背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

「悪魔のような女」

2005年12月26日 03時32分50秒 | フランス映画
 アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督のフランス映画「悪魔のような女」を見た。10年以上前にテレビで放映したものをビデオに録画しておいたのだが、なぜか見ていなかった。私の家にはこんなビデオがたくさんあり、最近になって見ていない映画を努めて見るようにしている。「悪魔のような女」は、なにしろすごい映画だった。恐くて気味の悪い映画の傑作だと思った。
 この映画は寄宿制の学校が舞台で、横暴な校長(ポール・モリス)を、彼の愛人の女教師(シモーヌ・シニョレ)と校長夫人(ベラ・クルーゾー)とが共謀して殺害する話である。しかし、殺してプールに棄てたはずの校長の死体が消えてしまったり、不可思議な出来事が次々に起こって、最後には思ってもみないようなどんでん返しがある。どんでん返しと言えば、ビリー・ワイルダー監督の「情婦」のラストが思い浮かぶが、「悪魔のような女」もそれに勝るとも劣らず意表を突いたものだった。これは映画を見てのお楽しみということにして、あらすじを詳しく書くのも控えよう。また、怖気(おぞけ)を覚えるいくつかのシーンもあえて書かないでおく。ともかく、校長、愛人、校長夫人の三人の迫真の演技は見ものである。そして何と言っても、白黒映画であるのが良かった。恐い映画はやはり白黒がいい。また、効果音も恐さを増幅していた。クルーゾー監督の演出の冴えは随所に感じられたが、特に小道具の使い方が絶妙だと思った。殺しに使う重しの置物、死体を包むテーブルクロス、荷物入れの大きなかご、洗濯して届けられた死人の背広、ライター、サッカーのボールなど。
 クルーゾーという監督はヒチコックと並び称されるサスペンス映画の名手とだと言われているが、残念ながら私はあの有名な「恐怖の報酬」をまだ見ていない。クルーゾーの映画は「スパイ」を3ヶ月ほど前に見ただけである。これも昔録画したビデオだったのだが、「スパイ」も恐くて気味の悪い映画だった。しかし、これは大した作品だとは思わなかった。私はヒチコックの映画が大好きだが、「スパイ」と「悪魔のような女」を見た限りでは、サスペンスの質がヒチコックとはずいぶん違うように思えた。ヒチコックの映画の恐さは日常性の中に潜む人間の狂気にあり、予想し得る不安が現実化していく過程に緊張感を覚えるのだが、クルーゾーの映画はおどろおどろしていて、状況設定の異様さと予想を超えた出来事の連続にサスペンスの特徴がある。「サイコ」と「悪魔のような女」を見比べてみると、そうした質の違いがよく分かるかと思う。
 この「悪魔のような女」は90年代にアメリカでリメイクされたらしいが、こちらの方は見ていないので、なんとも言えない。が、どうせ、猿真似の好きなアメリカ人の低俗なリメイク版に過ぎないのではないかと思っている。

<ウィスキーに薬を混入するシーン。ベラ・クルーゾーとシニョレ>

<校長役のポール・モリス>
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桃井かおり

2005年12月22日 01時00分36秒 | 日本映画

 桃井かおりは、私と同年同月に生まれたこともあって、ずっと親近感を抱いて見てきた女優である。彼女は、不可思議な魅力があり、言動も奇抜で、映画女優の概念を塗り替えた張本人だとも言える。同時期(70年代前半)にデヴューし、私と同世代の女優には、秋吉久美子、関根恵子(現在高橋姓)、松坂慶子、岡崎友紀などがいたが、桃井かおりだけが今も生き残っているようだ。松坂慶子はこの間テレビ・ドラマで母親役をやっているのを見かけたが、もう主役を張るだけの人気も美貌も消えてしまった感がある。ずいぶん中年太りしたなあ、という印象を受けた。桃井かおりは、53歳になった今でも、相変わらず魅力的だし、あの独特な個性を発揮し続けている。テレビで歌番組の司会をやったり、CMに竹中直人と出演したり、世間の注目度も依然衰えていない。こんなことを書いている私は、実を言うと、桃井の出演した映画をこの20年以上見ていない。ただ、現在も活躍している彼女の姿をテレビで見て、ほっとするというか、励まされるような気持ちになる。私はそんな勝手なファンの一人なので、桃井の出演したお気に入りの映画も70年代後半から80年代にかけての作品に偏っている。
 桃井かおりを初めて見た映画は確か日活ロマンポルノだった。秋吉久美子と混同しそうなので、調べて見たところ、藤田敏八監督の「エロスは甘い香り」だったようだ。ただ、この映画、内容をすっかり忘れてしまったので、コメントのしようもない。ヌードになった気もするが、確かではない。
 「もう頬杖はつかない」は、桃井の個性が十分発揮された映画だった。監督は東陽一、共演は若き日の奥田瑛二。この映画もずいぶん昔に一度見た限りなので、記憶が定かではないが、若い男と女の同棲生活を面白おかしく描いていた。男女の気持ちのズレと互いに通じ合えない歯がゆさ、育ちや習慣の違いから起こる苛立ちなどを、いかにも東陽一のタッチで映像化した作品で、桃井の出世作だったと言える。

