背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

『ゲッタウェイ』

2013年12月31日 02時03分31秒 | アメリカ映画
 『ブリット』の補足。監督はイギリス人のピター・イェーツ。彼は『ジョンとメアリー』(ダスティン・ホフマンとミア・ファーロー)の監督としても知られている(この映画、不思議な恋愛映画だったなあ)。イギリスの演劇界の出身で、自動車狂で一時期レーサーをやっていたこともあるという。マックイーンもプロはだしのレーサーだったから、二人の車にかける情熱が、『ブリット』のカーチェスに結実したと言える。


マックイーンとピター・イェーツ

 音楽のラロ・シフリンについては前回も少し触れたが、アルゼンチン出身の音楽家である。ラテン音楽からジャズを始めた才人で、トランペッターのディジー・ガレスピーの楽団の作曲を手がけていた。テレビと映画の音楽を担当し、数多くのテーマ曲を残している。テレビでは「ナポレオンソロ」と「スパイ大作戦」、映画ではマックイーンの『シンシナティキッド』『ブリット』のほかに、『燃えよドラゴン』『ダーティハリー』の音楽でも有名だ。
 私の世代では、映画音楽と言えば、若手ではラロ・シフリン、フランシス・レイ、バート・バカラック、クインシー・ジョーンズの4人の印象が強烈である。なかでもシフリンの音楽は、バックに流れるとワクワクして、身体がゾクゾク震えるほどカッコいい。「スパイ大作戦」の音楽などその最たるものだろう。

 さて、『ゲッタウェイ』。音楽はクインシー・ジョーンズ。彼はジャズの作曲家、編曲者で、私はジャズが好きなので、彼のLPレコードは買ってよく聴いたものだ。「Walking In Space」「Smackwater Jack」。どちらもジャズのレコードとしては大いに売れて大ヒットした。映画音楽でクインシーの名を一躍有名にしたのは『夜の大捜査線』(ノーマン・ジュイソン監督、ロッド・スタイガー主演)であろう。
 『ゲッタウェイ』は、「ボニー・アンド・クライド」(若いアメイカ人カップルの実在したギャング)の現代版である。私が高校生の頃封切られ、衝撃を受けたアメリカ映画は、何と言ってもこのボニー・アンド・クライドを描いた『俺たちに明日はない』(アーサー・ペン監督、フェイ・ダナウェイのボニー、ウォーレン・ビーティのクライド)だった。そのすぐあと大ヒットした『明日に向かって撃て』(ジョージ・ロイ・ヒル監督)は、これより一時代前の列車強盗の男二人組ブッチ・アンド・サンダンスを描いたもので、この映画はもともとポール・ニューマンとスティーヴ・マックイーンの共演作のはずだったと聞く。マックイーンが出られなくなって、当時まだそれほど有名ではなかったロバート・レッドフォードが代演し、人気スターになった経緯がある。アラン・ドロンとベルモンドの『ボルサリーノ』は、『明日に向かって撃て』のフランス版であった。
 60年代半ばから70年代前半は私が一番洋画を見ていた頃なので、つい話が脇道にそれてしまうが、あの頃のヒット作はあれからほとんど再見していない。来年は、青春時代に見て感動した映画をできる限り見直そうと思っている。



