1989年(平成元年)にタイヨーから登場した
2-2号機「リスキーダック」
先行機ガルーダと同じく「右レバー」が特徴だった。個人的に言えば、
私は運動については左利きなので(文字書きは右)、扱いにくかった。
ストップボタンも、妙に硬くて押しづらかったり…。
(ボーナス確率)
(払い出し表)
※SIN揃い→JACハズレもアリ
「クレジット内のビッグ速攻連がアツかった」
「ツボにハマると1G連頻発で噴きまくった」
「20連、30連、時には100連以上も続いた」
「シマ中が鉄火場状態でドル箱積みまくり」
「ビッグ中に7が揃うと再びビッグスタート」
「ビッグ中に小役が落ちなかったりパンクなら連チャン」
ブログやHPなどで、本機を回顧するこんなコメントを見る度に、
正直「羨ましいな~」と思ったりする。
まぁ、リスキーダックといえば「爆裂連チャン機」として
当時は大いに世間を賑わせたが、私自身そんな連チャンを
体感する事は無く、いたってマイルドでノーマル然とした
出方の台を打った経験しか持たない。故に「いつ終わるか
知れない」魅惑の大連チャンをリアルタイムで経験できた
方々に、つい羨望のまなざしを向けてしまうのだ。
本機との出会いは、1990年(平成2年)の夏頃、西武新宿駅
近くの「日拓3号店」の地下。割烹「勇駒」など海鮮料理店が
並ぶ、小さな路地沿いで営業していたホールだ。現在は、同じ
日拓エスパスの大きなタワー店が同じ路地にデンと構えていて、
あの当時とはガラリと印象が異なる。
この時期は、大学入学を機に覚えたパチ・スロの面白さに段々と
「覚醒」し始めた頃で、資金的余裕こそあまりなかったが、新宿、
特に歌舞伎町の店をハシゴするのを好んだ。一応、大学の講義は
ちゃんと出ていたから(翌年からサボリ魔と化すが…)、講義が
終わって都バスで歌舞伎町に直行するパターンが多かった。同じ
日拓の2号店で、奥村「ドリームX」とよく対峙した事も思い出す。
等価で2500発以上出たので、当たれば1万円越え確定。その割に、
デジタルの回りが良さげな台も多く、意外と勝率は高かったのだ。
で、日拓2のドリームXでガッツリ勝たせて貰ったりすると、すかさず
他店で「第二の勝負」を挑みたくなる。勝った時点で帰ればいいのに、
そうも行かない所が「パチ・スロ中毒」にかかっていたあの当時の私。
同時期、歌舞伎町では20軒近くの店が営業しており、スロの設置台は
店によって様々だった。まさに、店から店へ夢遊病者の如く渡り歩き、
資金を増やしたり減らしたりしつつ、最後はスッテンテンになったり
したものだ。当時の各店の設置台で、記憶に刺さるものを紹介すると…
(西武新宿駅前エリア)
「ムサシ」(スロ専)→フラッシュ、スーパーセブン
「日拓1号店」→チャレンジマンAZ、センチュリー21
「日拓2号店」→センチュリー21
「日拓3号店」→リスキーダック、アラジン
「日拓ビッグプレイ1(1F)」(スロ専)→リバティベルIII
「日拓ビッグプレイ2」(2F)(スロ専)→ロックンロール
「日拓ビッグプレイ3」(スロ専)→アメリカーナX2
「日拓4号店」→アニマルG
(コマ劇場周辺エリア)
「モナミ」→ニューペガサス
「747」→バニーガール
「オデヲン」→ガリバースペシャル
「ラスベガス」→センチュリー21、ファイアーバードEX
(一番街通り)
「ニュープリンス」(スロ専)→パルサーXXΣ
(さくら通り)
「TOP’S」→ビッグパルサー
(あずま通り)
「ニューメトロ」→センチュリー21
(花道通り)
「コスモ」→アニマルG
(区役所通り)
「大番」→アニマルG
上記リストを見ればお判りの通り、歌舞伎町界隈でリスキーダックを
置いていたのは、日拓3のみ。地下フロアにズラリと2シマ並んでいた
気がするが、それほど客付きが良かった記憶はない。出方についても、
センチュリーやバニーガール辺りと大差のない、いたってノーマル然
としたものだった。まぁ、新台入替から相当の期間が経過していたと
思われるので、導入当初の段階では露骨に噴いていた可能性もあるが…
