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のほほん書斎(日高茂和)

生き残った命の続きとして生きている私

嬉野の、今は解体されて、その場所に何があったかさえ記憶が風化していく温泉旅館「山水」の玄関横に、首塚という戦国時代の合戦の死者を祀った場所がある。
私は月に何度かこの前を通るが、どうにも他人事に思えず、素通りできずに一礼していく。
その時に、私は生き残った者の子孫として今ここにあるという想念と言葉が湧いてくる。
私は、曽祖父の代まで数百年にわたり戦を指揮する立場を世襲する家に生まれ、維新後生まれで、五島家の家禄を離れた祖父は帝国陸軍に職を定め、日清・日露に参戦の陸軍の士官として生きた。
父も戦時中は海軍に勤務経験していたので、私が当家始まって以来の職業としての武人を経験していない生粋の民間人だということになる。
首塚ができた時代に、私の先祖に当たる方が、私の先祖を残す前に討ち死にしていたら、当然のことながら、私は、今ここにいない。
どういうわけか、他人事に思えない。

(この写真の角度からは、おそらくこの塚を近々見ることができなくなると思う。現在大きな集合住宅の建築が進んでいる。)
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