追憶の彼方。

思いつくまま、思い出すままに、日々是好日。

民主主義の劣化…(2)

2016年10月21日 | 文化・文明
民主主義は衆愚政治と紙一重、決してユートピアでは無いこと、しかしこれに
代わる制度が見当たらない以上、平和でより良い社会を実現する為には与え
られた現行制度をより良い方向にもっていく不断の努力が必要という事になる。

民主主義のどこが問題で劣化を辿るのか整理して置きたい。
* 民主主義は文字通り国民が主権者であるという考え方であり、三権分立
や議会制、地方自治等を備えた制度である。

民主主義を成功に導くためには主権者である国民が理性的な意思決定
能力
を備えて居ることが大前提であり、又その能力を養うべく不断の
自助努力が求められることになる。
個人的な利害や一時的な怒り・義憤等の感情、メデイアによる情報操作、
扇動等に惑わされない判断の為の確固たる座標軸を持つことが求められる。
日本人の特性である「諦め、付和雷同,お上の方針・言う事だから仕方が
ない、永い物には巻かれろ
」等の風潮は民主主義を劣化に導く大きな
要素である。

更に主権者である国民は主体的に政治参加の意思を持ち常にそれを実践
することが不可欠である。投票率50%割れを起こすようでは民主主義
が正常に機能しているとは言えない。

現在世界各国では様々な民主主義制度を実践し模索を続けている現状から
民主主義が多様性をを持ち、且つ如何に不完全な制度であるかを物語って
いる。
例えば理想的には間接民主制より直接民主制が望ましいが実際には多くの
国で直接民主制は非現実的であり、間接民主制を前提に様々な制度を導入
し理想に近づけるべく努力を図っている。
間接民主制を前提とする限り民主主義が完全無欠なものとはなりえないので
その欠点を補う為に民意をより一層反映させるための模索が行われている。
一票の格差是正程度で揺れている日本の後進性は疑うべくもない。

アメリカの市議会は市議が少なく市議会では市民が延々と意見を述べ、その
意見を基に市議がパネルデイスカションをして決定する。公聴会も盛んで
州、連邦レベルで毎日のように開催され国民の意思を吸収している。
更に立法、行政、司法の3権以外に官僚制監視の為のコミッション(委員会)
が存在しており官主主義に陥らぬよう工夫が凝らされている。
コミッションは実際の政策決定機関でもあり、細かい行政決定にまで踏み込
んで市民のコントロールを効かしその議事録もすべて公開される。
官主主義と言われる日本とは大きく異なり民主主義の理想に近づけるシス
テムが出来ている。

もう一つの問題点は意思決定に多数決が採用されていることである。
多数決は飽く迄も便宜的なものでその決定が常に正しいという保証がない。
従って例え多数決で決まったことでも改めて少数者の意見を再検証し決定の
し直しが出来るようなシステムも考慮する必要がある。

民主主義は忍耐強い努力と気の遠くなるような労力を要する制度である
ことは間違いない。

民主主義の劣化…(3)
日本は民主主義国家か  に続く
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民主主義の劣化

2016年10月20日 | 文化・文明
イギリスのEU離脱に始まりアメリカ大統領選に於ける共和党トランプ候補、
支持者の熱狂が多少冷めたと言え、尚一定の支持を集めていることを考える
と民主主義の本家である両国で理想的な形に至る前に、既に制度の劣化が
始まったのではないだろうか。

チャーチルによれば「民主主義は最悪の制度である」、「しかしこれ以上
良い制度も見当たらない」という事だが、必ずしもそうとも言い切れない。

シンガポールは政党・議会・選挙等民主的諸制度は残しているが一党支配に
よる独裁政権によって経済的に大きな成功を収め世界有数の貿易・金融セン
ター、世界3位の国民所得(所得格差も大きいが)を誇っている。
日本の徳川政権は260年の長期に亙って繁栄したし、帝政ローマの例もある。
イタリアの小国ベネチア共和国は10人委員会等寡頭独裁政権でナポレオン
に滅ぼされる迄歴史上最も長く続いた(千年以上)共和国、「アドリア海の
女王」として名を馳せた。

一方ドイツでは20世紀の民主主義憲法の典型とされるワイマール憲法のもと
でヒトラーを生み世界大戦の導火線となったし、日本も普通選挙が始まり
政党政治が舵取りを誤って、ポピュリズムに陥ったため勝算のない太平洋
戦争に突入し国を滅ぼしてしまった。

この様に見てくると第二次世界大戦以降も戦争は絶えることがない。

つまるところ民主主義はポピュリズムや衆愚政治に堕しやすく、その結果
戦争を引き起こして無駄にリソースを浪費し、国を衰退させる危険性が
極めて高いと言えるのではないだろうか。 



民主主義の劣化…(2)へ続く
 
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絵本とマンガについて

2016年10月06日 | 文化・文明
先ず絵本とマンガの違いは何処にあるのだろうか。

マンガは絵と言葉が一体となり作者の考えが全てそこに表現されている。
従ってマンガを見る人間は余り空想したり想像力を働かせなくとも作者の
言わんとするところが、た易く理解出来てしまう。

一方絵本はそこに描かれた絵がストーリー全体を表すものではなく、一枚の絵を通してそこで語られる文章から人間の心の動きや動植物、自然等そこに描かれていない情景を考え、想像力を膨らませて自分なりの絵、世界を作りあげて行くものである。
つまり、絵本はそこに書かれた文章の力を借りて絵が語りかける世界を自分で読み取り発展させていくことが要求されることになる。
 
