髪見!十人十色

市川の理容室の店主が綴る日記です
スワローズと釣りの記事がほとんどですが、よろしくお願いします

背番号1

2021年02月08日 | GO!GO!Swallows!
ピンクレディに歌に「サウスポー」と言うものがある(かなり古い…)。

背番号1のすごいやつが相手♪

と始まる歌だ。

もちろん、この時の背番号1は、読売ジャイアンツの背番号1、王貞治選手である。

世界のホームランキングであることは、誰もが知っていることと思う。

僕も草野球ではあるが、背番号1を背負った事がある。

もちろん、自分から希望した背番号1だ。

「強打者だったの?」

と思われる方が多いと思うが、僕にとって背番号1は王貞治選手ではないのだ。

じゃ、「チームのエースだったの?」

確かに、高校野球で背番号1はエースナンバーである。

後にチームの先発を任されるようになるが、背番号1をもらった時は内野手だった。

でも、背番号1は僕にとって憧れの存在がいたことは事実である。

僕にとっての「背番号1」は、ミスターヤクルトスワローズ

「若松勉」

である。

僕が子供の頃、広岡監督のもとで、球団創設初の日本一に輝いた時の背番号1が、若松勉選手だ。

北海道出身で、「小さな大打者」と言われた、本当に背の低い選手だった。

168cmと公式発表がされていたが、実際は166cm(160cmという噂もあった)だったそうだ。

テレビで見ていると、審判より小さい、キャッチャーと比べると大人と子供に見えてしまうほど小さな、遠近法を無視した選手がバッターボックスに立っていた。

子供の頃から背が低かった僕は、その選手に惹かれた…

「こんなに小さい人でも、すごいバッターになれるんだ…」

実はそれまで、僕も王貞治選手や、田淵幸一選手と言った、いわゆる「大きなホームランバッター」に憧れていた。

自分もいつかは二人のようになりたいと思っていたものだ。

しかし、若松勉という選手を知った時、自分の中に「若松勉」こそが凄い選手という書き換えが行われた。

それ以来、僕はヤクルトスワローズファンである。

実際はヤクルトアトムズの頃に、若松選手を知ったのだが、やはり「優勝」の実績は大きかったのだろうと思う。

それ以来、若松勉がつけていた「背番号1」は池山隆寛⇒岩村明憲⇒青木宣親⇒山田哲人と受け継がれている。

ヤクルトスワローズにおける、「背番号1」をどうしても注目してしまう。

若松選手も後の4人も、全て優勝を経験している「背番号1」だ。

ちなみに、若松勉の生涯打率を抜いて、トップになっているのは「青木宣親」

日本人選手では、ヤクルトスワローズの「背番号1」が1位と2位に名を連ねている。

今年の背番号1「山田哲人」にも、生涯打率を争ってもらい、日本人選手のベスト3が「ヤクルトスワローズ背番号1」になるようになれば、「世界のホームラン王の背番号1」の他に、「日本人生涯打率はヤクルトスワローズの背番号1」と呼ばれるようになるかも知れない。

池山隆寛=ブンブン丸
岩村明憲=雑草魂
青木宣親=所外打率No.1
山田哲人=トリプルスリー

でも、僕にとって背番号1は

小さな大打者=若松勉

である事に、変わりない。