まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

スーパーウィンクル(高砂・2-2号機)

2011-11-12 14:48:38 | パチスロ2号機
1989年(平成元年)に高砂電器から登場した2-2号機「スーパーウィンクル」を振り返る。

 

(スペック)
       BIG    REG   集中
設定1 1/273 1/266 1/1092
設定2 1/260 1/243 1/950
設定3 1/248 1/221 1/840
設定4 1/237 1/199 1/809
設定5 1/235 1/182 1/728
設定6 1/235 1/156 1/607



4号機の沖スロ全盛期は、「ハイビスカスチカチカ」の魔力に取り込まれた。その「元祖ハイビスカス」といえば、私にとってはコイツしかない。

 

前作ウィンクルに「スーパー」がついた後継機でも、肝心のゲーム性はかなり違っていた。

 

リール制御の変更、シングルボーナスの撤廃、集中プレイ数の変更(60P→33P)、REGでもパンクする集中、集中当選時のインジケーター告知廃止、REG絵柄が2種類に増加、ビッグ時のBGM変更…と、要所要所で前作との違いが見受けられた。

 

私は1990年スロデビューの人間なので、2-1号機の元祖ウィンクル(1988年)よりも、このスーパーウィンクル(89年末に登場)の方が、やはり馴染みがある。自分の周りに設置が多かった点も、大きな要因であろう。

 

ビッグ絵柄の7に「SEVEN」のロゴが付いており、非常に洒落ていた。これは3号機のドリームセブンにしっかりと引き継がれている。

 

さて、本機のゲーム性については、普段はなかなか揃わないハイビスカスやチェリーが、通常時にいきなり出現した時がアツかった。

ボーナス成立時には、これら二つの小役(共通フラグ)が1/2.3の高確率で揃うようになる。いわゆる「等倍返し」のリーチ目としての役割を果たした訳だ。

 

ただ、これらは鉄板目ではなく、通常時にも出現することがあった。種無しのガセビスカス、ガセチェリーには、良くガッカリさせられたものだ。

 

手元の資料によれば、通常時のビスカス&チェリー(同一フラグ)については①1/109②約1/200という2種類の異なる見解が出ている。当時の実戦感覚からすれば、明らかに1/109よりは悪い出現率であったと思うのだが…、この辺りは実機をまた触る機会があれば、確認してみたい。
なお、チェリー付きのボーナス絵柄がテンパイした時は、高確率でボーナスの入り目となっていたが、一部例外も存在した。

 

それから、本機の独特なリール制御も、非常に面白かった。7が左リール上段に出ると、通常は中リールで大きなスベリが起こるのだが、ボーナス成立の場合は、中リールが「ビタッ」と止まるようになる。この違和感が、打ち手にとってゾクゾクッと来るのだ。
通常時、左上段に7が停止すると、中リールでは停止位置に拘らず7を最大限に引き込もうとする制御が働いた。しかし、ボーナスフラグが成立すると、無理に7を引き込む制御から、ビタ止まりの制御へと変わったのだ。但し、7が引き込める範囲にあれば、フラグ成立後でも中リールの滑りテンパイは発生する。

 

ビッグボーナス時のチープなファンファーレは、当時の高砂系2号機の定番だった。また、ビッグ中には映画「大脱走」のテーマソングが流れた。本機はパチスロ初の「JASRAC使用申請機種」でもある。



さて、この当時を振り返ると、私は大学の授業が終わると、普段は高田馬場か新宿のパチ屋に直行だった。一方、バイトのある時は、大学正門から渋谷駅行きの都バスに乗り、四谷3丁目で下車して、徒歩でバイト先の書店まで向かう、という生活を送っていた。

 

その四谷3丁目には、「四谷タイガー」と「ザ・リボン」という2軒のパチンコ店があったが、地下鉄の出口脇にあった「リボン」に、このスーパーウィンクルが多数設置されていたのだ。一方、等価のタイガーではFボルテックスなどのデジパチを打ち、スロではホールインワンなどを触った。

 

その「リボン」の狭い通路沿いに、ズラッと並んだスーパーウィンクル。当時は、一機種だけを大量に設置するパチ屋が結構多かったが、この店にもスーパーウィンクルばかり置いてあった。

 

ただ、客付きは非常に良好で、いつ行っても空き台が少なかったのを覚えている。バイト前の数時間(時には数十分)を潰す為に打つ訳で、適当な空き台にフラッと座る事が多かった。

 

そんないい加減な立ち回りにも拘らず、短時間での限られた投資で、時折見せるビッグの連チャンにも助けられ、結構な小遣い稼ぎの場になっていた。

 

で、カウンターで特殊景品を受け取ると、そのまま店の裏手に出て、ボロいアパートの狭い階段を上がった2階の薄暗い換金所でお金を受け取っていた(20年前の事で、かなりボンヤリしているが…)。

 

それにしても、あの頃の景品交換所は、なにか陰鬱な雰囲気が漂う場所が多かった。人気(ひとけ)のない路地で、裸電球に照らされた掘っ立て小屋。雑居ビルの薄暗い地下に突如現れる怪しい受取口…。それから、地下駐車場の隅、立ち食い蕎麦屋の中、果ては民家の玄関先みたいな凄いところにも換金所があった。

 

今のように、明るくて綺麗な換金ブースが設置されたのは、それから少し後の事だ。業界健全化を合言葉に、TUCなどの設置が急速に進んでいった為である。ただ、どちらかというと、以前の「何が出てくるか分からない」ような怪し気な雰囲気の方が、私は好きだった…。