背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

美女と醜男の恋愛映画

2005年09月24日 02時56分20秒 | アメリカ映画
 恋愛映画の主人公である女と男のパターンを美醜によって分類すると次の四つになる。①美女と美男②美女と醜男(ぶおとこ)③醜女(ぶおんな)と美男④醜女と醜男である。つまり、4通りの恋愛映画が可能なわけだ。このなかで、いちばん多いのはもちろん①、美男美女の恋愛映画だ。一昔前のハリウッド全盛期にはこれが圧倒的に多かったといってよい。そして、私の知る限り③は、ない。醜女と美男の恋愛映画を私は見たことがない。ブスとは言わないまでも十人並みの女と美男が恋愛する映画*も見たことがない。片思いならあるかもしれないが、相思相愛の関係が一時的にも成立する過程を描くのが恋愛映画だ。そうだとすると、片思いのままで終わる映画は恋愛映画ではない。次に④、これもほとんどない。普通の女と普通の男の恋愛映画もないように思う。現実的にはこうしたカップルがいちばん多いはずだが、普通の男女の恋愛ではきっと映画にならないのだろう。
 さて、最後に残った②。これは、結構多い。美女と醜男の恋愛映画である。渥美きよしの「男はつらいよ」シリーズもその一種かもしれない。寅さんが美女に恋をするという筋立ては全作に共通するパターンだが、片思いが両思いに変わる話もいくつかあった。
 古い映画にヴィクトル・ユーゴー原作の「ノートルダムのせむし男」というのがあった。この映画でジプシーの美女を演じたのがジーナ・ロロブリジーダで、私が大好きだったイタリア女優。彼女のまぶしいほどの美しさに対し、醜男どころか化け物みたいなせむし男を演じるのが、アンソニー・クイン。アメリカの個性派俳優だ。せむし男の美女に対する一途な純愛。その思いにほだされて、美女の彼に対する憐れみが愛に変わる。そんな劇的なストーリーだった。この映画、ニ度見た記憶があるが、もう一度見たいと思っている。
 「アパートの鍵貸します」は、この手の映画の傑作だった。私は監督のビリー・ワイルダーの映画が好きで、「アパート」は何度見ても見飽きない映画である。主役のジャック・レモンはカエル顔で、決して美男子とはいえない。この映画では上司が逢引きするために部屋を貸すウダツの上がらないサラリーマン役を演じている。悲哀とユーモアあふれるレモンの演技は天下一品だが、上司の愛人役のシャーリー・マクレーンがまた良い。マクレーンは美女というよりファニーフェイスで愛嬌のあるタイプだが、レモンの相手役としてまさに最適の女優だったと思う。同監督でこの二人の映画には、「あなただけ今晩は」もあるが、これも是非もう一度見たい映画だ。
 *キャサリン・ヘップバーン主演の「旅情」はそんな映画だったことを思い出した。今度ビデオを見直しておきたい。

「恋愛専科」のスザンヌ・プレシェット

2005年09月23日 09時18分54秒 | アメリカ映画
 先日テレビで「恋愛専科」を放映するというので、楽しみにしていたのだが、見逃してしまった。この映画、ずっと前に見たことがあるが、またいつ見ることができるのだろうかと思うと、残念でならない。他愛のないアメリカの恋愛映画なのだが、バックに流れるカンツォーネ「アルディラ」の情熱的なメロディーと共に、妙に印象に残っている映画だった。原題は、"Rome Adventure"(ローマの冒険)で、イタリアにやって来たアメリカ人の若い男女のラブ・ストーリー。イタリアが舞台の恋愛映画と言えば、「ローマの休日」と「旅情」が有名で、特に後者はキャサリン・ヘップバーンの名作だった。「恋愛専科」は、この二作とは内容的には比べものにならないが、青春映画としてういういしさがあり、良く出来ていたように思う。
 ヒロイン役は、スザンヌ・プレシェット。当時エリザベス・テーラーの再来と言われた新進の美人女優だ。黒髪でやや地味だが、清楚な可愛らしさがあり、小柄で日本人好み。しかも意外にグラマーで、ヒップ(骨盤)も大きく多産型の女性のように思えた。この映画で彼女はプルーデンス(慎重)という名前の控えめな女の子を演じている。女子大を卒業後、イタリアへ恋人探しの旅に出たものの、なかなか自分の殻から抜け出せず、書店でアルバイトをしている。しかし、そこは恋の街ローマ。イタリア人の中年男に言い寄られ、恋の手ほどきを受けたりしながら、次第に同じ下宿に住むアメリカ人の若い画学生に惹かれていく。彼には色っぽい恋人がいたのだが、すったもんだの挙句、彼女の恋は目出度く成就する。この画学生を演じるのが、金髪緑眼長身の美男子俳優、当時人気絶頂のトロイ・ドナヒューだった。今でも覚えているのは、野原でのデートのとき、猫じゃらしのような草でドナヒューがプレシェットの鼻とか脇の下とか、つまり性感帯をくすぐるシーン。
 さて、この映画には余談がある。主演の二人が現実に電撃結婚してしまったのだ。そしてなんと数ヵ月後に離婚。その後、二人とも映画スターとしても落ち目なり、スザンヌ・プレシェットは、大女優エリザベス・テーラーの足元にも及ばぬまま、終わってしまう。

