まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

福の神(奥村遊機、デジパチ)

2015-04-18 02:52:55 | 現金機デジパチ

過日、「キンキン」こと愛川欽也さん逝去の報が飛び込んできた。

ここ最近、大阪・新世界の名店「ニュー三共」閉店、老舗メーカー・マルホンの倒産※、そして先日の奥村遊機の破産報道と、なんとも哀しいニュースが続く。

※釘師マンさん、情報どうもです。仰る通り、マルホンは「再生」への道を進んでいるようですね。今後、良い知らせが届く事を期待しています。

そして、今度はキンキンまで…少年時代からTV画面を通じてお馴染みだった、自分にとっての「昭和を代表するテレビスター」。もちろん、平成の世に入っても、愛川さんの姿をテレビで見ない時期はなかった。

また、偉大なテレビマンが一人、この世を去ってしまった…。深い悲しみと共に、強い「喪失感」で一杯だ。

愛川さんといえば、昔からラジオの名DJとして有名だったが、もちろんテレビでも、数々の名物番組の司会者として、テンポよい語り口で、お茶の間を楽しませてくれた。

小学生時分に楽しみだったTBS「人生ゲーム・ハイ&ロー」(トランプのパネルを開く、すごろく風の昇進ゲーム)や、フジテレビの看板番組「なるほど!ザ・ワールド」(世界紀行とクイズ、楠田枝里子とのW司会)、そして、何といっても、テレビ東京の地域紹介・情報バラエティ「出没!アド街ック天国」(当ブログの理念と、相通ずるものを感じる番組)。

いずれも、愛川さんの才覚や人間的な魅力無くしては、決して成り立たなかった筈だ。

そうそう、日テレの「世界ビックリ大賞(木曜スペシャル)」では、超巨乳の金髪女性達がスタジオに登場すると、きまって司会の愛川さんが彼女らの豊満な胸を触り、ニコニコご満悦だった(懐)。

日テレの深夜番組「11PM」では、水曜日MCを担当。中学生時分、親が寝た時限定で、片耳イヤホンでこっそり見たクチだが(笑)、ハキハキとした軽妙な口調で、流れるように番組を進行させて、ゲスト陣とトークを繰り広げたり、時にはウンチクを垂れたりするのが、カバーガールのお色気シーンよりも強く印象に残る。


俳優としても一流で、菅原文太主演の人気映画「トラック野郎」シリーズでは、やもめのジョナサンを好演。また、テレ朝「土曜ワイド劇場」でも、西村京太郎トラベルミステリーの「亀さん」こと亀井刑事がハマリ役だった。他にも、80年代~90年代の2時間ドラマなどで、要所で登場するキーパーソンを演じる、「個性派俳優」としてならした。

声優としても大いに活躍された愛川さん。アニメ「いなかっぺ大将」の「ニャンコ先生」や、「ハクション大魔王」の「それからおじさん」など、印象に残る役の吹替を担当。また、海外映画の日本語吹き替えでも知られた。

そういえば、トラック野郎もいなかっぺ大将もハクション大魔王も、パチ(スロ)と深いつながりがあったんだった…。

さらに、多くのCMにも出演…と、まさに、マルチな才能を存分に発揮して、長い間TVシーンを支えてきた、不世出のタレントであった。

ついでだから書いておくと、芸能人を紹介する雑誌「テレビスター名鑑」では、50音順で、男性スター編の冒頭に顔が出てくるのが、いつもキンキンだった(「アイカワ キンヤ」だから、「哀川翔」よりも前)。だから、いつも「男性芸能人の代表」…みたいな印象を受けた。

あの快活なお姿を、これから画面で見られないかと思うと、なんとも寂しい限り。

愛川さん、今まで本当にお疲れ様でした。そして有難うございました。ご冥福をお祈り致します。










さて、前半は個人的な思い入れもあって、愛川さんの追悼記事を書いた。ここからは、先日の破産報道で我々を驚かせた「奥村遊機」※への長年の感謝をこめて、同社のレトロ台を振り返る。