 『ゲッタウェイ』の監督はサム・ペキンパーである。ペキンパーは、今でも愛好する映画ファンが多いようだが、彼の映画の特長は、西部劇にしろ現代劇にしろ、その過激さにある。荒くれ男のアクションを描かせたら、彼の右に出る者はいないのではあるまいか。ペキンパーは、遅咲きの監督で、全盛期が60年代終わりから70年代後半だった。私の個人的な好みから言うと、彼の描くヴァイオレンス(動物的な凶暴さ)と反フェミニズム(よほどの女性不信なのだろう、女性蔑視すら感じる)にはついていけないこともあり、この監督は精神異常なのではないかと思うこともある。『わらの犬』を初めて見た時は、その凄さに圧倒されたが、あとで映画館を出てからなんとも後味の悪い嫌な映画を見てしまったと思ったものだ。が、『わらの犬』を見た時の衝撃はいまだに忘れられない。
 『ゲッタウェイ』は、さすがに大物スターのマックイーンが主演であり、相手役が人気上昇中のアリ・マッグローだったので、ペキンパーもこの二人を生かした映画作りには相当苦労したのではあるまいか。アウトローをアンチ・ヒーロー的に造型し、女性を嗜虐的に描くことは、ペキンパーの得意とするところだが、マックイーンは、アンチ・ヒーローには適さない俳優であり、マッグローもセクシーさのない女優である。アウトローをヒーロー的にカッコよく描きながら、夫婦愛の復活のようなテーマも取り入れたので、ペキンパーにとっては柄にない映画になってしまった。また、ところどころで首をかしげたくなるような話の展開があり、サブストーリー(アル・レッティエリ扮する強盗の凶暴な男が田舎医者の夫婦を連れて旅行するところ)にペキンパーらしさは出ていたが、ハッピーエンドの終り方にも甘さがあって、全般的にちぐはぐな感じを受けた。
 ボニー・アンド・クライドのアメリカの暗い恐慌時代なら成り立つことでも、これを現代に移し変えて、正義感(?)あるヒューマン(?)な銀行強盗を描くことにも不自然さがあったと思う。『ブリット』も後年の『ダーティハリー』も刑事が主役だから、ハードボイルドな勧善懲悪ストーリーも生かされたわけで、この現代にギャングのカップルが大金を奪って逃走しても、観客は彼らの行為にヒューマンな共感も胸がすくような快感も感じないし、そう易々と喝采できないと思う。まあ、映画は必ずしも観客の喝采を浴びなくても良いし、反社会的な行為を映画の世界に求めるという観客の願望を満たすこともあるので、何とも言えないが……。
 
 『ゲッタウェイ』のマックイーンは最初、囚人なのである。刑務所の中での様子がかなり克明に描かれ、彼は模範囚なのだが、束縛された状況に耐えられなくなっている。そこで、面会に来た妻のアリ・マッグローに、町の有力なギャングのボス(ベン・ジョンソン)に自分を売るからそれを伝えろと言う。ボスは裏取引をしたのか高い保釈金を払ったのか知らないが、マックイーンを出獄させるように取り計らい、マックイーンは、刑務所から出て来る。ここからストーリーが始まるのだが、その恩義のために一匹狼に近いプロの強盗のマックイーンが妻とともに、田舎の町のボスに命令され、無能で頭のイカれた相棒まで付けられて銀行を襲撃することになる。何とか800万ドルを盗んで、二人は裏切ったボスを殺して逃走するのだが、途中で手違いがあって、犯行が露見し、警察に追われる羽目になる。最後はメキシコに逃げ込んで、夫婦の絆を取り戻し、ジ・エンド。
 見どころは、やはりアクションシーンである。銀行強盗の場面と安ホテルでの銃撃戦は迫力満点で、固唾を飲む。
 また、ゴミの回収車に二人が閉じ込められ、押しつぶされそうになるところと、二人が車からゴミ捨て場に放り出されるところは、40年ほど前に見たにもかかわらず、はっきりと記憶に残っていた。ゴミの中で夫婦愛を確かめ合うという奇想天外な名場面である。
 この映画で、マックイーンは、共演のアリ・マッグローと大恋愛し、糟糠の妻と別れまで結婚したが、亡くなる二年前にアリ・マッグローとも離婚している。マッグローは、『さよならコロンバス』でデビューし、『ある愛の詩』で一躍スター女優になっていたが、調べてみると、清純派どころか恋多き女性で、マックイーンが三度目の夫だった。彼女も二番目の夫と離婚して、マックイーンと結婚したようだ。彼女は1939年生まれで、『ある愛の詩』の時、30歳を越えていたことを今になって知った。もっと若いと思っていた。ついでに、私が当時好きだったキャサリン・ロスは1940年生まれで、なんだ、彼女も『卒業』の時は27歳だったのか。
 