わが永遠の芦川いづみ

2005年09月21日 23時20分45秒 | 日本映画
 清純派女優とはまず純愛の対象でなければならない。清らかで純粋、少女のような可憐さが必須条件で、妙な色気は禁物。今の言葉で言えば、オーラはあっても、フェロモンの出ていない女優。「オナペット」(もう死語か?)つまり擬似セックスの相手として扱われてはならない。だから、男の前で裸になるなど、もってのほか。許されるのは、せいぜい軽いキスまで。とりわけスターと呼ばれる清純派女優は、大多数の男にとって憧れの対象である。明るく知的で希望にあふれ、男が将来を託せる理想の女性像に限りなく近い存在でなければならない。現代の映画・テレビ界には、いわゆるロリータ女優はいても、清純派と呼べる女優はなかなか見当たらない。清純派スターは不在だ。
 私の個人的な好みで言えば、理想の清純派女優は、あの芦川いづみである。50年代後半から60年代にかけて活躍した日活の女優で、吉永小百合にスターの地位を奪われ、藤竜也と結婚後いさぎよく引退してしまった。が、彼女の映画は今見ても輝きを失っていない。石坂洋二郎原作の「陽の当たる坂道」と「若い川の流れ」は、石原裕次郎、北原三枝との共演だが、映画の出来ばえもすばらしい。私はこの二本の映画を五回以上見ているが、監督の田坂具隆を巨匠と認めているからでもある。芦川いづみは、どちらの映画も準主役で出演しているが、清純にして可憐。明るく知的で、この女性と結婚できたらどんなに幸せだろうかと憧れを抱かせてくれる。「若い川の流れ」は、その名の通り、明るく爽やかな青春映画だ。彼女は裕次郎の勤める会社の専務令嬢役。お見合い相手の裕次郎と同僚のOL三枝との恋愛ドラマの中で、彼女はしっかり者でちょっと理屈っぽい(当時の)現代女性を、生き生きと品良く演じている。テニスをする前に裕次郎が裸になって着替えるところを観察するシーン、純白のテニスウェアを着たまま彼と語り合うシーンは、何度見ても、芦川いづみの可愛らしさに吸い込まれてしまう。こんな日本人女優は他にいない。彼女は、清純派女優についての私の定義に最も適った理想のタイプといって間違いない。この確信は死ぬまで変わらないだろう。
 *最近「あいつと私」(中平康監督、裕次郎、芦川いづみ、吉永小百合が出演)のDVDが発売された。「陽の当たる坂道」はビデオ化されているが、「若い川の流れ」はビデオ化もされておらず、残念至極。是非DVDを発売してほしい。

