謹賀新年。
皆様、本年も当ブログ、「まにあっく懐パチ・懐スロ」をご愛顧の程、どうぞ宜しく願い致します。
相変わらず、ノンビリペースで更新して行きますが、「細く長く」続けていきたい、と思う次第です。
という訳で、新年恒例の堅苦しい挨拶を終えた所で、さっそく「通常営業」に戻りたいと思う。
さて、新春一発目の更新は何にしようか…とアレコレ考えていた折、ふと、この台を思い出した。
1991年(平成3年)に西陣から出た、初期・新要件デジパチ「ルーキーパステルP-3」
・賞球…7&15
・大当り確率…1/210
・大当り図柄…0~9、A、C、P、Tの14通り(右デジのみ、ハズレ図柄の「?」アリ)
・最高16ラウンド継続(10カウント)
・出玉…約2300個
・ノーマル機
・兄弟機…ルーキーパステルP-2(1991年、小デジ確変機)
・後継機…パステルNo.1(1992年、仕込みの5連チャン(保1)アリ)
そういえば、当ブログは、何だかんだありつつも、開設から既に「4年半」が経過した。色んな意味で「スレて」きた訳だが、そういう時こそ、初心を忘れないよう心がけたい。
「記憶の奥底に沈みかけた、90年代のパチ・スロ情報を、出来る限り詳しく、レトロファンに向けて拡散したい」。こんな目的から、当ブログは2011年8月にスタートしたのだった。
開設当初の純粋な気持ちを忘れずに、常に、「新人」(ルーキー)の気持ちで記事を更新しよう…
だからこそ、「ルーキー」と名のつく、本機を紹介したいと思った。
…というのは、完全なる後付けの理由(笑)。
現役時に好きだった台が、記事未作成のままだった、という単純な理由に過ぎない。
(このところ、西陣の台の記事が続くが、それも単なる偶然)
なお、いうまでもなく、「ルーキー」は、当時の西陣デジパチの「冠名」である。
(三共はフィーバー、平和はブラボー、ニューギンはエキサイト、三洋はパニック、大一はアイドル…など)
平成3年の晩秋、小田急・向ヶ丘遊園駅(北口)の「銀座スター」というパチ屋で本機と初遭遇した時、その特徴ある面構えに、いささか気持ちが高ぶった事を思い出す。
(C)Google
銀座スターは、現在「GINZA U-style」の名称で営業。最近はこのエリアもご無沙汰だが、グーグルマップで見る限りでは、随分と趣が変わった。店の目の前の大きなバスターミナルも当時は無かったし、駅前のクリーニング屋も「いすず食堂」という昭和然とした食堂だったし、「キッチン南海」の場所も、当時は「石川屋」という小さなメシ屋だった(割烹着のオッチャンとカツカレーが懐かしい…)。
コチラは1991年頃の「スター」の店構え。本機が並んでいたのは、1F左端の通路、右側のシマ。
(フロアの大きさは、現在の半分しかなかった。奥の半分は、その後の店舗拡張で出来たモノ)
ありきたりの7セグやドットとは違って、「ブロック崩し」(←譬えが古いw)を思わせる、3×10マスのカラーブロックデジタル。そのデジタルの色彩も、「パステルカラー」の如く、上から「濃いオレンジ、薄いオレンジ、黄緑」と、3段階のグラデーションが付いていた。
同社の新要件デジパチ第一弾「ルーキーデルタ」(兄弟機はP2)を初めて見た時、丸型デジタルをトライアングル状に配した、独創的な構造に驚かされた(しかも、デジタル外周に回転式の「磁石」が仕込んであった)。
西陣が、新要件デジパチ第一弾として送り出した「ルーキーデルタ」(1991年登場)
本機は、その「デルタ」の後続機として出た「第二弾」だが(正しくは、デルタの兄弟機「P-2」の後を受けた第三弾)だが、先行機に負けず劣らずの、オリジナリティを持ち合わせていた。
当時の西陣は、総じて「ハネモノ」の開発力に定評があったが、ハネモノばかりではなく、ファンキーセブン、アラシキング、スーパールーレット、ルーキーデルタ、そして本機という風に、独創的なデジパチも立て続けに出していた。
ファンキーセブン(西陣、1989年、旧要件機)
アラシキング(西陣、1990年、旧要件機)
スーパールーレット(西陣、1990年、旧要件機)
連チャン性云々とは関係なく、デジタル画面そのものに、「何度も打ちたい」と思わせる、一種独特の魅力が備わっていた(私の場合、オーソックスなドットデジパチの「ラスベガス」にも、ガッツリハマったクチだが)。
ラスベガス(西陣、1990年、旧要件機)…新宿西口「ジャンボ」地下フロアが、戦いの場所だった。
それから、本機は「左→中→右」の順で縦スクロールする、デジタルのアクションも面白かった。