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『ブリット』

2013年12月27日 00時44分38秒 | アメリカ映画
 スティーヴ・マックイーンが亡くなったのは1980年11月。もう33年前になるが、ガンに全身を冒され、50歳であの世へ行ってしまった。
 マックイーンの全盛期は約10年で、作品数も少なかったが、忘れられぬスターである。30歳代のマックイーンはカッコ良くて、私が一番好きな外国の男優だった。テレビの「拳銃無宿」も良かったが、マックイーンが大好きになったのは、やっぱり『大脱走』を見てからだった。『荒野の七人』でもマックイーンは目立っていたが、あの映画のマックイーンは黒澤明の『七人の侍』の三船敏郎の役だったのだろうか。なんか違うような気もする。ユル・ブリンナーが志村喬の役で、一番若いホルスト・ブッフホルツが木村功の役で、チャールズ・ブロンソンとジェームス・コバーンは? まあ、どうでもいい。
 マックイーンの映画を欠かさず見るようになったのは、『シンシナティキッド』以降である。見た順番は確かでないが、『ネバタスミス』『砲艦サンパブロ』『華麗なる賭け』『ブリット』『華麗なる週末』『栄光のル・マン』『ジュニア・ボナー』など、どれも封切りで見た。それ以来見ていないが、また見たい映画ばかりだ。『大脱走』と『シンシナティキッド』を見て、マックイーンのファンになった人がほとんどだったと思うが、私も同じだった。あの頃は、「スクリーン」とかの日本の映画雑誌ではマックイーンが外国男優部門の人気投票ナンバーワンだった。ポール・ニューマンやアラン・ドロンも人気があったが、60年代後半はマックイーンの時代だったと思う。
 最近になって、またマックイーンの映画が見たくなり、何ヶ月か前に大好きな『シンシナティキッド』を見直したが、やっぱり良かった。マックイーンが売り出し中のポーカーの名手で、老練な達人のエドワード・G・ロビンソンに挑戦するというストーリー。『シンシナティキッド』は、中学2年の時に一人で目黒のスカラ座で観て大感激した映画だ。相手役の女優はセクシーなアン・マーグレットと清純派のテューズデイ・ウェルド。私はテューズデイ・ウェルドという可愛い新進女優にコロッと参ってしまった。賭場のあるアパートの裏で彼女がポロポロと涙を流して待っているシーンがあって、マックイーンが慰めるのだが、その場面が大変印象的で胸を打った。当時は、スター中心で映画を観ていたので、監督や音楽担当者の名前など覚えなかったが、『シンシナティキッド』は監督がノーマン・ジュイソン、音楽がラロ・シフリンだった。音楽がジャズで大変良かったのはよく憶えている。ラロ・シフリンは、その後、売れっ子の映画音楽作曲者になった。『ブリット』もそうだ。監督のノーマン・ジュイソンも、その後、『夜の大捜査線』を大ヒットさせ、一躍有名になった。マックイーンとは『華麗なる賭け』で再びコンビを組む。

 TSUTAYAヘ行って、マックイーンの傑作2本のDVDを借りてきた。『ブリット』と『ゲッタウェイ』。どちらも、封切りで見て、それから淀川さんの日曜洋画劇場のテレビで見た覚えがあるが、もう一度ちゃんと見るのは40年ぶりくらいだ。

  

