単純に、タイが好きだったから。
20歳代後半の頃、会社を辞めてプータロー(すでに死語)だった私には、東南アジアを旅行するバックパッカーの時期がありました。
今も昔も、バンコクはバックパッカーの聖地なのかなぁ?
当時は、ネパールに行くにも、ベトナムに行くにも直行便が無く、バンコクでトランジットする時代。
「RECONFORM PLEASE!」って何回も電話確認しなければならない時代。
何度もバンコクに通ってるうちに、次第にタイ好きに。
ただのソイバッポン好きだったのかもね。
その後、BRICSなんかの新興国株ブームが起きたときに、ZMICO証券が日本人向けサイトを立ち上げたので、口座開設へ。
ゲストハウス「マレーシアホテル」には、個性あふれる日本人がたくさんいたなぁ。
「外こもり」のはしりの人たち。
今もあるのかなあ、マレーシアホテル。
売春婦の営業がうるさかった。
どこに行っても、「地球の歩き方」を持った日本人がいた。
ペシャワールの片隅でも。
ネタが無くなると、1年に1回くらい、このネタを書いてます。
青春の思ひ出。
歳を取りました。
もう無理。
押してね!



20歳代後半の頃、会社を辞めてプータロー(すでに死語)だった私には、東南アジアを旅行するバックパッカーの時期がありました。
今も昔も、バンコクはバックパッカーの聖地なのかなぁ?
当時は、ネパールに行くにも、ベトナムに行くにも直行便が無く、バンコクでトランジットする時代。
「RECONFORM PLEASE!」って何回も電話確認しなければならない時代。
何度もバンコクに通ってるうちに、次第にタイ好きに。
ただのソイバッポン好きだったのかもね。

その後、BRICSなんかの新興国株ブームが起きたときに、ZMICO証券が日本人向けサイトを立ち上げたので、口座開設へ。
ゲストハウス「マレーシアホテル」には、個性あふれる日本人がたくさんいたなぁ。
「外こもり」のはしりの人たち。
今もあるのかなあ、マレーシアホテル。
売春婦の営業がうるさかった。
どこに行っても、「地球の歩き方」を持った日本人がいた。
ペシャワールの片隅でも。
ネタが無くなると、1年に1回くらい、このネタを書いてます。

青春の思ひ出。
歳を取りました。
もう無理。
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