左デジ停止後、中デジは3~6コマ進んで(スベッて)止まるが、スベリコマ数はランダムなので、リーチの「先読み」は、出来そうで出来ない。
また、リーチが掛かりそうで掛からない、「左・中1コマズレ」の目が続くこともあって、そういう時は「不調時のシグナル」として、ヤメ時の参考にした(完全にオカルトだが…)。
左・中ゾロ目でリーチが掛かると、右デジは、速度をやや落としてスクロール。1周以内で止まる時もあるが、2周目に入る事も。右デジは、停止直前にブレーキがかかって、スローに切り替わる。スーパーリーチは無い。また、右デジのみ、ハズレ図柄の「?」があった。
因みに、この「?」図柄をゲーム性に活かした兄弟機が、同時期登場の「ルーキーパステルP-2」。
(ホール導入は、「P-3」よりもわずかに後)
ルーキーパステルP-2(西陣、1991年登場、新要件機)
大当り確率は、本機よりやや低い「1/220」(それでも良心的な数値)。コチラは、「?」図柄が左・中デジタルにもあり、「???」でも大当りとなる(大当り図柄は15通りで、本機よりも1つ多い)。
また、「P-2」は小デジタルの確変機能を備えており、メインデジタルに「3・3・?」又は「7・7・?」が出れば、小デジ確変突入(メイン確率は不変)。つまり、3か7のリーチが「?」で外れると確変に入る仕様で、3・7リーチは「2倍」アツかった。突入後は、大当りするまで小デジ確率が10倍アップ(1/23→1/2.3)。電チューは「1.5秒の1回開放(2個入賞で閉鎖)」だが、ガバガバ玉を拾った印象は全くない。確変中は、各デジタル上のオレンジランプが点灯。西武新宿駅前「日拓1号店」の1Fで打った。
(C)Google
西武新宿駅前通りの日拓1号店は、「エスパス日拓・西武新宿店」の名で、現在も営業中。ただ、グーグルマップを見ると、路地向かい(左)にあった系列のスロ屋(当時の店名は「日拓ビッグプレイ1,2」)は、既になくなった模様…。
(90年代の新宿「日拓1号店」の様子)
電チュー(小デジ)といえば、本機、即ちルーキーパステルP-3にも、ヘソに電チューが付いていた。ヘソ両脇のスルーチャッカー通過で、メインアタッカー下の1ケタ7セグ(小デジ)が変動。当選率は「1/1.3」と高いが(0~9、F、L、Pのうち、数字で小当り)、「0.5秒の1回開放」だった為、あまり玉を拾ってくれなかった。「たまに入れば、御の字」という感じ。
なお、本機は、天下にワープゾーン入口があり、ここのクギ調整が甘いと、ワープ経由のヘソ入賞率が大きくアップ(兄弟機も同じ)。当時の西陣は、こうしたワープ付きの台が多かった(業界初のワープ搭載機も、同社の旧要件機「ファンキーセブン」である)。
さて、デジタルの挙動もさることながら、本機は、「連チャン機」か否かに関して、デビュー当時から、何かしらの「疑惑」が常に付きまとった。
新要件初期の当時は連チャンデジパチが人気で、特に、平和の保留連チャン機「麻雀物語」(1991年、業界初のカラー液晶モニタ搭載)が、空前の大ヒットを飛ばしていた。同じ平和からは、「ブラボークイーン」という保連機も出ていた。
(平和「麻雀物語」、1991年登場) (平和「ブラボークイーン」、1991年登場)
また、三共の「フィーバーフラッシュSP」や「フィーバースパーク」(GP、ED、CX)も、わかり易い「保1連」でファンの心を掴んだ。さらに、藤商事の4ケタデジタル搭載機「ターンバック」(「パチスロの波」を持つと言われた)やニューギンのドラム機「エキサイトカムカムAW」などの数珠連チャン機も、多くのファンから支持を受けた。
三共「フィーバーフラッシュSP」(1991年) 三共「フィーバースパークED」(1991年)
藤商事「ターンバック」(1991年) ニューギン「エキサイトカムカムAW」(1991年)
一方、三共・平和と共に、当時「ビッグ3」と呼ばれた西陣は、露骨な連チャン性のあるデジパチを、ほとんど出していなかった。だが、他社の初期新要件機の連チャン性に鑑みて、「西陣だって怪しいのでは?」と、ファンや攻略誌から勘ぐられていた。
実際、同社初の新要件デジパチ「ルーキーデルタ」や、兄弟機「ルーキーデルタP-2」も、当初から連チャン性を様々な角度から疑われたが、結局は「ノーマル機」との結論に至っている。
そして本機も、「1個入賞で閉じる仕様のVゾーンに、2個入れば連チャン確定」とか、「最終ラウンドをフルオープンさせると連チャン」とかいう噂が、まことしやかに流れた(こうした「連チャン打法」の類は、ルーキーデルタの時もあった)。