 『ブリット』は、今見ても傑作であると思った。見せ場は何と言っても、カーチェイス。緑のムスタングに乗った刑事のマックイーンが殺し屋を追い駆けるシーンは、息もつかせぬ迫力だった。今の映画はCG全盛で、目まぐるしい上に音楽と効果音が大きすぎ、ゴマカシばかりで、ちっとも感心しないが、この当時のアメリカのアクション映画は現場主義で、プロの活動屋が最大限の情熱を傾け、カットカットを撮影しているので、見ていて感服してしまう。『ブリット』のカーチェイスは、もう二度と作れないシーンの連続である。尾行していた殺し屋の大型車を、逆にマックイーンの車が後ろに付いて追うことになり、そこからが凄い。マックイーンの刑事ブリットが絶対逃さんとばかり追い詰めていく。サンフランシスコの坂道をぶっ飛ばし、段差をジャンプしたり、対向車をよけたり、高速道路で発砲する殺し屋の車に体当たりしたり、追跡シーンが延々20分は続く。『フレンチコネクション』も凄いが、クールなマックイーンの方が、凶暴なジーン・ハックマンより断然カッコいい。マックイーンは正統派スターでヒーローだからだ。
 『ブリット』のストーリーは、それほど大したものではない。代議士のロバート・ヴォーンの役も類型的で胡散臭いし、マックイーンの女房役のジャクリーン・ビセットも大して魅力的ではない。共演者では相棒役がいい味を出しているが、その他の脇役はまずまずで目立つ俳優はいない。途中で死んだギャングが実は替玉だったと判明するところは面白いが、まあストーリーとしては二級品である。この映画は、はっきり言って、マックイーンの魅力と追跡場面の迫力で持っている作品である。が、そうだとしても、無口でクールな辣腕刑事を演じたマックイーンの魅力は群を抜いている。一流スターというのは、そこに居るだけで絵になり、観客の眼を釘付けにし、決して臭い芝居やアクの強い演技はしないのだが、『ブリット』のマックイーンがまさにそうだった。マックイーンのセリフ(英語)は、短いフレーズをボソボソと言うだけで、顔の表情もほとんどポーカーフェイスである。ただ、思ったことをどんどん行動に移していく男で、その一挙手一投足に惹きつけられるのだ。女にデレデレしないところも良い。男の仕事に口を出すな、あっち行ってろという感じである。
 ラストの空港での追跡シーンも見せ場だったが、ハラハラドキドキする点では今一歩か。
 最後にマックイーンが家に帰って、拳銃を置き洗面器で顔を洗ってこの映画は終るが、この終り方は思わせぶり(つまり今後も刑事を続けるのかどうか不明)だが、余韻があって私は好きだ。

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『シンシナティ・キッド』(追記)

2012年05月03日 22時07分54秒 | アメリカ映画
 この映画のデータは以下の通り。(他の代表作)

シンシナティ・キッド The Cincinnati Kid
1965年10月公開 103分カラー 配給M・G・M
製作:マーティン・ランソホフ
監督:ノーマン・ジュイソン(『夜の大捜査線』『華麗なる賭け』『屋根の上のバイオリン弾き』『ジーザス・クライスト・スーパースター』)
原作:リチャード・ジェサップ
脚本:リング・ラードナー・JR (『M・A・S・H』)
   テリー・サザーン(『博士の異常な愛情』『バーバレラ』『イージーライダー』)
撮影:フィリップ・ラスロップ(『ピンクの豹』『ひとりぼっちの青春』)

 気がついたこと、ちょっと調べてみたことをいくつか補足しておきたい。
 この映画の製作時、シンシナティ・キッドを演じたマックィーンは何歳だったのか――1930年3月24日生まれだから35歳。意外と年をとっていたんだなと思う。彼は1980年11月7日、肺がんで死去。50歳だった。
 この映画のテーマは何か――実績も積み自信満々の若い男が百戦錬磨のベテランに自慢の鼻をへし折られ、まだ年季が足りないことを思い知る。キッドが靴磨きの少年とコイン投げをして、少年を負かすたびに「まだ年季が足りないよ(You just are not ready for me yet!)」と言っていたが、この警句が最後は自分に跳ね返ってくるという結末。そして、男が仕事に人生を賭けて一流になるためには、女は障害になり得る。ランシー・ハワード(エドワード・G・ロビンソン)がキッドに忠告する場面があって、そんなことを言っていたことが妙に耳に残る。
 大勝負に負けてキッドの今後はどうなるのか――すっからかんになってランシーに5000ドル(180万円くらいか)の借金が残ってしまったわけで、またギャンブラーとして再起するのだろう。確かラストだったと思うが、公開時に観た時には、恋人のテューズデイ・ウェルドがレインコートを着て泣きじゃくりながらキッドを待っているシーンがあったはずで、ここが大変印象に残っていたのだが、なぜかビデオにはなく、不思議に思う。記憶違いなのか?


