、「西の富士、東の筑波」と言われる程、多くの人に愛される紫峰・「筑波山」である。
茨城県の故郷富士と呼ばれるが、富士山は青く見えるのに対し、筑波山は日に映えると紫色に見える事で知られ、万葉集や小倉百人一首(註)、その他数多くの歌や俳句に採用され、芭蕉の高弟・服部嵐雪は「雪は申さず先ずむらさきの筑波山」と詠んでいる。富士山は夕日には逆行となる為、輪郭しか見えないが、筑波山は東京から見通しが良く、麓から山頂まで夕日に紫色に映える美しい全容が見えるのも人気の理由だと言われている。 標高877m、日本百名山の中で最も低いが、雅称(別名)筑波嶺(つくばね)で知られ万葉集にも詠まれる様な由緒ある山であった。歌川広重は江戸の風景画を描く場合、西方の場合は富士山、北東の場合は筑波山を背景に取り入れるのを常とした程である。尚筑波山は(関東富士見百景)の一つに数えられている。
(註);【百人一首;得意だった札二つ……①「筑波嶺(つくばね)の、峰より落つる男女川(みなのがわ),恋ぞつもりて、淵となりぬる」、又富士山の場合は…②「田子の浦に、うち出で見れば、白妙の富士の高嶺に、雪は降りつつ」…が最もポピュラー、 富士山は今も昔も静岡(田子の浦)辺りから見るのが一番美しく、感動的な事が伺い知れる】
河口湖、富士パノラマロープウエイからの眺望
最後に「花鳥風月」、辞書によれば 「自然の美しさ、風情を表わす言葉で、花は春の美しさ、鳥は秋の哀愁、風は夏の涼しさ、月は冬の寂しさを夫々象徴している。又これらの自然現象を通じて人間の感情や心情を表現することも多く、日本人の自然観や美意識を反映している」と記されている。しかし此の言葉,聞き慣れたようでいて実際にどのように使われているのか、残念ながら余り記憶がない。
其れよりもテレビ・タレントのタモリがNHKテレビの「ブラタモリ」 で、人間は老化すると、自然と花鳥風月が好きになるという花鳥風月論を語っていたのがいたく興味を惹いた。曰く、人は初老に達すると最初は花など植物に魅力を感じ、花を愛ではじめ、更には季節の移ろいを感じるようになる。そして、その時期を過ぎると、今度は鳥にも興味を示しはじめる。身近な鳥に対して何となく愛情を感じ、鳴き声、飛び方等の違いに詳しくなり、庭に巣箱を置く人も居る。鳥の後は風、風も四季によって変化する。春先、少し冷たい春一番、梅雨時期のじめじめした湿気の多い風、晩秋から初冬にかけての木枯らし等、風から季節の変化を感じるようになる。そして最後に、月を愛でるることを楽しいと思うようになる。最後の風と月は、室内からでも十分に楽しむことができるし、病気や怪我などで寝たきりになっていても窓から入って来る風や窓越しに月の様子も楽しむことが出来る。月の満ち欠けや色の変化、模様などにも興味を持ち始め、「綺麗だな」「いいなあ」と思うようになってくる頃に、そろそろ「お迎え」が来ることを感じ出すと言うものである。タモリのこの話を聞いて、南米時代から星や月を眺めて遠く故郷を想ったりしたことが、よくあったと思い出し、何やら背中から寒気を感じた次第である。
最後に美しい世界の故郷富士の追加版。
① トルコ富士、ご存じキリスト・イスラム・ユダヤ教の聖典に登場する「ノアの方舟」が辿り着いた事で有名なアララト山、5137mの名峰、観光大国トルコの大きな観光資源の一つである。
② ニュージランド富士、先住民・マオリ族が「輝く山」と名付けたタラナキ山・2518m、トレッキング等エグモント国立公園の中心的存在である。
③ フィリピン富士,日系移民には「ルソン富士」と呼ばれるマヨン山・2463Ⅿ。国立公園の中心的存在であるが、環太平洋造山帯に存在する活火山の一つ、17世紀から21世紀初頭までの400年に50回の噴火が観測され、火砕流等による多くの犠牲者、大きな被害をもたらしている。
環太平洋造山帯;日本は勿論だが北米・南米・ニュージランド、の故郷富士も全てこの造山帯に属している。
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