サグラダファミリアの撮影は難しかった。自分が見たと思ったもの、撮れたと思ったものが、なかなか仕上がりには反映しなかった。
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対してイスタンブールのアヤソフィアにはそれはなかった。自分が撮影した、自分が見たと思ったものと仕上がりとの間のギャップはほとんどなかった。
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アヤソフィアは元の建築家の表現の上に、政治的、宗教的歴史が塗り重ねられて、それらが現在は安定的に表現している。そしてこちらがアプローチのスタイルをキープすれば、やはり安定的に受け入れてくれる。
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サグラダファミリアでは、うっかり同じアプローチで望んでも、相手がまだ歴史的、宗教的上塗りを許していない。こちらのアプローチに被せて、向こうからその瞬間の光、空気に合わせて被せて返してくる。
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ガウディの意思を継いで、今も沢山の建築家が完成に向けて作業をしていると聞く。おそらく同じことを感じて、どこでそれらと呼吸を合わせて、どこで表現にしていくのかに苦労されていることと思う。
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ガウディはまだ生きている。