(『シンシナティ・キッド』のビデオジャケット)

 キッドがどういう人間なのか、今ひとつ曖昧だった――原作の小説を読んでいないので分らないが、映画を観る限りキッドの経歴はナゾで、これは脚本家が意図的にそうしたのだと思う。両親のことも生い立ちのことも不明で、多分シンシナティで貧しく育ったのだろう。三度登場する黒人の靴磨きの少年のように負けず嫌いで、ポーカーの腕を磨いていったことを暗示するだけだった。また、恋人のクリスチャンとどのように出会ったのかも不明のまま。孤独な一匹狼的ギャンブラーなので、それで良いのかもしれないが、恋人のクリスチャン(テューズデイ・ウェルド)が単にセックスの対象のようでもあり、キッドの気持ちはつかめず。メルバ(アン・マーグレット)に迫られて、キッドは関係を持ってしまうが、二人だけでいる現場をクリスチャンに目撃されて、その後どうなったかは割り切れないままに終った。キッドがクリスチャンの肩を抱いて慰めるシーンがあったような気がしてならない。ビデオではカットされたのではないかという疑問が残る。
 真面目なシューター(カール・マルデン)が、地元の有力者スレードに脅され、キッドが勝つように八百長を試みるが、妻のメルバになじられた上、またキッドにも問いただされて告白するという筋立ては、どうも説得力を欠き、安易な感じがした。シューターという男の人物描写が破綻していたように思う。
 ディーラーのレディ・フィンガーズ(ジョーン・ブロンデル)が年寄りの知人ギャンブラーたちの名を挙げ、次々に死んでいるといった不吉な話ばかりを旧友のランシーに言うところが楽屋噺のようで面白い。
 ビデオの付録にある解説(日野康一)によれば、製作者のマーティン・ランソホフは、当初、監督にはサム・ペキンパー、相手の大物ギャンブラーにはスペンサー・トレーシーを予定していたとのこと。が、ペキンパーとはそりが合わず、撮影開始3日目で衝突、急遽ノーマン・ジュイソンに替えたという。また、スペンサー・トレーシーは病気で降り、エドワード・G・ロビンソンになったといういきさつ。
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『シンシナティ・キッド』

2012年05月03日 04時12分22秒 | アメリカ映画
 歴代のアメリカ人男優スターで誰が一番カッコいいと思い、誰に一番憧れていたかと問われれば、私の場合、断然スティーブ・マックィーンである。私とほぼ同世代の人たち、昭和30年代後半にティーンエージャーだった男子の多くは、マックィーンのファンだったと思うし、このように問われれば、まずスティーブ・マックィーンを上げるのではなかろうか。ちょっと上の世代なら、ポール・ニューマンとかマーロン・ブランド、もっと上の世代なら、渋いところでハンフリー・ボガードなんて言うかもしれない。女子たちのことは分らないが、私より上の世代の女性なら、ジェームス・ディーン、同世代なら、ロバート・レッドフォードを上げるのかもしれない。それはともかく、私は正直に言って、スティーブ・マックィーンである。
 小学生の頃、テレビで「拳銃無宿」という西部劇をやっていて、毎週欠かさず見ていた。その主役がマックィーンだった。同じ頃、映画『荒野の七人』(1960年)が封切られ、その七人の一人がマックィーンだった。彼を目当てに映画を観に行った客が多かったのではあるまいか。私もそうで、最後にマックィーンが死ななかったので、ほっとした覚えがある。七人のうちリーダー格のユル・ブリンナーは有名だったが、ジェイムス・コバーンもロバート・ヴォーンもチャールズ・ブロンソンもまだ無名に近かった。
 が、スティーブ・マックィーンの人気を決定づけたのは、やはり『大脱走』(1963年)だったと思う。この映画は、脱走モノでは最高に楽しい娯楽作で、マックィーンの魅力が満ち溢れていた。
 スティーブ・マックィーンという俳優は、孤独なヒーローを演じても、茶目っ気があり、人情味と親しみやすさがあった。ハードボイルドでも、人に優しいところがあり、老人にも子供にも気をつかい、また女に対してもベタベタしないし、かといって決して女を邪慳にしないところが良かった。そのさりげなさが男らしく、カッコ良かったのだと思う。



