フランス映画史上、ルイ・ジューヴェほど強烈な個性を発揮した男優はいなかった。あの大げさな演技といい、時代がかったセリフ回しといい、あくの強さでは昔も今も彼に並ぶ者は誰もいないのではないかとさえ思う。
ジューヴェの映画での演技をどう評価したらよいのか、私は解釈に苦しむことがある。というのも、フランスの映画俳優ではジャン・ギャバンが私はいちばん好きなのだが、ギャバンはわざとらしい演技は一切しない俳優だった。常に自然体で、役柄にぴったりはまり、しかも存在感があった。ジューヴェはある意味で、ギャバンの対極にあった。舞台俳優としての才能を思う存分発揮し、自分流に役柄を作り上げた。ジューヴェは与えられた役を自家薬籠中のものにして、徹底的に演じた。まさに鬼気迫る演技で、ジューヴェここにありといった存在感が常にあった。
ルイ・ジューヴェの出演した映画で私が二度以上見ている作品は、「北ホテル」と「旅路の果て」と「舞踏会の手帖」である。とくに前の二作は、もしルイ・ジューヴェが出ていなかったら、魅力が半減するかと思う。それほどジューヴェの個性が輝いていた。マルセル・カルネ監督作品の「北ホテル」では、娼婦役のアレルッティとそのヒモ役のルイ・ジューヴェの競演(共演ではなく)が最高に素晴らしい。アルレッティは鉄火肌の姉御ぶりと年増女の哀しさという両面を見事に演じ、一方ジューヴェは口数少なく虚無的なのだが、悪びれているようでそれでも純情さと生真面目さを失わない男をこれまた見事に演じていた。ヒモのジューヴェは命を救ってやった可愛らしいアナベラに恋をするのだが、この二人のシーンも見ものだった。夜のベンチでアナベラに自分の過去と恋心を打ち明け、逃避行に誘う。デートの場面ではアナベラに愛の告白を迫られ、ジューヴェがタジタジになってしまうのだ。
「旅路の果て」では、「北ホテル」の寡黙なヒモ役とはがらっと変わり、往年の名俳優役を朗々と演じる。このルイ・ジューヴェは饒舌で、老女優に歯の浮くようなお世辞を言ったり、カフェの若い女給をたらし込んだり、初老の貫禄ある魅力的な男ぶりだった。「旅路の果て」という映画は、引退した俳優たちの老人ホームを描いたもので、監督ジュリアン・デュヴィヴィエのペシミズムが色濃く漂う悲しい作品だった。「舞踏会の手帖」では、ルイ・ジューヴェは犯罪者役で、訪ねて来た昔の恋人マリー・ベルと過去の夢を語り合い、ヴェルレーヌの詩を朗誦する。この映画では、ちょい役だったが、それでもジューヴェは強烈な印象を残していた。
ルイ・ジューヴェの何がすごいのかと私は考えてみることがある。やはり、あのギョロッとした目がすごいのだと思う。「眼技」という言葉があるが、ジューヴェは目で演技できる俳優なのだ。中空に視線を向ければ、思索的な表情にも虚無的な表情にもなる。視線を相手役の人間に向ければ、何かを洞察した表情にも自分の真意を伝える表情にも変わる。セリフを言う抑揚も速度も変幻自在だが、ジューヴェの目の動きは特別なのである。ヘビににらまれたカエルというが、ジューヴェに画面の向こうから視線を向けられると、観客は有無を言わせず引き付けられてしまう。ジャン・ギャバンの目は慈愛に満ちた目だが、ジュヴェの目は冷徹で、人を魔界に誘う目とでも言い表すことができるかもしれない。
<「北ホテル」でアナベラとジューヴェ>
ジューヴェの映画での演技をどう評価したらよいのか、私は解釈に苦しむことがある。というのも、フランスの映画俳優ではジャン・ギャバンが私はいちばん好きなのだが、ギャバンはわざとらしい演技は一切しない俳優だった。常に自然体で、役柄にぴったりはまり、しかも存在感があった。ジューヴェはある意味で、ギャバンの対極にあった。舞台俳優としての才能を思う存分発揮し、自分流に役柄を作り上げた。ジューヴェは与えられた役を自家薬籠中のものにして、徹底的に演じた。まさに鬼気迫る演技で、ジューヴェここにありといった存在感が常にあった。
ルイ・ジューヴェの出演した映画で私が二度以上見ている作品は、「北ホテル」と「旅路の果て」と「舞踏会の手帖」である。とくに前の二作は、もしルイ・ジューヴェが出ていなかったら、魅力が半減するかと思う。それほどジューヴェの個性が輝いていた。マルセル・カルネ監督作品の「北ホテル」では、娼婦役のアレルッティとそのヒモ役のルイ・ジューヴェの競演(共演ではなく)が最高に素晴らしい。アルレッティは鉄火肌の姉御ぶりと年増女の哀しさという両面を見事に演じ、一方ジューヴェは口数少なく虚無的なのだが、悪びれているようでそれでも純情さと生真面目さを失わない男をこれまた見事に演じていた。ヒモのジューヴェは命を救ってやった可愛らしいアナベラに恋をするのだが、この二人のシーンも見ものだった。夜のベンチでアナベラに自分の過去と恋心を打ち明け、逃避行に誘う。デートの場面ではアナベラに愛の告白を迫られ、ジューヴェがタジタジになってしまうのだ。
「旅路の果て」では、「北ホテル」の寡黙なヒモ役とはがらっと変わり、往年の名俳優役を朗々と演じる。このルイ・ジューヴェは饒舌で、老女優に歯の浮くようなお世辞を言ったり、カフェの若い女給をたらし込んだり、初老の貫禄ある魅力的な男ぶりだった。「旅路の果て」という映画は、引退した俳優たちの老人ホームを描いたもので、監督ジュリアン・デュヴィヴィエのペシミズムが色濃く漂う悲しい作品だった。「舞踏会の手帖」では、ルイ・ジューヴェは犯罪者役で、訪ねて来た昔の恋人マリー・ベルと過去の夢を語り合い、ヴェルレーヌの詩を朗誦する。この映画では、ちょい役だったが、それでもジューヴェは強烈な印象を残していた。
ルイ・ジューヴェの何がすごいのかと私は考えてみることがある。やはり、あのギョロッとした目がすごいのだと思う。「眼技」という言葉があるが、ジューヴェは目で演技できる俳優なのだ。中空に視線を向ければ、思索的な表情にも虚無的な表情にもなる。視線を相手役の人間に向ければ、何かを洞察した表情にも自分の真意を伝える表情にも変わる。セリフを言う抑揚も速度も変幻自在だが、ジューヴェの目の動きは特別なのである。ヘビににらまれたカエルというが、ジューヴェに画面の向こうから視線を向けられると、観客は有無を言わせず引き付けられてしまう。ジャン・ギャバンの目は慈愛に満ちた目だが、ジュヴェの目は冷徹で、人を魔界に誘う目とでも言い表すことができるかもしれない。
<「北ホテル」でアナベラとジューヴェ>