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(since 2007/8/15)。

875) 私的岩手通史の旅 第59回

2011年02月10日 | 私的岩手通史の旅
 朝のニュースから「この週末は大雪」と報じており、明日明後日の天気予報には雪だるまが描かれています。大雪の基準は地域によって異なりますが、こちら関東では数センチの積雪でも大雪と騒ぎます。雪国の方々には苦笑されそうです。


第59回 前九年合戦 第4幕(宮城県多賀城市 多賀城跡)

 鬼切部の戦いで陸奥守藤原登任が更迭されましたが、後任として源頼義(みなもとのよりよし)が着任しました。陸奥守とは陸奥の国司の長官ですが、翌年頼義は鎮守府将軍(北辺の防衛のためにおかれた将軍)も兼任しました。これは従来無かったことだそうです。奥州に関する権限を一本化して安倍氏を攻めようという思惑があったのかもしれません。

 ところが頼義の着任早々大赦(刑罰を許すこと)がありました。「岩手県の歴史(山川出版社)」には「安倍頼良も反乱の罪を許された」とあります。大赦であっても朝廷への反乱は許されない罪だそうですから、鬼切部の戦いが許されたということは反乱ではなく安倍頼良と藤原登任の私闘とみなされたということなのでしょう。

 ところで安倍頼良も源頼義も名前の読みが「よりよし」です。大赦によって許された頼良は名前を「頼時(よりとき)」に変えました。小説「炎立つ」の中で頼良は息子の貞任と隊列200名で多賀城を訪れ、頼義に改名を告げています。


(多賀城の石段。安倍親子はここを上って頼義に会ったのでしょうか? -宮城県多賀城市 2008/12/06-)

 この改名、頼義は「ふうん」で終わっていますが、彼に従う藤原経清(ふじわらのつねきよ)は「名を変えるということは頼良さまを捨てることになる。即ち頼義さまも捨てることになる」「良を時にする。即ち良の時。それを頼義さまに重ねれば頼義を捨ててこれからは頼良の時」と考えています。

 実際にそう考えた史実は残っていませんが、すごい想像力だと思います。もし史実だったとしたら、もっとすごいと思います。


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2009年02月10日の一品・・・449)盛岡散歩 姫神山
2008年02月10日の一品・・・175)栃木散歩 さくら市(五行川水源)

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