 『シンシナティ・キッド』(1965年)は、中学生の頃観て、マックィーンの魅力に完全に取りつかれた映画である。先日久しぶりにビデオで再見し、やっぱりマックィーンの素晴らしさを再認識させられた。私は今でもスティーブ・マックィーンのファンなんだなとつくづく実感した。この映画はポーカーの新旧勝負師の対決を描いた作品だが、勝負師でもビリヤードの対決を扱った作品にはポール・ニューマンの『ハスラー』があり、こちらの方が作品的には優れていると思うし、私はポール・ニューマンのファンでもあるが、どちらが好きかと言われれば、やはり、『シンシナティ・キッド』である。
 昔映画館で観て感動した映画を今になってまたビデオやDVDで観ると失望することがあり、観なきゃ良かったと思うことがある。だから、半面観ない方がいいかなと思いながら、恐る恐る観る。先月だったが、高校の頃観て大感動したアラン・ドロンの『冒険者たち』をビデオで再見したら、それほどでもなく、がっかりした。しかし、『シンシナティ・キッド』は、失望どころか、以前気づかなかった新たな発見も得られて、改めて感心した。
 この映画の監督は、当時まだ駆け出しのノーマン・ジュイソンだが、登場人物の最初の出し方が実にうまいと思った。主役のマックィーンは冒頭すぐに登場するが、クレジットタイトルが終った後、賭博場での再登場の仕方が実にカッコいい。相手の名人を演じるエドワード・G・ロビンソンは、汽車の煙の中から忽然と現れ、猿回しの猿にチップをやって、ニューオリンズの高級ホテルに乗り込んでくる。次がカール・マルデン、その次に恋人役のテューズデイ・ウェルドが登場して、最後にセクシーなアン・マーグレットという順。それぞれ初登場のシーンから個性を際立たせた演出ぶり。テューズデイ・ウェルドは当時この映画で初めて観て好きになった女優だが、今観ると、それほどでもない。可愛いが、喋り方が甘ったるく、知的魅力に欠けるような感じだ。


(テューズデイ・ウェルド)


(エドワード・G・ロビンソンとマックィーン)

 後半に老女のディーラー(配り手)が登場し、このベテラン女優が大変印象的なのだが、彼女はジョーン・ブロンデルと言って、戦前の大スターだったことを今になって知った。
 冒頭の葬式シーンと途中の闘鶏シーンはドキュメンタリータッチの撮影で臨場感があって良かった。また、ちょっとだけだったが酒場で歌うおばさんジャズシンガーと年老いた演奏者は一体誰なのか、知りたいと思う。


(若き頃のジョーン・ブロンデル)

 音楽は、まだ無名だったラロ・シフリン。ラストにレイ・チャールズの主題歌が流れる。
 『シンシナティ・キッド』は、今にして振り返れば、新旧とりまぜた俳優とスタッフの意欲作であり、スティーブ・マックィーンにとってもその後10年の活躍を予測しうる作品だったと言える。かく言う私も、この映画を観て以後、マックィーンの映画が掛かれば、必ず映画館へ足を運ぶことになった。『ネバダスミス』、『砲艦サンパブロ』、『華麗なる賭け』、『ブリット』、『栄光のル・マン』、『ゲッタウェイ』、『ジュニア・ボナー』、『パピヨン』、『タワーリング・インフェルノ』など、今でもまた観たいと思う映画ばかりである。


