印刷についてはほとんど知識がないが、古い本を読んでいるとかすかに紙に活字のくぼみがあるものがあって、一文字づつ活字を拾って印刷されたのだなと根気のいる仕事に関心することがある。
活字の摩滅か何かの原因で文字が欠けていることもたまにあったりするが、読書のわびさび、風流、味わいと受け取って、かえって楽しんでいる。
落丁や乱丁には出会ったことはないが、誤字誤植脱字にはたまに気づくことがあるが、重版の時に修正されるだろうからと連絡したことはない。
また、ふりがなのことをルビとも言うが、ルビというのは出版や印刷の業界用語らしい。見出し画像に使った小説(引用出典は下端)のように、小説のような創作作品には作者の思いをこめた漢字の読ませ方があるのでふりがなは必須だが、古典から近代を経て現代の本を読む楽しみを新たな世代に持ってもらうにはふりがなの多用が好ましいと考える。
私はあまりたくさんの漢字は書けないけれども、書ける字の何倍もの漢字を読むことができる。それはふりがなを見て覚えてきたのであって漢和辞典を枕にして暮して来ての成果ではない。
手もとに岩波書店刊1983年4月15日第九刷の夏目漱石著「吾輩は猫である」があるが、当て字、仏教語、漢語が多用されていてふりがながついているから読めるようなものだ。
デジタル化、紙不使用もけっこうなことではあるが、紙の本ならではの楽しみというのもあるので、なくなってほしくない。
(見出し画像は新潮社刊1995年6月30日4刷・辻邦生著「西行花伝」)