新月のサソリ

空想・幻想・詩・たまにリアル。
孤独に沈みたい。光に癒やされたい。
ふと浮かぶ思い。そんな色々。

渡り鳥

2025-01-07 15:15:00 | weblog


=2013年03月22日=

凍る風が吹く頃、その川に彼らがいたのはほんの数日のことだった。
渡り鳥。
寒さに耐えうる気温に違いはあれど、みな暖かさを求めて海を渡り山を越える。
その川にいたのは鴨だった。彼らはずっと北の方からやってきて、日本の冬で寒さを凌ぎ、そして春にまた北へと帰っていく。春が北上するのに合わせ、一足先に彼らは北を目指すのだろう。

鳥になりたいか?
手が使えないのは嫌だ。でも彼らが一生をかけて渡る距離を、風を、体感してみたいとは思う。きっと世界は今よりぐっと近くなり、生きているという実感も、きっと内側と一体となるのだろう。そんな気がする。

どうしてだか、いつの頃からか、その場所に居続けるという意識が希薄な子どもだった。何処にいても自分はいつかそこからいなくなるのだと、いつも思って生きていた。転校すると聞かされたとき、表面上の態度とは裏腹に、内心では知っていたことのように受け入れていた。ほら、やっぱりそうなんでしょ、と。違う場所に移り住むことが、自分にとってはごく自然で、当たり前のことなのだと。

悲しきジプシー。モンゴル移動民族。流浪の民。
砂埃の風の匂いや新しい夜明け、最後の夜。そういう少し乾いたセンチメンタルが心の片隅にいつもあった。
でももうそろそろ、ずっとその場所にいようと思えるところへ辿り着きたいと思い始めている。
ずっとその場所で、羽を休め、同じ朝を迎える日々を。

何年か前に、友人が『今年はここに根をおろそうと思います』と年賀状に書いてよこした。何年もそこに住んでいた彼女がわざわざそれを言うのは、もしかすると彼女もずっと、何か私と似た感覚を持ち合わせていたのかもしれない。
そしてそれが緊張を孕んだ覚悟なのか、安らぎを見出した決意なのか、とにかく彼女は背負っていた荷物を下ろし、「う――ん」と大きく伸びをして、まっすぐな眼差しでその荷を解いたのだろう。たぶん、少し微笑みながら。

季節が巡り、また吹く風が凍りその川が彼らを迎える頃、私はその場所を見つけただろうか。

(過去別サイトにて投稿分を修正)



=2025年01月07日=

12年の月日を経て、今もなお問い続けていることに少々戸惑う。
問い続けることが、飛び続けることが、実のところ自分の本来の安らぎなのだろうか。
年明け早々、腕を組む。





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