私自身、本機で保留連チャンの経験があるし、また、大当り後50回転以内で数珠連チャンさせた事も多い。その為、詳細が判るまでは、何らかの「仕込まれた連チャン性」があるのでは…と、絶えず勘ぐりながら打っていた。
だが、内部解析の結果、本機はプログラム的に怪しい部分の無い、普通のノーマル機だと判った。大当りカウンターは「0~209」の計210コマで、大当り値は「180」。大当り時の怪しい「書き換え処理」も見当たらず、確率1/210の「ノーマルデジパチ」に過ぎなかった。結局の所、もとの確率が「1/210」と甘い為、「自力連チャン」を誘発していた訳だ。
さらに、本機には「モーニング疑惑」もあって、朝イチ(電源オン直後)は大当り確率がアップすると言われた事がある。だが、これも「1/210」の確率がなせる、「偶然の産物」に過ぎなかった。
一方、本機の後継機として、1992年(平成4年)春にリリースされた「パステルNo.1」については、本機や兄弟機「P2」と違って、どう見ても「仕込み連チャン機」と思わせる挙動を見せた。コチラは、新宿・歌舞伎町あずま通り沿いにあった「ニューメトロ」に設置(「P-3」があった向ヶ丘遊園「スター」にも入った気がするが、記憶がイマイチ…)。
「パステルNo.1」(西陣、1992年登場、新要件機)
大当り確率は、本機と同じ「1/210」。小デジ(電チュー)も付いており、本機同様、アタッカー真下の1桁7セグに「0~9」が出ると、0.5秒の開放を1回行う(小デジ当選率は「1/1.3」だが、電チューの拾いが悪く、さほど意味をなさなかった)。
さらに、コチラには露骨な「保1連チャン」が仕込まれていた。しかも、いったん連チャンすると、一気に「5連チャン」(全て保1で発生)まで伸びる機会が大半。一気に「12000発」の大量獲得となる。但し、連チャンの発生率は、「初当りの約30回に1回」程度と低く、終日打って連チャンが来ない事も普通だった。当時は、パチスロ3号機「アポロン」の5連Verが有名だった為、パステルNo.1の5連も、アポロンを意識した仕様に思えた(偶然の一致かも知れないが…)。
パステルNo.1の連チャンシステムは、資料不足により不明。だが、「5連全てが保1で発生」という挙動から考えれば、「初当り約30回に1回」の極めて低い割合で、「保1~保4の乱数値をまとめて大当り値に書き換える」処理が、大当り中(或いは大当り終了直後)に行われる仕様と推測。但し、連チャンは2連で終わる事もあったので、保1のみ書き換わるケースもあったと思われる(自力ダブルの可能性もあるが…)。
(在りし日の新宿・歌舞伎町「ニューメトロ」(閉店)。当時のあずま通りは胡散臭さが満点。一歩足を踏み入れるのも、割と勇気が要った。現在、跡地は岩盤浴「OSSO」の綺麗な建物に変わっている(ビルの名称は今も「ニューメトロビル」)で、当時の足跡を残す。)
かくして、本機に端を発した西陣「ルーキーパステル」シリーズは、何故か、「P-3」→「P-2」→「No.1」の順でホールに登場。なぜ、No.1が最後だったかについては諸説あるが、「5連」の怪しい挙動が、登場時期にも絡んでいた気がする。つまり、一番インパクトの強い台を最後に持ってきたのでは…ということ。但し、真相は不明。
パステルシリーズで好評を得たカラフルなブロックデジタルは、その後、「花らんまん」(ルーキーVX)「ルーキーVXP-2」「宇宙伝説」「ルーキーVZ」と受け継がれて、90年代前半・西陣デジパチにおける、一つの「トレンド」を形成した。
花らんまん(西陣、1992年)→型式名称は「ルーキーVX」。数珠連チャン率20%
ルーキーVXP-2(西陣、1992年)→花らんまんの兄弟機。連チャン率15%。
※花らんまんとルーキーVXP-2の関係については、コチラの過去記事をご参考に。
http://blog.goo.ne.jp/selfconfide777mc/e/03b16000f3dd0df5c6d2618718fd1a12
宇宙伝説(西陣、1992年)→賞球7&15。大当り確率は1/237。大当り後の30回転は小デジ確率アップ。数珠連アリ。
ルーキーVZ(西陣、1992年)→宇宙伝説の兄弟機。確率はコチラも1/237。但し、賞球6&13で、出玉はやや少なめ。やはり、大当り後の小デジ変動機能付き(数珠連も発生した)。
という訳で、今回記事はここまで。
皆様、申年の2016年も、当ブログとお付き合いの程、どうぞよろしくお願いします。