先日アマゾンで注文したライズナー編著「チャーリー・パーカーの伝説」の原書”Bird: The Legend of Charlie Parker”(Edited by Robert Reisner, 1962) が手元に届いた。初版本は1962年にニューヨークの出版社から発行されたが、この本は、ダ・カーポ出版(Da Capo Press)という出版社が1975年に再版した本のペイパー・バック版である。現在あちこちを拾い読みしている。
片岡義男が訳した日本語版と比較しながら読むと、日本語ではどうしても意味が伝わらなかった部分も分かって、納得が行く。原文を意訳している箇所、訳者がどうやら文意を読み取れなくて誤魔化して訳している箇所、明らかに誤訳だと思われる箇所も分かってくる。大して重要でない部分は良いのだが、パーカーの研究に関し貴重な発言だと思われる部分、伝記を書く上で重要な箇所は、正確さが問われる。不適切な和訳は、問題である。
一例を挙げよう。ハイスクール時代のバンド・リーダーで、チャーリー・パーカーの10代の頃を知っているローレンス・キーズの談話の冒頭部分。原文はこうだ。
Bird went to Crispus Attucks public school and then to the old Lincoln High School. We had a school band of which I was the leader. Alonzo Lewis was our music teacher, and it’s to his credit that he saw the promise in Charlie’s playing and said so. Bird played baritone horn in the band, but off the stand he was fascinated with the piano, and he used to bother me to show him the chords. I was three years older than him. I was a sophomore, and he was a freshman.
片岡訳はこうだ。下線と(注の番号)は私が付けたもので、不適切だと思う訳文・訳語である。
「バードはクリスパス・アトゥックス公立学校へいき、そのあと、昔からあるリンカーン・ハイスクールに入った。スクール・バンドがあり、私がリーダーだった。アロンゾ・ルイスが私たちの音楽の先生で、チャーリーの演奏のなかに可能性を見出してきみは見込みがあると言ったのは、この先生の手柄だ(1)。このスクール・バンドでは、バードはバリトン・サックス(2)を吹いていたが、スタンドをはなれたところではピアノにひかれていて、コードを教えてくれと私にうるさくつきまとっていた(3)。私は彼よりも三つ年上だった。私は三年生(4)で、彼は一年生だったのだ」
(1)意訳だが、「きみは見込みがあると言った」と訳したのはやや疑問。原文では、ルイス先生がチャーリー本人に直接言ったかどうか分からない。「きみは」は不要だと思う。強調構文を直訳していて、to his credit を「この先生の手柄だ」と訳しているが、「手柄」という訳語はどうなのだろう。ルイス先生は「さすがに偉い、目が高い」といった意味だと思う。
(2)「バリトン・サックス」は誤訳。「バリトン・ホーン」が正しい。サキソフォーンとホーン(ホルン)は違う楽器なのだ。私は以前この訳語を見て、おかしいなあと思っていた。これはチャーリー・パーカーが最初に演奏した楽器に関わる重大なミスである。
(3)誤訳ではないが、適訳とはいえない。片岡訳は、全般的にひらがなが多すぎる。意識的にそうしているのだろう。また、英語をそのままカタカナにしていて、意味が分りにくいことばも多い。「スタンド」というのは、「バンド・スタンド」つまり「演奏壇」のことだが、off the stand は「演奏壇を離れると」「バンドで演奏していない時」といった意味だと思う。「うるさくつきまとっていた」という訳文は強すぎて、「邪魔くさい」イメージが加わってしまう。bother a person to do は「人に~してくれと言って困らせる、面倒をかける」といった意味だが、ちょっと厄介なことを頼むまれて面倒に思う程度にすぎない。
(4)「3年生」は誤訳。なぜこんな簡単な英語の訳語を間違えたのか、まったく疑問だ。sophomoreは、4年制の学校で「2年生」のこと。freshman → sophomore → junior → senior という順に進級するのは常識ではないか!
