すこっちの、ザックリが好き。

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日々すこっちのザックリ日記です。

客観的になること。

2013年01月16日 18時19分16秒 | 日記

それが人間なんだと思うんですが。

どうしても自分の周りに起こる出来事や、自分に降りかかる災難って
客観的に見れないことって多いですね。

どうしても自分本位に取ってしまったり、見てしまったり。

回りのアドバイスに関しても、自分に都合のいいものばかりを
チョイスしてしまったり。

結局後々、自分の都合のいいものばかりチョイスしても、本質の問題が解決せず
本質そのものが浮き彫りになるので、いくら都合のいいように曲げてみても
無駄なんですけどね。

例えば、どうしても許せないことが1つあって、相手に理解してもらおうとする。

理解してくれる人ならそれに越したことは無いんですが、自分じゃないんだから
同じように理解してくれるはずも無く。

そうなると、自分の意地なんてちっぽけな物だと、今の生活と天秤にかけて
妥協点を見つけて生活していくか
(納得できないまま妥協するんではなく、妥協点で納得するんです)

はたまた「絶対に許せない!」と、妥協できない点を通して相手に服従してもらうか
自分から今の生活を投げ打って、ポリシーを通してケリをつけるか。

どうしても渦中に居る時って、自分のポリシーに固執してしまいがちになりますね。
自分の正当性を主張して、冷静でいてる風で、実はそうではない。

本当はどうなんでしょう。

自分はどうなりたいんでしょう。


自分の正当性を認めてもらって意地を通したいのか(信念が大事なのか)。

それとも、周りみんなが幸せで、自分自身も幸せでいることなのか。


当事者は、その時の理不尽さを体験しているので、その理不尽な事は
絶対おかしなことだし、決して許されることではないんですよ。

だからこそ、どうしてもそこに焦点を置いちゃう。

時が経ってくると、その詳細も少しずつ忘れ、少しずつ歪曲して来たり。


一番大事なのは、本当はその自分の意地じゃないと思うんです。


今まで幾度となく、そういう経験をして来ましたが。

結局は意地に固執してしまって、本質が見えなくなってしまってるんですが

本当の所、自分がどうなりたいか・・今後どうしたいか、なんだと。


自分自身はというと意地を通す派でして、

その意地を通して、今の所後悔したことは
ないんですが・・・・。

ただ。

その意地を通す前に、当初描いていたものが、

今の目の前のものかと言われるとそうではないというか。


だからと言うわけではないのですが、友人達の話を何となく客観的に
聞くようにしています。

友人の悩みや、愚痴に頷くのは簡単だけど。

それが毎回堂々巡りのモノであるならば、ちょっと違った切り口で、
客観的な目も必要のような気がします。


変な例えかもしれませんが。

社長は、はじめから社長じゃないですよね。

平社員、課長、部長など経験をして上り詰める。
一度は平を経験しているわけです。

社長の仕事は、会社の全体図を見ながら、会社の方向性をどうしたいのか
方向付けて動いていくわけですが。

平社員は結局上に立つことは無いので自分の周りのことだけしか見えない。

それに近いかもしれませんね。

経験をしている人と。していない人。

全て経験を積んでれば良いってもんでもないでしょうが、
少なくとも、経験が無い人より、少しは全体を見渡すことが
出来るのではないかと。

愚痴や悩みを聞いて、うなずくのが本当にその人の手助けになっているか
(あ、場合によってなっているときもあります。聞いてもらうだけでいい
場合って多いですからね)というと、本当に悩んでいるときは
そうではないと思います。

客観的にどうか、そういう意見も大切ではないか。

そんな風に思ったりしています。

本当はどうしたいのか、決めるのは悩んでるその人自身。

その答えを、わたくしや他の誰かが誘導してはいけない。

誘導するからには、それ相応の責任が発生すると思うんです。

そういうことを念頭に入れつつ、すこっちはお話を聞いているんですが。

本当の意味で、ほんの少し・・でも、悩んでいる人の手助け出来るといいですね。

そんなことを考える、最近のすこっちでした。


思ったことをツラツラと殴り書きしちゃったので何の事やら
長々とした分になっちゃいました~。