背寒日誌

2024年10月末より再開。日々感じたこと、観たこと、聴いたもの、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

チャーリー・パーカー語録(2)

2019年09月06日 13時53分28秒 | チャーリーパーカー
 前回資料として挙げたインタビューのうち、パーカーの伝記本に彼の言葉が引用されることが多いのは、(2)と(4)である。
 今回は、(4)について述べておこう。これはパーカーが死ぬ1年2か月前に行われたラジオ番組用のインタビューである。
 ところでパーカーは、1954年1月18日から1週間、ボストンのハイハット・クラブに出演中だった。このクラブにパーカーだけが単身乗り込み、バックはボストンの地元のミュージシャンが務めた。この時のライブ演奏はラジオ放送され、その録音は現在CD化されている(2枚組のCDで、1953年6月のハイハット・クラブでの演奏も含まれている)。YouTubeにも全曲アップされているので、パーカーの熱演を聴くことができる。また、司会のシンフォニー・シッドとパーカーの言葉のやり取りもあって、貴重な音源でもある。


 
 さて、問題のインタビューは、1954年1月23日、ボストン滞在中のパーカーが現地のラジオ局(WHDH)へ赴き、そこで収録された。毎週土曜の夜にやっていた”Top Shelf”という音楽番組のためのもので、パーカーの談話は、同日と翌週の1月30日(土)の2回に分けて放送された。聞き手はこの番組のパーソナリティであったジョン・マックレラン(本名ジョン・フィッチ)とゲストのアルトサックス奏者のポール・デスモンドである。ポール・デスモンドは当時デイヴ・ブルーベック・カルテットで人気急上昇中であり、パーカーを師と仰いで敬愛し、パーカーとも親しくしていたので、ゲストとして呼ばれたのだと思うが、聞き手として最適であった。また、パーカーの方でもデスモンドを同じミュージシャンとして信頼していて、デスモンドの突っ込んだ質問に対しても率直に答えている。


<ポール・デスモンド>

 このインタビューでは、前半でパーカーの音楽観をうかがい知ることができて、大変興味深い。また後半で、ディジー・ガレスピーやマイルス・デイヴィスと初めて出会った頃のことについて、パーカー自身の思い出を語った部分がある。
 インタビューは、パーカーのレコードの中の曲をいくつかかけて、曲と曲の合間に進められているが、最初にかかった曲が何であったのかは分からない。バップ創成期の1944年か45年にレコーディングされた曲だったようだ。インタビューの最初の部分だけ私が訳したものを紹介しておこう。

デスモンド:アルトサックスのスタイルがそれまでのものとは全然違いますよね。当時あなたは、自分の演奏がジャズにこれほど大きな影響を与え、その後の十年のジャズ界をまったく変えてしまうことになるなんて感じていましたか?

パーカー:(照れながら)じゃ、まあそういうことにしておこうか。いや、実を言うと感じてなかった。そんなに違うなんて、ちっとも思っていなかっんだよ。(笑)

マクレラン:私もどうしても質問したいことがあるんですよ。こんな急激な変化がなぜ起こったのか、実のところを知りたいんです。それまでアルトサックスの演奏は、ジョニー・ホッジスとかベニー・カーターのスタイルだった。あなたのこの演奏は、まったくコンセプトが違いますよね。アルトサックスの演奏法だけでなく、音楽観そのものが違う。

パーカー:いやあ、その質問には答えようがないと思うがね。

 インタビューはこんな感じで進んでいく。
 パーカーの音楽観をうかがい知ることができるのは、以下の言葉だ。

パーカー:私が言いたいのは、音楽というのは大いに進歩の余地があるものだということなんだ。あと25年、いや50年かもしれないけど、きっとだれか若い人が出て来て、このスタイルを取り上げ、何か新しいことをやってくれると思うね。私がずっと音楽を聞きながら思ってきたのは、音楽は真新しく、ぴったりとしたものであるべきだということなんだ。ともかく、できる限り真新しいものであるべきだ。分かるよね。それから、人間にとって、多少の差はあれ、音楽というのは何か理解できるもの、何か美しいと感じるものだよね。確かに、いろいろなストーリーが次から次に音楽上のイディオムで語られている。まあ、イディオムとは言わないにしても、音楽を言い表すのはとても難しいな。基本的な言い表し方はあるけどね。つまり、音楽というのは基本的にはメロディーとハーモニーとリズムだよね。でも、われわれは、音楽によってそれ以上のもっとずっと多くのことをやれると思うんだ。音楽は、すべての形式において、きわめて表現力豊かなものなんだよ。しかも人生のすべての面にわたることを表現できるんだね。

 参考までに上記のパーカーの英語の言葉を文字にしたものを下に挙げておこう。よく聞き取れない箇所は、筆記者が類推して適当に書いたようだが、下線を施した部分は、(→ )で私なりに文意を考えて直したものを、(? )で疑問に思う語句を付記した。また、パーカーが良い音楽に対して使う形容詞の clean は、「真新しい」と訳した。precise は「ぴったりとした」、descriptive は「表現力豊かな」と訳したが、もっと良い訳語があるかもしれない。