私ならこう和訳したいと思う。
「バードは、クリスパス・アタックス公立校から、古いリンカーン・ハイスクールに入った。このハイスクールには、私がリーダーをやっているスクール・バンドがあった。アロンゾ・ルイスが音楽の先生だった。先生はさすがに目が高く、チャーリーの演奏に将来性を見出し、有望であると言ったのだ。バードはこのバンドでバリトン・ホーンを演奏したが、バンドを離れると、ピアノに魅力を感じていた。だから私はいつも彼にせがまれ、コードを教えたものだ。私は3歳年上だった。私は2年生、彼は1年生だった」
片岡義男が訳した日本語版と比較しながら読むと、日本語ではどうしても意味が伝わらなかった部分も分かって、納得が行く。原文を意訳している箇所、訳者がどうやら文意を読み取れなくて誤魔化して訳している箇所、明らかに誤訳だと思われる箇所も分かってくる。大して重要でない部分は良いのだが、パーカーの研究に関し貴重な発言だと思われる部分、伝記を書く上で重要な箇所は、正確さが問われる。不適切な和訳は、問題である。
一例を挙げよう。ハイスクール時代のバンド・リーダーで、チャーリー・パーカーの10代の頃を知っているローレンス・キーズの談話の冒頭部分。原文はこうだ。
Bird went to Crispus Attucks public school and then to the old Lincoln High School. We had a school band of which I was the leader. Alonzo Lewis was our music teacher, and it’s to his credit that he saw the promise in Charlie’s playing and said so. Bird played baritone horn in the band, but off the stand he was fascinated with the piano, and he used to bother me to show him the chords. I was three years older than him. I was a sophomore, and he was a freshman.
片岡訳はこうだ。下線と(注の番号)は私が付けたもので、不適切だと思う訳文・訳語である。
「バードはクリスパス・アトゥックス公立学校へいき、そのあと、昔からあるリンカーン・ハイスクールに入った。スクール・バンドがあり、私がリーダーだった。アロンゾ・ルイスが私たちの音楽の先生で、チャーリーの演奏のなかに可能性を見出してきみは見込みがあると言ったのは、この先生の手柄だ(1)。このスクール・バンドでは、バードはバリトン・サックス(2)を吹いていたが、スタンドをはなれたところではピアノにひかれていて、コードを教えてくれと私にうるさくつきまとっていた(3)。私は彼よりも三つ年上だった。私は三年生(4)で、彼は一年生だったのだ」
(1)意訳だが、「きみは見込みがあると言った」と訳したのはやや疑問。原文では、ルイス先生がチャーリー本人に直接言ったかどうか分からない。「きみは」は不要だと思う。強調構文を直訳していて、to his credit を「この先生の手柄だ」と訳しているが、「手柄」という訳語はどうなのだろう。ルイス先生は「さすがに偉い、目が高い」といった意味だと思う。
(2)「バリトン・サックス」は誤訳。「バリトン・ホーン」が正しい。サキソフォーンとホーン(ホルン)は違う楽器なのだ。私は以前この訳語を見て、おかしいなあと思っていた。これはチャーリー・パーカーが最初に演奏した楽器に関わる重大なミスである。
(3)誤訳ではないが、適訳とはいえない。片岡訳は、全般的にひらがなが多すぎる。意識的にそうしているのだろう。また、英語をそのままカタカナにしていて、意味が分りにくいことばも多い。「スタンド」というのは、「バンド・スタンド」つまり「演奏壇」のことだが、off the stand は「演奏壇を離れると」「バンドで演奏していない時」といった意味だと思う。「うるさくつきまとっていた」という訳文は強すぎて、「邪魔くさい」イメージが加わってしまう。bother a person to do は「人に~してくれと言って困らせる、面倒をかける」といった意味だが、ちょっと厄介なことを頼むまれて面倒に思う程度にすぎない。
(4)「3年生」は誤訳。なぜこんな簡単な英語の訳語を間違えたのか、まったく疑問だ。sophomoreは、4年制の学校で「2年生」のこと。freshman → sophomore → junior → senior という順に進級するのは常識ではないか!
私ならこう和訳したいと思う。
「バードは、クリスパス・アタックス公立校から、古いリンカーン・ハイスクールに入った。このハイスクールには、私がリーダーをやっているスクール・バンドがあった。アロンゾ・ルイスが音楽の先生だった。先生はさすがに目が高く、チャーリーの演奏に将来性を見出し、有望であると言ったのだ。バードはこのバンドでバリトン・ホーンを演奏したが、バンドを離れると、ピアノに魅力を感じていた。だから私はいつも彼にせがまれ、コードを教えたものだ。私は3歳年上だった。私は2年生、彼は1年生だった」