まにあっく懐パチ・懐スロ

古いパチンコ・パチスロ、思い出のパチンコ店を懐古する
(90年代のパチンコ・パチスロ情報がメイン)

ドラゴンエース(日活興業、4号機)

2012-01-01 00:02:35 | パチスロ4号機

辰年最初の更新は、1994年に日活興業(現・ネット)から登場の4号機「ドラゴンエース」。

(スペック)

            BIG       REG      PAY

設定1  1/348.6  1/431.2  94.3%

設定2  1/315.1  1/409.6  98.4%

設定3  1/297.9  1/381.0  101.3%

設定4  1/282.5  1/381.0  103.4%

設定5  1/268.6  1/356.2  106.3%

設定6  1/260.1  1/356.2  108.0%

 

日活といえば、2号機「ビッグバン」や3号機「スペースバトル」「スペーススペクター」で馴染み深いメーカーである。これらの各機種には「リーチ目」が存在したが、同社が4号機第1弾として送り込んだ本機はリーチ目がなく、リールのスベリがフラグ判別の手段であった。

で、このスベリが非常に特徴的で、規定最大の4コマスベリを遥かに凌ぐ、10コマ以上の「特大スベリ」を思わせる派手なモノであった。オヤジ打ちでも特定箇所を狙っても、本機のズルスベリは十分に堪能出来た。

ビッグ中は、12枚役の確率が1/2.9と高く、リプレイ外しも効果があった。ただ、リプレイ確率も1/3と同様に高かったので、劇的にコインが増えるという程ではない。通常時のチェリー狙いと組み合わせれば、上記の機械割はさらにアップした。

 

導入からそれ程経っていない時期に、地元近くの「銀〇ホール」で初打ち。あの「ニュルン」というスベリの味を知ってしまうと、かなりクセになった。当時、「〇座ホール」ではユニバーサルの4号機「トロピカーナ」も打っていたが、完全告知に飽きた時などは、ドラゴンエースのスベリに「癒し」を求めたものだ。

導入から暫くして裏モノが増殖、派手な連チャンを見せ始める。当時の「パチスロ必勝ガ〇ド」誌では、ドラゴンエースの怪しい挙動を示す実戦データ(中目黒C店)が掲載されており、2000ゲームでビッグ2回のハマリや、二桁ゲームでのボーナス10連などが発生している。

この実戦データを取った人物が、ガイドの有名ライター「アニカツ」氏である。実戦後のコメントには、「等価って聞いてたから渋い出玉にも我慢してたのに、いざ交換すると『このカードが出れば等価です』だってよ。ボ〇〇クのオススメ台じゃあるまいし…。ドラゴン?昔、そんな名前のバンドにいたけど…。7が揃った時の『グオーン』って音はいいね。」とある。実はC店、通常は7枚交換のところ、ラッキーカードを引くと等価になる「変則等価交換制」の店であった。

ただ、これらは「疑惑」段階でのデータであり、その後、あからさまなビッグの即連をかます激荒ドラゴンも各地で猛威を振るった。当時の初期4号機は、時を追うごとに過激な裏モノへと変貌を遂げており、ドラゴンエースも例外ではなかった。

 

日活というメーカーは、3号機時代にスペースバトルとスペーススペクターのセットで、度重なる攻略を受けた事で知られる。攻略プロの間では、「日活の台には攻略ネタがある」という暗黙の了解があったという。4号機ドラゴンエースにも、絶えずセット打法の噂が流れていたが、当初はガセネタが多かった。

しかし、本機登場から半年ほど経った94年9月頃、まさかのセット攻略ネタが「パチスロ攻略マ〇ジン」誌にスクープされる。スタートレバーとストップボタンの組み合わせで、ある特定の打ち方を数十ゲームの間行うと、ビッグボーナスと連チャンフラグが立つというモノだ。すべての台に通用するものではなく、セットネタが仕込まれた特定の台のみ有効な打ち方であった。

過激な裏モノ化とセットの発覚により、ドラゴンエースはホールから撤去されていった…



1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
阿佐ヶ谷 (裏モノ大好き)
2017-01-27 05:01:42
今は亡き阿佐ヶ谷のガーデンに
セット打法が可能なコイツが設置されていました。雑誌発売日当日まではセット打法が有効でした。
同時は今のようにインターネットが普及しておらず各攻略法も長い間つかえるものも多々ありました。
私は製本のバイトをしている友達が雑誌発売前に本の内容を覗き見して内容を教えてもらい
ほんの少しだけ恩恵にあずかる事ができました。
良い時代でした。
返信する