PARKER: I mean, music can stand much improvement. Most likely, in another 25, maybe 50 years, some youngster will come along and take this style and really do something with it, you know, but I mean, ever since I've ever heard music, I've always thought it should be very clean, very precise ―― as clean as possible, anyway ― you know, and more or less to the people, you know, something they could (→ can) understand, something that was (→ is) beautiful, you know ―― there's definitely stories and stories and stories that can be told in the musical idiom, you know ―― you wouldn't say idiom, but it's so hard to describe music other than the basic way to describe it. Music is basically melody, harmony and rhythm, but, I mean, people can do much more with music than that. It can be very descriptive in all kinds (? ) of ways, you know, all walks (? ) of life.

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チャーリー・パーカーに関する文献・資料(7)

2019年09月02日 12時28分22秒 | チャーリーパーカー
 チャーリー・パーカーの演奏はたくさん残されていて、録音されたものを全部聴いたら二、三百時間はかかるかと思うが、パーカー自身が書き残した文章というものは何も残っていない。誰かがパーカーの生存中に彼の伝記を出版しようと企画して、長時間に及ぶインタビューを試みて録音したものでもを残しておけば良かったのだが、そんな記録もない。ルイ・アームストロングやディジー・ガレスピーやマイルス・デイヴィスは功成り名遂げてからそうした伝記本を残して死んでいったが、パーカーは死ぬのが早すぎたし、突然死んだために、本を残す暇(いとま)もなかった。さらに言えば、パーカーの評価と功績は、死んでからますます大きくなっていったので、それが定まった時には、もう間に合わなかったと言えよう。
 が、しかし、パーカー自身が語った言葉がまったく残っていないわけでもない。断片的ではあるが、若い頃のこと、自分の音楽のこと、またジャズや音楽の考え方などを語った言葉が記録されていて、まずこれがパーカー研究に欠かせない資料になっている。

 パーカーがインタビューで実際に話した言葉を記録した資料は、二種類ある。一つは、パーカーの話し声を録音した音源が残っているもの、もう一つは、録音はないがインタビューアーがパーカーの言葉を文字にしたものである。
 後者について先に述べると、前々回にこのブログで紹介した ”No Bop Roots In Jazz”と題する「ダウンビート」誌(1949年9月9日号)の記事は、こうした資料の中で最重要のものである。
 それ以前の資料では、パーカーと親しく接していた評論家のレナード・フェザーが1947年5月に行ったインタビューを基にして書いた記事 ”Yardbird Flies Home”(「メトロノーム」誌に同年8月に発表)がある。この記事を私はまだ読んでいないが、この資料が掲載されている本(Carl Woideick”Charlie Parker Companion”)を取り寄せたので、近いうちに読むつもりだ。

 さて、前者の資料には、ライブ演奏の前に司会者がパーカーを紹介し、その時パーカーが話した言葉も含まれるが、それを除外して、重要な音源を年代順に列記すると以下になる。
(1)評論家のレナード・フェザーがパーカーに行ったブラインドフォールド・テストの音源(1948年夏)
(2)大学教授マーシャル・スターンズと「ダウンビート」誌のジョン・メイアーによるインタビュー(1950年5月1日、ニューヨーク)
(3)レナード・フェザーによるインタビュー(1951年3月末か4月初め、ニューヨーク)
(4)ラジオ番組の司会者ジョン・マックレランによるインタビュー(1953年6月13日、ボストン)
(5)同じくジョン・マックレランとアルト奏者ポール・デスモンドによるインタビュー(1954年1月下旬、ボストン)


 この五つの音源はすべてYouTubeにアップされているので、パーカーの生の声を聴くことができる。そして、これらのインタビューは、すべて文字に起こした資料がある。英語のリスニング能力が不足している私にとっては、大変役に立つ資料である。しかし、話し言葉を文字にすると、テンポや間(ま)や抑揚がなくなり、ニュアンスも失われ、話し手がその時伝えたいと思っていた意味がかえって分かりづらくなってしまうという弊害も生じる。先日私はまず文字化した資料を読んでから、音源を聴いてみたのだが、ギャップを感じないわけにはいかなかった。
 パーカーというのは決して雄弁なタイプではなく、むしろ言葉が少なく、それに彼の話し言葉は、時には不明瞭で聞き取りにくい。また言葉を濁したりしているところも多い。パーカーが何を言わんとしているのかよく分からない箇所があちこちにあるのだ。文字にした資料は、その点、限界があり、実際の音源と比較してみると、判別不能の言葉を適当に文字化していたり、意味が通るように言葉を補足したりしている。つまり、記者の推測や解釈もいくぶん加わっていることを、知っておく必要があると思う。

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