背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

F・W・ムルナウ監督作品『ファウスト』(2)

2024年10月29日 01時34分29秒 | ボンクラ店長の雑記
 映画『ファウスト』は、ドイツの大手映画会社ウーファ(UFA)が巨額を投じて製作した大作であるが、いわば難産で生まれた映画であった。企画段階から脚本家および監督の決定、キャスティングからクランクイン(1925年9月)まで、そして長い撮影期間(クランクアップは翌26年5月)から編集段階を経て、完成版の公開(1926年10月)にこぎつけるまで、いろいろと紆余曲折があったようだ。その辺の経緯を少し調べてみたいと思う。


映画の最初の方にあるシーン、老ファウストは、イェスタ・エクマン

 ウーファ社は、ゲーテの戯曲「ファウスト」を映画化するにあたり、最初ルドウィッヒ・ベルゲル(脚本家で映画監督)が書いた脚本(『失われし楽園』)を基に、ハンス・カイザー(劇作家)に脚本を書き改めさせ、ベルゲルを監督にして撮らせようとした。これが出発点だった。

「キネマ旬報」(以下「キネ旬」)が過去の映画のデータを収録したウェッブサイトを見ると、映画『ファウスト』の紹介文は以下のようになっている。
「ドイツの文豪ゲーテが24歳から82歳までかかって書き上げたファウスト、それは古代ドイツの伝説である。多くの作家が或いは劇に或いは音楽にこの主題を取り入れているが、ウーファ社がこれを映画化するに当っては、著名な監督であり文学者であるルドウィッヒ・ベルゲルの書いた脚本『失われし楽園』を土台とし、ハンス・カイザー氏をして創作的な撮影台本を作り上げさせた」 
 映画『ファウスト』が日本で公開されたのは1928年3月初めだった。キネ旬のこの紹介文は、同年の1月号か2月号に新作映画の紹介として掲載された文章であろうが(未確認)、筆者は不明だが、配給会社からの宣伝材料を参考にして書いたものだと思う。
 実は、私がチラシの作品データを書いた時、原作にルドウィッヒ・ベルゲル「失われし楽園」を加えたのは、このキネ旬の記載に倣ったからで、あとでいろいろ調べてみると、原作にこの人の名前(ないし脚本の題名)があるデータは他にほとんど見当たらず、キネ旬の紹介文以外(それを転用したものは除く)だとドイツのウェッブサイト "FILMHISTORIKER. DE"(edited by olaf brill) の『ファウスト』のデータだけである。そこには、ルドウィッヒ・ベルゲルの脚本『失われし楽園』(Ludwig Berger's script "Das verlorene Paradies" )が挙げられている(これでドイツ語の原題も分かる)。
 
 ウーファ社がベルゲルに監督を任せようとしたという記述は、日本語版ウィキペディア(以下「ウィキ」)の『ファウスト』の説明文にあるのだが、根拠とした資料を調べる必要があるが、引用するとこうだ。
「当初ウーファはムルナウが『ヴァリエテ』に関わっていたため、この作品はルドウィッヒ・ベルゲルに撮らせようとした。しかしムルナウはヤニングスの助力とプロデューサーへの圧力で、最終的にエーリッヒ・ポマーを説得し、監督することになった」
「ムルナウが『ヴァリエテ』に関わっていた」という部分と、「プロデューサーへの圧力」というのは、具体的にどういうことなのか? また、そのプロデューサーとエリッヒ・ポマーとの関係も分からない。
 エリッヒ・ポマーは、数々のドイツ映画のヒット作を手掛け、当時飛ぶ鳥落とす勢いがあった若手プロデューサーで、ウーファをインターナショナルな映画会社に押し上げた立役者だった。『ニーベルンゲン』(1924年/ 監督フリッツ・ラング)、『最後の人』(1924年/ 監督ムルナウ)、『ヴァリエテ』(1925年/監督 E・A・デュポン)をはじめ、『ファウスト』のプロデューサーでもあった。

 問題のルドウィッヒ・ベルゲル(Ludwig Berger ルードヴィヒ・ベルガーと表記した方が良いかもしれない)がどういう人かと言うと、ドイツ語版ウィキによれば、1892年生まれのドイツの作家で、1920年頃には映画界に入り脚本と監督を手掛け、1923年に『一杯の水』で評価され、同年ウーファ社で『失くした靴』というシンデレラの映画を撮っている。『ファウスト』の製作者エリッヒ・ポマーがこの2本の映画の製作も担当していることにも注意したい。ベルゲルは、その後ドイツだけでなくフランスでも映画監督としての地位を築いていく。
 