少なくとも、私がシマに通った頃は、意図的に連チャンする台、との
印象は全くない。無論、ビッグやバケが数珠っぽく続いたり、小役の
集中がボーナスに絡んだりして出玉がグイッと増える瞬間はあったが、
それとて、ノーマル台の好調な展開といって差し支えなかった。
まぁ、そんな訳で、私は「リスキーダック=ノーマル機」という
イメージしか持っていなかったので、数年前、東京・上野のスロ
ゲーセン「殿堂」でリスキーダック(バリバリの連チャンVer)を
打った時、「ああ、やっぱこれだけ派手に連チャンする台なんだ」
と、あらためて驚かされた。
露骨な連チャンこそ体感していないが、リール挙動の「異変」で
ボーナス成立を察知した瞬間は、やはり、心踊らされたものだ。
本機で「リーチ目」といえるのは、「スベリ」と「チェリー」の2つ。
但し、チェリーは時折ガセもあったから、確実に「入ったな」と確信
できるのは、ある条件でリールがスベッた時である。因みに、先行機
「ガルーダ」(日暮里会館に設置)も、スベリがリーチ目であった。
この特徴は、3-1号機「ミラクルUFO」(渋谷の白鳥、キャッツに
置いてあった)にも受け継がれた。
もっとも典型的なのは、左上段にボーナスがズルッと滑ってくる
パターンだ。基本的に即止め制御の本機だが、ボーナスフラグが
立つと、成立したボーナスを左上段に引き込もうとする。それ故、
この「左上段スベリ」は信頼度の高い入り目だった。
左がスベリを伴わずとも、中リールがスベッてボーナステンパイ
すれば、やはり信頼できるリーチ目。但し、成立したボーナスを
「最小限のスベリコマ数で引き込む」制御の為、左上段に赤7が
停止した時に、中リール中段まで赤7がスベって来る事はない。
以上のスベリの特徴は、BARもシングルボーナスも全く同じだ。
スベリ以外のリーチ目といえば、やはり「チェリー」であろう。
通常、1/128で抽選されているチェリーだが、ボーナスフラグ
成立後は約1/2.6にアップ。通常時も出るのでガセもあったが、
立て続けにチェリーが落ちれば「入り」と判断できた。
また、機械割をアップさせる「小技」も存在。13枚役(ベル、プラム、
スイカ→共通フラグ)が成立した時、左・中でダブルテンパイさせれば、
上下ダブルラインで13枚役が揃って、15枚の払い出しになる。わずかに
2枚増えるだけだが、塵も積もれば山となる。とりわけ、小役の集中時に
技を駆使すれば、いっそう高い効果が望めた。
(配列と制御の隙をついて、13枚役をダブル15枚で取る小技)
但し、ボーナス図柄と小役図柄のダブルテンパイに関しては、
仮にフラグ成立していても、ダブルで揃う事はない。13枚役
成立でボーナスも揃ってしまったら大変である。当然の処理。
(小役同士と違って、ボーナスと小役のWテンパイはフラグが
成立していても揃わない。この特性を利用して、Wテンパイで
捨てられている台のハイエナも、時に有効となった。)
因みに、ビッグ中のBGMは、ベートーヴェンの「トルコ行進曲OP-113」。
ノリが独特…というか、リズム感がイマイチだった。むしろ、味がある?
これも余談だが、上パネルのアヒルの顔が非常に個性的で…
一度見たら忘れられないインパクトがあったが、私なんぞは
この顔を見るたびに、当時人気だったTV番組をよく連想した。
カケフくんでお馴染み、「所さんのただものではない!」。
(C)フジテレビ
下パネルのダックは、ライフルを抱えて葉巻を咥えた
ハードボイルドなスナイパー姿。リスキーというか、
コミカルというか。
上パネルの右サイドに書かれた、クレジット機能の説明書きを再現。
今では当たり前のクレジットだが、1.5号機以前からの古参ファンは
CR機能も無く手入れで遊戯していたので、2号機から新たに備わった
「新機能」を、筐体に書いて周知させる必要があった。時代である。
露骨に連チャンせずとも、何かと「心に刺さった」思い出深き台。
それが、私にとってのリスキーダックである。
(タイヨー「リスキーダック」の項、了)