■1986年のチェルノブイリ原発事故を契機に、日本でも反原発運動はひとつの高揚期をむかえてゆく。その頂点が1988年4月のの脱原発1万人集会への2万人の結集だった。■しかし、その日を境に、運動は停滞してゆく。僕自身も、以降、「脱原発」を標榜する活動家たちとは別の道を歩むことになり、結局、原発の問題には取り組まなくなった。■2011年3月11日が引き起こした事態を理解するのに、僕はこの1988年に立ち止まったところからはじめなければならないと思っている。当時指摘されながら、解消されず、ふたたび繰り返される問題を捉え返すためだ。あの時点の認識と警告を集約しているのが次の本だ。
「四番目の恐怖」自体は、当時講談社から創刊された雑誌「DAYS JAPAN」の特集記事である。この本は、前半がこの記事の再録、後半で原子力関係のさまざまなスキャンダラスな内幕暴露になっている。
■1.スリーマイル島
■2.チェルノブイリ
■3.ウィンズケール
■4.青森・六ヶ所村
■5番目の恐怖
■原子力発電所建設の目的
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