 特に印象に残っているのは、奥田が桃井の歯ブラシを使って歯を磨いていたところ、それを見つかって、桃井になじられるシーンだ。きょとんとした奥田を尻目に、歯ブラシをもぎ取った桃井が、水道水で入念に洗いながら、「何、この人!もういやだ。そんなことやめてよねー」みたいなセリフで、ぼやきまくる。そのブーたれた表情がいかにも桃井らしかった。演技なのか、地なのか、境目が分からない。けだるく、気まぐれで、突然むかっ腹を立てる。こんな女と同棲したら、男は大変だなあ、とつくづく思ったが、その反面、女優桃井かおりの魅力に私は感服してしまった。
 松本清張原作、野村芳太郎監督の「疑惑」は桃井かおり主演の傑作である。桃井は、金持ちの老人の愛人役で、「熊子」という名前の悪女を見事に演じている。この映画の桃井は最高に良かった。タバコをプカプカふかして、記者団のインタヴューに答えるときの熊子の開き直った、あのふてぶてしい態度は、目に焼きついて離れなかったほどだ。まさに桃井かおりの独壇場だった。共演の岩下志麻を完全に食ってしまった。

 もう一つ、五木寛之原作、蔵原惟繕監督の「青春の門、自立編」の桃井かおりが素晴らしかった。いや、こんな美しい彼女を見たのは初めてだった。主役は若き日の佐藤浩一で、新宿の赤線に女を買いに行くのだが、そこで現れる妖艶な娼婦が桃井かおりなのだ。この映画で桃井は脇役に過ぎなかったのだが、その存在感は際立っていた。
 ほかに「幸福の黄色いハンカチ」の桃井も良かったが、この作品自体が私はあまり好きでないので、彼女の魅力を語るはここまでにしておこう。
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「憎いあンちくしょう」

2005年12月21日 02時19分42秒 | 日本映画

 1ヶ月近く記事を書かなかった。実は、仕事で超多忙の日々が続き、映画を1本も見られなかったからだ。ようやく仕事も一段落。これからまた好きな映画のビデオをゆっくり見られる時間が持てそうだ。また、買い貯めした中古ビデオも30本近くあるので、気に入った映画があれば、まめに感想を書いていこうと思う。
 ブログ再開にあたり、まず取り上げたい映画は、石原裕次郎と浅丘ルリ子が共演した「憎いあンちくしょう」である。昭和37年公開の日活作品で、山田信夫の脚本を蔵原惟繕が監督した話題作だった。ビデオを見たのは今度が二度目で、初めて見たときよりもずっと面白く感じた。題名も変わっているが、映画の内容も常識はずれなのだ。男と女の愛を描いた映画にしては、ちょっと類を見ない作品だと言える。
 マスコミで売れっ子の新進作家を裕次郎が、そのマネージャーをルリ子が演じている。実はこの二人、恋愛関係にあるのだが、仕事の契約上から、決して肉体的接触を持たないという取り決めを頑なに守っている。裕次郎の方が次第にじれて来て、ルリ子に迫ろうとするのだが、あえなく拒まれてしまう。裕次郎がその愛に疑問を抱き始めたちょうどそのとき、新聞の求人欄で、変った広告を見つける。それは、中古のジープを東京から九州まで無料で運送してくれる人を求む、というものだった。広告主は若い女(芦川いづみ)で、こつこつ働いて買ったジープを、九州の僻村で医者をしている恋人の男(小池朝雄)にプレゼントしたいというのだ。裕次郎はこの話に感動し、番組をすべてキャンセルする覚悟で、ジープを運ぶ役を買って出る。マネージャーのルリ子は引き止めようと説得するが、裕次郎はそれを振り切って、ジープに乗って東京を出発してしまう。彼の後を車で追いかけるルリ子。映画の3分の2はこうした追跡劇なのである。
 少々あらすじが長くなったが、この映画の面白さは状況設定の特異性にあると思う。まず、遠距離恋愛の男女(いづみと小池)と近距離恋愛の男女(裕次郎とルリ子)との対比があり、そして、愛を信じて疑わない女(いづみ)と愛を信じられなくなった男(裕次郎)の対決がある。結局、裕次郎とルリ子の二人が互いに追い求めあう行動の中で愛を高め、本当に結ばれる。それに対し、遠距離にいる男女の愛は崩れ去り、愛を信じていた女(いづみ)は皮肉にも恋人の男に裏切られてしまう。この映画で蔵原監督が描きたかったのは、愛はスタティック(静的)なものではなく、ダイナミック(動的)なものであり、行動によってそのボルテージが高まるという「愛の力学」にほかならない。
 「憎いあンちくしょう」は、ストーリーの意外な展開に加え、スピード感あふれる画面構成が素晴らしい。とかく陳腐になりがちな愛のドラマを大胆に映像化した稀な作品である。この映画は今見ても決して古くない。むしろ新鮮に感じた。特に、浅丘ルリ子の熱演ぶりが見もので、彼女のキュートな魅力が遺憾なく発揮されていることを付け加えておきたい。

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