※種々の掲示板書込みを見ると、「奥村遊技」との誤記を散見する。もちろん、「遊機」が正しい。


紹介するのは、コメント欄でリクエストがあったコチラの機種。




1993年(平成5年)に奥村遊機から登場したデジパチ「福の神」


★賞球…7&15

★大当り確率…1/217

★図柄…一~九の漢数字、弁財天(顔)、大黒天(顔)、福禄寿(顔)、寿、大吉、
大きな「七」(左のみ)、大きな「福」(中のみ)、大きな「神」(右のみ)

※漢数字の「七」と、左デジタルオンリーの大きな「七」は、別図柄

★大当り…各図柄の三つ揃い、若しくは「七・福・神」の大文字が並んだ形 (計15通り)

★最高16ラウンド継続、出玉は約2500個(ウィングアタッカーで、出玉やや多め)

★ノーマルデジパチ

★蛍光表示管を使った、青白いドットデジタルが特徴


(五・五・五揃い)…デジタルの漢数字は、「宝船の大きな帆に、数字が書かれている」イメージ。
数字の下にあるのは、決して「傘」ではない(笑)。

               

「弁財天」(弁天様)揃いを再現。ドット独特の表現に味があった。他にも、ヒゲを生やした大黒や、ツルツル長頭の福禄寿の図柄も存在。なお、大きな「七・福・神」の文字が並んだ形も大当り。


★当時の設置店(あまり多くは知らない)

都電荒川線・大塚駅前近く「ニューカワイ」など

(C)Google
「ニューカワイ」跡地…現在はOクリニック。右隣の補聴器店は、当時焼鳥屋(飲み屋)だった。
大塚は、(当時としては)高換金エリアで、2.5円主流の都内にあって、3円(以上)が大半。その分、釘はシブく感じられたが、たまによく回る「お宝台」も転がっていた。大学の授業終わりに、荒川線の始発に乗り込み、このエリアまでのんびり出向いた事を思い出す。

※当時、大塚駅周辺で営業していたホール…ニューカワイ(3円)、ひょうたん島(3円)、タイガー(等価)、ヒロキ(3円)、大塚センター(3円)、ロビー(3円)、ワイワイ(2.5円)

→もともと高換金だったエリアに、「ワイワイ」(2.5円)が後発で参入。





やはり「福の神」=「七福神」がモチーフだけあって、盤面全体がめでたいムード一色だった。

同時期、三洋の一般電役「宝船」や、藤商事の「えびすV(III)」「七福神」など、七福神繋がりの先行機種を、しばしばホールで見かけた。いずれも連チャン機として知られていたが、本機は時期的に「冒険」しづらい時期だった事もあって、穏やかなノーマル機だった。なお、本機登場から約1年後、平和から「ブラボー七福神」(1995年)という(小デジ)確変デジパチも登場。



「祝」と書かれたスタートチャッカー。不調時には「呪」に見えた(笑)。

その下のメインアタッカーにも、縁起物の「水引(寿)」がデザインされている。当時の奥村にしては珍しく、三共「フィーバーレジェンドI」を思わせる「ウィング式」で、大当りすると左右ハネが倒れて水平に拡がった。玉を拾い易い仕様で、アタッカー周りの釘次第では、2500個以上出る事も。

Vゾーンは1個入賞でフタが閉じるタイプだが、連続で2、3個入る事もあった。「Vに2個入ると、連チャンするかも?」と思った事もあるが、単なるオカルトに過ぎなかった(笑)。

大当りラウンド表示は、「1ラウンド」「2ラウンド」ではなく、「1福」「2福」「3福」…と表示。ラウンド中、デジタルの背景には「富士山」や「鷹」「ナス」「亀」などが登場。