 さて、F・W・ムルナウはウーファ製作の『最後の人』(1924年)で主演のエミール・ヤニングスとともに高い評価を得た後、映画『タルチュフ』(1925年)で再度ヤニングスと組んで、メガフォンをとっていた。撮影期間は1925年春の2か月だった。『タルチュフ』を撮り終え、続いてムルナウは『ヴァリエテ』を監督する予定だったのかもしれない。日本語版ウィキの記述はそのようにも受け取れ、それで、企画中の『ファウスト』の監督は最初ムルナウでなくベルゲルにオファーが行ったのかもしれない。これは推測にすぎないが、ムルナウは『ヴァリエテ』を監督するよりもむしろ大作『ファウスト』を監督したいと思い、ヤニングスの口添えも得て、ウーファの幹部に働きかけたのではあるまいか。さらに両作品のプロデューサーであるエリッヒ・ポマーをも説得し、『ファウスト』の監督をすることになった。その結果、『ヴァリエテ』の方は、E・A・デュポンが監督し、『ファウスト』はルドウィッヒ・ベルゲルが降板し、ムルナウに代わったのだと思われる。
 
 ハンス・カイザー(文学者で脚本家)に映画の脚本を依頼したのは、ウーファの製作者からであろうが、ムルナウの相棒的存在である脚本家のカール・マイヤーが脚本を担当しなかったのは、監督の決定前に、すでにカイザーに依頼が行っていたからであろう。カイザーが、脚本を書く際、キネ旬の紹介文にあるようにベルゲルの「失われし楽園」という脚本(まったく内容不明)を土台にしたのかどうかは、不明である。当初ゲーテの「ファウスト」第一部を基にしたことは確かだが、古いファウスト伝説とクリストファー・マーロウの「フォースタス博士」(ドイツのファウスト博士を題材にした世界初の戯曲)をどの程度参考にして取り入れたかは、分からない。別に比較検討する必要もあるまい。カイザーの脚本というのは、ストリーの展開と中間字幕(インタータイトル)がメインだと思うが、映画を見る限り、ムルナウの撮った映像と演出の占める部分の方が大きいと言えよう。
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F・W・ムルナウ監督作品『ファウスト』(1)

2024年10月28日 13時53分09秒 | ボンクラ店長の雑記
10月27日(日)昼の部「澤登翠&柳下美恵サイレント映画の旅」@壱岐坂ボンクラージュ
上映作品『ファウスト』(Faust ―Eine deutsche Volkssage)



1926年/ドイツ ウーファ /107分/DVD上映
監督:F・W・ムルナウ 製作:エリッヒ・ポマー 原作:ゲーテの戯曲、ルドウィッヒ・ベルゲル「失われし楽園」 脚本:ハンス・カイザー 撮影:カール・ホフマン
出演:イェスタ・エクマン(ファウスト)、エミール・ヤニングス(メフィストフェレス)、カミラ・ホルン(グレートヒェン)、ヴィルヘルム・ディーテルレ
文豪ゲーテの戯曲を基に古いファウスト伝説も加えてシナリオ化し、ドイツ表現主義映画の名匠ムルナウが監督。ムルナウの妥協しない演出と撮影所スタッフの優れた技術力により、映像美と特殊効果の粋を極めた記念碑的作品に仕上がっている。悪魔メフィスト役は、ドイツの名優エミール・へニングス。ウーファ(ドイツの映画会社)が巨額を投じて製作したが、採算は取れなかったという。ムルナウはその後フォックス社に招かれて渡米し、名作『サンライズ』を撮る。


以上がチラシに掲載した作品のデータと私が簡単に記した解説である。


メフィスト(ヤニングス)、若返ったファウスト(エクマン)、グレートヒェン(ホルン)

 古い外国映画を調べる時、私は、Internet Movie Data-base(IMDb)をまず参照しているが、『ファウスト』についてIMDbに投稿されているトリビア(コメント)をいくつか紹介(英文和訳は私)しておこう。このコメントは映画ファンが匿名で投稿したものなので、根拠となる資料が明記されておらず、真偽のほどが疑わしいものも多い。
●この映画は、1年後に『メトロポリス』が製作公開されまでは、最も製作費をつぎ込んだドイツ映画だった。
●撮影は6か月かかり、200万マルクの費用がかかった。しかし興行収益はその半分しか上がらなかった。
●ムルナウは、リリアン・ギッシュにグレートヒェンの役をやらせたかったが、リリアンはお気に入りキャメラマンであるチャールズ・ロッシャーが撮るべきだと主張した(※根拠となる資料が分からず、真偽不明)。で、ムルナウは代わりにカミラ・ホルンを登用。カミラは、ムルナウ作品『タルチュフ』(1925年)で、女優リル・ダゴファーの吹き替えをやっていて、その時ムルナウはセットでカミラと出会っていた。
●ファウスト役には、ジョン・バリモアが候補に上がったが(※根拠となる資料が分からず、真偽不明)、最後は、スウェーデンの俳優イェスタ・エクマンになった。
●ハンス・カイザーの脚本で映画がすでに撮られた後、ウーファー社はカイザーの脚本が気に入らず、彼の反論を無視して、ドイツの作家ゲアハルト・ハウプトマンに脚本を依頼した。しかし、ウーファー社はハウプトマンの脚本がそれ以上に気に入らず、結局、映画はカイザーのオリジナル版で公開された。
<つづく>

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