絵本を含め本を読むという事は本の言葉を頭の中でイメージしそれを絵に描き、瞬時に連続させてゆくと云う一連の行為である。それが可能になって読書が成り立って行く。
 
母親に絵本が語る物語を読んでもらう事によって絵本の絵を自分なりに次々と変化させ心に映し出して次の絵に繋げて行く。それをする事により初めて物語を理解し楽しむ事に繋がるのである。

或る知り合いの家庭で仕事で帰りの遅い夫を待つ間、ベッドで子供に絵本の読み聞かせを習慣にしていたが、毎朝早くついウトウトして一部飛ばして読んでしまっていたらしい。
その子が字が読めるようになった時母親に「お母さんが読んでくれた内容と随分違うよ」と云われて驚いたという話を聞いたことがあるが、ことほど左様に子供は真剣に読み聞かせに聞き入っており、しっかりと脳裏に焼き付けているという事である。

読書や絵本の読み聞かせは何を生むか。
目に見えないものをイメージし見る力ー想像力を養う事に大きな助けとなる。
更には語彙が増え表現力が豊かになる。又人の話を集中して聞く力を養い学校や社会での学びは聞くことから始まることを考えると大変な能力にもなるだろう。
小学校一年生担任のベテランの先生が、「家で絵本をよく読んでもらってきた子はすぐ分かる。 先生の話に集中し、吸い取るように聞いていて、全く心配がいらない」と云う話をどこかで読んだ気がする。

マンガやテレビでは創造/想像力を養い、知的好奇心を育てることは難しいのではないだろうか。


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漫画は読書か

2016年10月05日 | 雑感
読売新聞の人気女性投稿欄「発言小町」に漫画は読書?と云う投稿があり色々なコメントで賑わったとラジオの朝番組で紹介があった。

マンガは読書の範疇でしょうか 。ある方が”趣味は読書(主にマンガ)”と自己紹介されているブログに出会ったのですが、マンガは読書の範疇ではないと思っていたので、違和感を感じてしまいました。日本のマンガはクオリティが高いし、そう感じる自分がおかしいのかなぁと思ったりしています。
みなさんのご意見はいかがでしょうか 。

この投稿に対するコメントは、「読書とは活字が主の本を読むことをさす」「漫画は読むというより見るもの」など、殆どが漫画は読書ではないと否定的で中には
「私は「趣味は漫画を読むこと」と自己紹介していたら、年収が多い人でないと判断します。   >日本のマンガはクオリティの高いし…は「日本の漫画の中には・・・」と表現したほうが良いです。」
更には「履歴書で趣味「読書」と書いてあって、それがマンガだとわかれば私なら「詐称」だと思うでしょうね。クオリティの高さは全然関係ないと思います。
どんなに良質なマンガであってもマンガを「読書」のカテゴリーで括るのは適切ではないと思います。 「読む」というより「見る」という言葉の方が適切な媒体ですからね。 」と云った手厳しいのから
「漫画大好きですが、漫画は読書じゃないと思います。会話文がほとんどで、論理的な組み立てのある段落も、会話には不自然な説明表現も読めません。あれが読書なら外国映画を字幕で見るのも読書になります。 けれど、形が本だから読書、という考え方もあるかもしれません。」
「読書は活字が主の本を読むことをさし、マンガを読むことは含みません。 私は絵本を観るのも好きですが「絵本を観てた」ことを「読書してた」とは言いません。 ブログに自己紹介として書くなら「 マンガ好き、読書も好き。絵本を観るのも楽しみです。」とするかな?」


一方読書擁護派の意見として「弘兼憲史さんの漫画からは政治、経済、エネルギーなどについてそれは多くの事を学びました。 難しい問題をとても分かりやすく、又、立体的な立場から描いてあります。 これは必読書だと思います。 原文がしんどいので現代語で読んだ「源氏物語」は何が何だかさっぱり分からなかったのですが、牧美弥子さんの「源氏物語」を読んで?ああ、そういう話だったのか!と初めて分かりました。 吉田秋生さんは「YASHA]「海街ダイアリー」と政治問題、人の情緒と両面描ける逸材です。 そして、萩尾望都さんは私の神様! こんなに質の良い漫画に恵まれた時代に生きられる幸せを感じております。 」
更には「 活字の読書も好きですが、やはり漫画育ちで漫画のほうが理解しやすいのですよね。 例えば歴史物など、時代考証がしっかりしていれば、建物、服飾、土地、風土、地図、人物関係、キャラクター、思想など、私にとっては、あらゆる面で全体をイメージしやすい媒体です。」
「美女以外は女じゃない? クラシック以外は音楽とは認めない。そんな感じの価値観ですか?
読書を辞書でひいたところ、本を読むことだそうです。 漫画も本なので間違いなく読書でしょうね。
漫画もやたら文字数多いものもありますし、頭使うものもある。お気楽なものもある。
これは小説でも同じですよね。
まぁ、参考書やレシピブックなどは読書には入らないと思いますが、 漫画は完全に読書でしょう。 崇高な小説となんら変わりはありませんよ。」
「公立図書館に漫画が置かれるようになり、徐々に読書と認められるようになった。」

最後に私自身は、 「マンガを読書とは考えない。登場人物の感情からくる表情や情景・背景、その場の雰囲気を言葉で表現されていて、読み手が自分でイメージするモノ、その行為を"読書"と考えるから。」 と云うコメントに賛同したい。

本来読書は書物の中で表現される文章を自分なりに想像し展開するという知的創造活動を伴うものであって、漫画はその作者がそれを行ってしまっているが為に、マンガを見る者にはその活動部分が殆ど残されていないのではないかと思う。
そういった意味では絵本の方が読む(或いは読み聞かせてもらう)子供にとって大きな知的創造活動を行わせるという点でより読書に近い気がする。


次回は漫画と絵本について書いてみたい。















  
 
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