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『緑園の天使』

2010年04月18日 02時57分56秒 | アメリカ映画

 エリザベス・テーラーとミッキー・ルーニーの『緑園の天使』をビデオで観た。戦前の名子役二人の共演作である。1944年に製作されたMGMのカラー映画で、原題は“NATIONAL VELVET”。映画を観る前にこの原題を見たとき、どういう意味なのか分からなかった。VELVETはふつう、布地のビロードのことだし、それに形容詞のNATIONALが付いて、「国産のビロード」のことかな?変なタイトルだなと思っていた。邦題の『緑園の天使』とも結びつかない。が、映画を観て、やっと分かった。VELVETというのはリズ(エリザベス・テーラー)が演じる女の子(13,4歳くらい)の名前ではないか。名前としては風変わりなので、きっと愛称なのだろうと思って観ていたが、どうやら本当の名前(ファーストネイム)だった。それに、ベルベットというこの女の子も相当変わっていて、馬が異常なほど好きなのだ。彼女は、村人に買われてやって来た荒馬を愛し始め、この馬をもらいうけ、調教して、なんとロンドンの競馬に出走させようという夢に取りつかれる。この物語、イングランドの片田舎に住む一家の話で、時代は1920年代。要するに、子供が抱く大きな夢をついに実現させるというサクセス・ストーリー。結末を言えば、彼女の愛馬はロンドンの檜舞台で大活躍し、一着でゴールインする。(しかし、規定違反で失格してしまうのだが…)。それで、NATIONALという意味もやっと判明。ベルベットは一躍「国民的な」有名人になるわけで、原題の“NATIONAL VELVET”は、「国民的ヒロイン・ベルベット」ということだった。
 ミッキー・ルーニーの役は、放浪児で、名前はマイ、年齢は推定16,7歳。彼は、死んだ父親の手帳に書かれた知人の住所を尋ね歩いている。一時期競馬の騎手だったが、落馬して挫折したらしい。夏のある日、彼がベルベットの家を訪れ、ここに住み込み、精肉店をやっているベルベットの父親の仕事を手伝うことになる。そして、物語は、パイという荒馬、馬が大好きなベルベット、騎手を挫折したマイ、この三者に、ベルベットの父親、母親(若い頃英仏海峡を泳いで渡ったという経歴の持ち主で、その時の水泳のコーチがマイの父親だった)、それに姉二人と弟が加わって、進展していく。
 この映画、内容的にはちょっと信じられない出来事が次々に起こる一種のおとぎ話である。でも、子供が見たら、ハラハラドキドキの連続で、とても喜ぶ映画であることに間違いない。大人(の私)が見ても、内心絵空事にすぎないとは思うものの、かなり楽しんで見られる映画であった。とくに、最後は圧巻だった。競馬に出走する前夜になっても騎手が決まらず、結局ベルベットが騎手になり、当日出場することになる。十数頭の馬が4マイル半の長距離障害レースを戦うのだが、障害物を飛び越えそこなって落馬する騎手が続出するなか、愛馬のパイに跨ったベルベットが走り抜いていく。このシーンが10分以上あって、見ごたえ十分。ハリウッド映画らしくさすがに迫力があった。

 この映画に出た時、エリザベス・テーラーは何歳だったのだろうか。調べてみると、リズは1932年生まれなので、12歳ではないか!それにしては、ずいぶんマセていた。この映画の前半のリズは、やや不恰好であまり可愛いとは思えなかったが、後半になると変身したかのようになぜか急に可愛らしくなるのが不思議だった。セーラー服姿のリズも良かったが、髪を短く切り赤い帽子をかぶって騎手の服を着たリズが颯爽として美しかった。その後のリズの成長ぶりは周知のところで、戦後『若草物語』『花嫁の父』を経て『陽のあたる場所』(1951年)で大人の女優への道を歩み始める。映画の名子役が大人の俳優として大成するのは稀有なことなのだが、リズだけは例外中の例外である。(ディアナ・ダービン、シャーリー・テンプル、マーガレット・オブライエン…皆女優として大成しなかった。ナタリー・ウッドは健闘したが、リズとは比較にならず、フランスではブリジット・フォッセイが思い浮かぶが、子役出演は『禁じられた遊び』だけだったのではあるまいか。日本で子役から大女優になったのは、高峰秀子と美空ひばりくらいか。)
 ミッキー・ルーニーは、この映画の頃すでに20歳を過ぎていたが(1920年生まれなので、この時23歳)、小生意気な大人こどものようでこの映画ではあまり好感は持てなかった。彼が子役として全盛期だったのは1930年代後半で、私はずっと以前に名画座で『少年の町』(スペンサー・トレーシーと共演)を観て、なんとすごい子役なんだろうと思ったことがある。戦後は落ち目で、喜劇的な脇役が多くなったと思う。『ティファニーで朝食を』で変な日本人役をやっていたのが妙に印象に残っているくらいだ。

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