なお、大当り中はデジタル表示部を取り囲む枠が、黄色に光る。蛍光管表示のの青白いドットと、派手な黄色のコントラストが印象的。



★リーチアクション

デジタルは「左→中→右」の順に停止する。左デジタル停止後、たいてい中デジは「2コマ」進んで停止するので、直前にリーチ予測も可能。

但し、たまに中デジが「3コマ」進む事もあった。変則パターンで期待を持たせたが、別段、大当り信頼度が上がった訳ではない。

リーチは、ノーマル、ノーマル再始動、ロング、ロング戻りの4種類。

・ノーマル…左・中テンパイ後、右が速度を落としてスクロール。大抵は1周以内(6~8コマ程度)ですぐに停止する。ハズレ濃厚だが、たまにビタ止まりで当る事もアリ。

・ノーマル再始動…ノーマルで数コマ進んで大外れ…と思ったら、二段階でスルスルッと動いて大当りする「鉄板」アクション。ノーマルからの当りは、この再始動がメイン。

・ロング…右デジが2周目に入る(リーチ開始から7、8コマ進んだ)辺りで、音楽が派手に変化すればロング確定。ただ、ロングに発展しても、2,3コマ進んですぐハズれてしまう事が多い。その「鬼門」さえ超えれば、大当りか前後1コマでしか止まらないのでアツい。本機はロング発展率が高いのが特徴だったが、その分信頼度も低め。やはり「鬼門」突破が肝だった。

・ロング戻り…大当り図柄の付近までロングが伸びて、1コマ過ぎてハズレ…と思いきや、ピョイッと戻って当る。大当り確定。


※デジタル両脇には、緑色に点灯するドットランプが、縦に5つづつ並ぶ。このランプは、リーチ中に右図柄の位置を示すもので、リーチ図柄から2コマ遠ざかるごとに、下からランプが1個点灯。大当り図柄の6コマ手前から、全灯状態が続く。リーチを盛り上げる演出用のランプ。
(このランプが全灯時のみ2段階発展との説もあったが、実際どうだったかは記憶が曖昧…)



★後継機…「スーパー福の神」(1995年登場)

→図柄表示はウリ二つだが、こちらは時短デジパチ(大当り確率1/247)。
「三三三」「七七七」「七福神」の3種類で、かつ、右デジが「白抜き図柄」(右デジの「三」「七」「神」は、黒抜きと白抜きの2種類アリ)で当ると、時短突入(突入率3/18)。
以後は「二、三、四、六、七、八、七福神(右は黒抜き)」のハズレ7図柄で当るまで、時短は継続(継続率11/18)。
夢幻伝説タイプの「入り易く、抜けにくい」ゲーム性がウリだった。




★福の神…当時の広告より


ちょうど、奥村が本機をイチオシしていた頃の広告が、偶然手元にあった。








奥村遊機さん、本当に有難うございました。モナコは私の中で永遠に不滅です。
不朽のVシネ「パチンコ・グラフィティ」(主演・布川敏和、1992年)で、パチ屋「船橋センター」の常連客だった曽根の爺さん(鈴木清順)が、養老院に行く前日、長年通ったパチ屋に感謝を込めて、「今まで楽しませてくれて、ありがとうよ」と、店員の布川クンにつぶやくシーンが重なりますよ。



13 コメント

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Unknown (SJM)
2015-04-18 11:41:09
本当にモナコありがとうと言いたいですね。
田吾作、スカイランド、ルーピングスター、ビートル、ドリームW、マーブルX、フリークアウト、etc., これらは全て青春の1ページで、これからもずっと、私の記憶の中から消える事はありません。
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Unknown (えむ)
2015-04-18 16:17:06
羽物はモナキング、サッカーあたりからかな
変わった形状や役物が結構あった・・・F1みたいなスタンダードっぽいのもあったけど
羽物最終期あたりに出たムーンウォーカー確か奥村だったと思ったが上野で見かけて打つも当たらず
熱川の温泉街内のゲームセンターで見かけ200円で当てて長年の鬱憤を晴らす・・・ミスターフォールもあったな
ホテル内のゲームコーナーではドリームXとスーパーシャトル3を遊戯、小箱一箱出してぬいぐるみと交換したな
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奥村遊機 (攻防の待つ)
2015-04-18 18:16:42
倒産してしまったのですね。とても残念です。

私はマーブルやドリームよりもパラダイスという機種を好んで打っておりました。

理由は近所のホールに沢山設置されていたというものなのですが…

特に連チャンなどする訳ではありませんでしたが、相性とビギナーズラックの延長で沢山お相手して頂きました。
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Unknown (公営)
2015-04-18 22:41:49
本当に倒産の話を聞いた時は
ショックでした。
まだまだ潜伏?危ないメーカーがあると
噂されてますが・・・・