「ウェストサイド物語」の思い出

2005年09月20日 20時52分58秒 | アメリカ映画
 映画監督のロバート・ワイズが亡くなった。91歳だった。ワイズと言えば、「ウェストサイド物語」と「サウンド・オブ・ミュージック」。どちらもミュージカル映画の記念碑的傑作で、最も多くの人々が見て感動した映画だった。もちろん私もその一人だった。「サウンド・オブ・ミュージック」は私が中学1年のとき封切られ、友達と一緒に横浜の映画館で見た。「ウェストサイド物語」は封切りのときではなく、高校2年の夏にリバイバル上映されたとき、日比谷の映画館で一人で見た。二本とも思い出深い映画だが、やはり私は「ウェストサイド」を初めて見たときの感動の大きさを今でも忘れない。
 もう36年も前のことだ。ちょうど青春の真っ只中で、見た時期も良かったと思う。この夏は「ウェストサイド」に振り回された夏だった。私は日比谷の映画館でこの映画を3度も見た。3度とも一人ぼっちで……。金のない高校生の頃、財布をはたいてこんなに入れ込んだ映画は他にない。レコードも買い、「トゥナイト」「マリア」「クール」「アメリカ」など、バーンスタインの名曲を繰り返し聴いた。なかでも「マリア」は心に滲み、英語の歌詞を覚えて自分でも歌っていた。物干し台に出て、月を見ながら歌っていたのだがら、狂っている。原作のシェイクスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」も読んだ。そして、若い男女の純愛に憧れた。その頃、片思いだったが、私には同級生にものすごく好きな女の子がいた。実は夏休みで彼女に会えないさびしさを「ウェストサイド」でまぎらしていたのだ。オレも彼女とあんな恋がしてみたい。マリア役のナタリー・ウッドと、恋する彼女が一つに合わさった。彼女への私の思いは、マリアに恋焦がれるトニーの心境と重なった。
 映画「ウェストサイド物語」のすばらしさは、私の個人的思い入れは別として、その恋愛ストーリーにあるのではない。ミュージカルの醍醐味を大画面を使って思う存分に表現したことにある。もっと具体的に言えば、青春のエネルギーと熱気をあふれんばかりに伝え、賛美したことにある。監督ワイズの演出もすごいが、なんと言ってもジェローム・ロビンスの振り付けがすばらしかった。主演の二人はそこそこだが、共演者のリタ・モレノ、ジョージ・チャキリス、ラス・タンブリンの踊りは、迫力満点!画面から汗が飛んで来そうだった。とくにリタ・モレノが「アメリカ」を歌い踊るシーンは、熟れた女の臭いがむんむんして、その色気にノック・ダウンされた強烈な印象が残っている。

「マドモワゼル」24時間の恋人

2005年09月19日 08時54分03秒 | フランス映画
 ビデオで「マドモワゼル---24時間の恋人」というフランス映画を見た。出張中の既婚女と演劇志願の男との行きずりの恋愛を描いた映画で、よく出来ていると思った。実は、ちょっと感動してしまった。最近の映画はつまらなくて、ビデオを途中で巻き戻してしまうものが多い。借りて損した、ときまって思う。だから、新作はめったに見ないことにしている。しかし、「マドモワゼル」は予想に反した。途中で「おっ、これは」と驚き、ひざを乗り出した。そして、最後までちゃんと見た。
 見た後で、なぜよかったのかと考えてみた。まず主演女優がよい。名前は知らない。はじめて見る女優だ。「マドモワゼル」と呼ばれて心躍る若いマダムを上品に自然に演じている。恋愛映画では女優が大事なのだ。輝いていなければならない。個人的に言えば、私はこのヒロインの女優が好きになってしまった。一方、男優の方はまあまあだった。及第点だが、少々薄汚い感じが気になった。フランスでは今大変人気のある俳優らしいが、これまた名前は覚えていない。別の日に私の女房もこの映画を見たそうだが、この男優がとても素敵だったと言っていた。男と女で見るところが違うのだろう。
 ストリーに関して言うと、フランス映画によくある取って付けたようなわざとらしさがない。ないというより、感じなかった。所々に奇抜なアイデアは仕組まれている。しかし、それが効果的でかえって印象に残る。三人組の余興演劇、灯台の置き物、灯台守の作り話など。この映画の監督は技巧派だと思った。
 二人の場面の最初と最後に、「ピクルスが好き?」と確かめ合うセリフがある。フランス語でピクルスは「コルニション」といい、「間抜け」の意味もある。ピクルス好きが共通点の男と女。その二人を巻き込む「間抜けな」出来事が、次第に笑えない不倫へと進んでいく。その展開がすばらしい。