かつて、テレビ東京系で放映された人気バラエティ「TVチャンピオン・全国パチンコ王選手権」。
TVチャンピオンといえば、田中義剛と松本明子が司会を務める「競技型バラエティ番組」で、鉄道・料理・手芸・大食い・甘味・漢字など様々なテーマについて一般の出場者を募集し、予選を勝ち抜いた代表によって王者を決定する、という形式で毎回行われていた。
今でも「チャンピオンズ」とかいう番組名で生き残っていると思うが・・・あまり詳しくは知らない。
「初代」テレビチャンピオンの中でも、「パチンコ王選手権」は90年代のパチンコブームも手伝って、当時かなり人気のあった企画で、毎回多くの視聴者から出場希望の応募があった。
かくいう私も、かつてこの番組に応募したことがあるクチだ。
そして、たった一度だけ予選に参加した経験もある。
さかのぼること18年前、1993年の12月に放映された「第4回・全国パチンコ王選手権」という番組だった。
当時はパチンコ狂いの大学生であり、ダメ元でハガキを出したら悪運強く「予選出場のお知らせ」という返信が届き、見事に全国放送デビューのチャンスを得ることができた。
予選が行われたのが、オンエアより2月ほど前の10月、高田馬場にあった「ダイナム」というホール。今でも全国チェーンとして有名なホールだ。このダイナム高田馬場店、90年代初頭には大変人気のパチ屋だったが、残念ながら1998年にパチンコブームの終焉とともに閉店。
(元気に営業していた頃のダイナム高田馬場店)
悪名高き「社会的不適合機」問題で、当時の人気機種が一斉に撤去され、多くのパチンコファンの客離れを招いたのが原因だと思われるが・・・エキサイトジャック・春一番・CR花満開・たぬ吉くんなど数々のアツイ台が、次々とパチ屋から消えていってしまった。
この大会の予選がダイナムで行われ、集合時刻は早朝の7時。午前10時の開店前を利用して、店を借り切っての予選と成った。10月の寒い早朝、眠い目をこすってパチンコを打つハメに。
現地に着くと、スタッフから番号付きの白いゼッケンを渡され、番号順に店の前に並ぶ。参加人数は100名。そして、店内でドル箱半分程度の玉(1000発)を受け取り、予選がスタートした。
ルールは単純明快、1時間の制限時間内で、より多くの玉を出した上位6名が本選の出場権を得られるというもので、打てる機種はデジパチと権利物。持ち玉が尽きたら即終了…はっきり言って「当日の運頼み」以外の何物でもなかった。
それでも、いかに甘釘台を見つけるかと言う「釘読み」の技術は試された訳で、それなりの知識と経験がなければ、上位には食い込めなかっただろう。
そのとき私が打った台を思い返すと、平和の「プリンセス物語」や京楽の「居酒屋2」といった機種を触った。短時間の出玉勝負では保留連チャン台を打つのが鉄則だが、ノーマルの居酒屋なんかに座ったのは、京楽マニアの哀しい性か・・・。
予選の模様は本編オンエアの時に流される為、店内には何台かのテレビキャメラがひっきりなしに動いていた。多分、慣れないカメラの前で相当舞い上がっていたと思うが、20~30分ほどで数台を打ち歩いて、何の見せ場も作ることなくあっさり出玉が尽きてしまった。
結局、そのままゼッケンを返して店を後にした訳だが、後日番組のオンエアをみた所、この予選の映像がダイジェストで流され、玉が尽きてガックリと肩を落とす参加者として、私の後姿が使われていた。これが、私のちっとも華々しくない「テレビデビュー」ということになるだろうか・・・。
その後しばらくして、このパチンコ王選手権は、それまでの一般人参加型から「パチプロ・有名人」の参加する別の企画(パチプロ王選手権)へと変わってしまった。最初の頃は「飛鳥一平」とか「石橋達也」「末井編集長」などの名物パチンカーが出てきて楽しめたが、だんだん怪しい漫画家や攻略会社の社員なんかが幅を利かせるようになり、何ともつまらない番組になってしまった。