マーブルは記憶に残る名機でした。
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奥村さんありがとう (モナコ好き)
2015-04-18 22:52:19
何時も楽しく拝見させています。

奥村のハイラッシュでパチンコに嵌りました。
初めての打ち止め体験をさせていただいたメーカーです。
以後、ヤジキタやマジカルランプなどで
楽しませいただきました。

本当にありがとうございました
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Unknown (たろへい)
2015-04-19 12:20:49
奥村倒産は残念です。

1990年代なら三洋や京楽と同レベルのイメージだったんですがね、その後が大きく違ってしまいました。

2000年以降、これといったヒット機種なかった気がするし、個性派としてはやや弱かったイメージなので業界縮小の流れから仕方なかったのでしょうね。


マルホン、奥村、次の何処か、少しづつ業界全体の風情の部分が減って来た感じで寂しいですよ。

専業から兼業になった野郎より
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Unknown (釘師マン)
2015-04-19 21:40:26
詳しいことは書けませんが、マルホンは復活しますよ。
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Unknown ()
2015-04-20 12:58:32
私もですが、奥村モナコの機種はドリームX以外はさっぱり印象に残ってないですね。いくつかの台を短期的に打った程度、それ以外では地方のさびれたホールで見たことない機種にモナコのロゴが付いていたとか・・その割にはメーカーとしてそれなりの地位を保っていたと思いますね。メーカー倒産とは残念なことですが、現代パチンコに期待するものは何も無いですから、それほどショックでもなかったりして。
奥村遊機・・あらためて見ると良い名前ですねぇ・・
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Unknown (いとまさ)
2015-04-20 14:33:17
福の神 取り上げていただいて
ありがとうございます。
当時設置しているホールは地域に1軒だけで、片道20分車で開店時間にいって打ってました。
ノーマル2段で当たるとなんかうれしかったです。
ノーマル現金機でも結構箱積んだ思い出があります。

奥村・・ 最近だと バジリスクとかうる星やつらとか
甘デジは打ってましたがなくなるんですね。
パチンコメーカーも5,6社くらいなってしまうのかな・・
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もし可能ならば・・・ (焼きそば)
2015-04-20 17:21:15
いつもブログ拝見しております。
ものすごい知識量に驚きますが、ひとつの記事を作るのに相当な努力をされているのではと、頭が下がります。

私は1990年~1997年位まで、どっぷりとパチンコしていた者であり、大変懐かしいです。97年以降は、2004年位までパチとスロを並行してやってました。が、「どっぷりと」やっていたわけではありません。現在は、自宅にある中古パチスロで遊ぶ位で完全にパチからは離れています。

前置きが長くなりました、すみません。
奥村の倒産は、私にも大変ショックでした。パチンコを始めた頃、ドリームW(私は九州人です)と、ローリングセブン(たぶん7-3)にはお世話になりました。

ここでお願いなのですが、もしも可能でしたら、本ブログで扱ってほしい機種があります。それは、先に書いた「ローリングセブン」と、羽根物の「サーカスロボ」です。どちらも回顧記事等で扱っている人が少ないため。特にサーカスロボは、そういった記事や画像を見たこともありません。しかし、確実に私は奥村のサーカスロボを打っています。打ち止めにもしました。パチンコ玉を左右にお手玉するアクションが面白い羽根物でした。

画像をお持ちでしたら、ぜひ見せていただきたいとも思います。多分涙がちょちょぎれますね。無理ならローリングセブンだけでも。当時はドリームの方が人気がありましたが、私はローリングセブンの方が好きでした。パンクに泣かされましたが、完走すれば出玉は多いし、デジタルがローリングするアクションや、ゆっくり進むリーチ、ローリングする際に一瞬見える女の子の絵など遊び心があるとこも好きでした。

長くなってしまいました。これからも楽しみにしていますので、どうか無理なさらずゆっくりと構いませんので頑張ってください。
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