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倫理を取り戻すために-感染防止をめぐる言論に「論理チェック」を-

2020年04月26日 17時18分10秒 | Weblog

倫理を取り戻すために-感染防止をめぐる言論に「論理チェック」を-

人を死から守るという非常事態宣言によって、多くのものが失われ、社会は死に瀕している。このままではあらゆることが立ち行かなくなることも明らかだ。しかし、人は不安の中で思考停止し、呪文を唱え、言われるがままに全てをうけいれようとしている。

落ち着いて、呪文に代えて、シンプルな仮説に立ち戻ることを提案したい。そこからもう一度道を照らし直すと、今唱えられている呪文に導かれる危うさに気づく人も、一定数はいるはずだ。

(1)「距離を取る」の言説をめぐって-要約・簡略化・そして呪文化-

例えば、「距離を取る」(ソーシャル・ディスタンス)をめぐる混乱が続いている。

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「都民の皆様には、換気の悪い密閉空間、多くの人の密集する場所、近距離の会話での密接場面、この3つの「密」が重なる場面を避けるための行動をお願いいたします。

「密閉」「密集」「密接」、この3つを避ける「No!3密」行動が、極めて重要です。命を守るためのご協力、よろしくお願いいたします。

みなさん、一緒に乗り越えていきましょう。」

(若者向け新型コロナウイルス感染症に関する知事メッセージ(3月26日))

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この要約・簡略化されたメッセージは、「一定以上近づくと感染する」という意味に変換されて浸透し、「スーパーのレジの混雑が心配」「公園や河原に人が多すぎる」というメッセージの拡大となっている。この考え方自体がおかしくないの?という疑問=論理チェックは、不安の感情に打ち消されて顕在化しない。それは「距離を取る」が呪文化されているということだ。

①本来、感染対策はシンプルだった

このウイルスの感染経路は飛沫感染、接触感染と、3月から新たに言われだした「エアロゾル感染」だ。感染経路がそうである以上、対応も本来シンプルだ。

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「 このウイルスの特徴として、現在、感染を拡大させるリスクが高いのは、対面で人と人との距離が近い接触(互いに手を伸ばしたら届く距離)が、会話などで一定時間以上続き、多くの人々との間で交わされる環境だと考えられます。我々が最も懸念していることは、こうした環境での感染を通じ、一人の人から多数の人に感染するような事態が、様々な場所で、続けて起きることです。・・・・これまでに判明している感染経路は、咳やくしゃみなどの飛沫感染と接触感染が主体です。空気感染は起きていないと考えています。ただし、例外的に、至近距離で、相対することにより、咳やくしゃみなどがなくても、感染する可能性が否定できません。」(2020年2月24日 新型コロナウイルス感染症対策専門家会議)

「 みなさまにお願いしたいこと これまでに明らかになったデータから、集団感染しやすい場所や場面を避けるという行動によって、急速な感染拡大を防げる可能性が、より確実な知見となってきました。これまで集団感染が確認された場に共通するのは、①換気の悪い密閉空間であった、②多くの人が密集していた、③近距離(互いに手を伸ばしたら届く距離)での会話や発声が行われたという 3 つの条件が同時に重なった場です。こうした場ではより多くの人が感染していたと考えられます。そのため、市民のみなさまは、これらの3つの条件ができるだけ同時に揃う場所や場面を予測し、避ける行動をとってください。

ただし、こうした行動によって、どの程度の感染拡大リスクが減少するかについては、今のところ十分な科学的根拠はありませんが、換気のよくない場所や人が密集する場所は、感染を拡大させていることから、明確な基準に関する科学的根拠が得られる前であっても、事前の警戒として対策をとっていただきたいと考えています。」(2020 年3月9日新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 「新型コロナウイルス感染症対策の見解」)

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 コロナウイルスは咳やくしゃみなどの飛沫感染と接触感染が主体、空気感染は起きていないという見解は変わっていない。「これまで集団感染が確認された場に共通するのは、①換気の悪い密閉空間であった、②多くの人が密集していた、③近距離(互いに手を伸ばしたら届く距離)での会話や発声が行われたという 3 つの条件が同時に重なった場です。こうした場ではより多くの人が感染していたと考えられます。」この見解も変わっていない。

以上のことから、次のことが言える。

近距離で会話や発声がおこなわれていたとしても、現在のように双方がマスクで口からの飛沫を抑えている状況下では、感染のリスクはほぼない。咳エチケットはいわずもがな、「マスク着用で会話をする」が徹底していれば、極端に人の接近を避ける必要はない。まして、無言でいる人同士なら感染リスクはない、というのが、現段階ではまっとうな見解のはずだ。

それでもなぜ感染経路が不明な感染が起こるのか、については、接触感染が疑われている。

特に多い接触感染の経路は例えば電車のつり革、バスのつり革、ドアノブ、各種スイッチ(照明のスイッチ、エレベーターのスイッチ、エアコンのスイッチ、コピー機のボタン、PCの電源スイッチやキーボード、ATMのタッチパネル式スイッチ等)などから手指を経由して口腔、鼻腔、目から感染すると考えられている。ウイルスの付着している可能性はあちこちにある。

この経路は、さまざまな物を触った後に必ず手指の洗浄、消毒をしていれば、その後食事をしたり、目をこすったりで感染する、という可能性を断つことができる。

ウイルスの挙動は魔法ではないので、こうした単純な対策の徹底で感染リスクは限りなく下がるはずなのだ。

②なぜ「呪文」が選ばれるのか

マスクをすることと手を洗うことで十分抑制できる-むしろそれを徹底することが最も効果的であるにもかかわらず、なぜ「距離の呪文」が唱えられるようになるのか。

もとも人間は要約・簡略化を求める。

「人間を取り巻く環境は複雑で流動的である。われわれの周囲には多種多様な情報があふれており、それらを適切に処理しなければならない。しかしながら、人間の情報能力には限界があるため、受け取った情報を取捨選択し、整理する必要がある。つまり、環境をあるがままに認知するのではなく、内容を簡略化し自分にとって了解しやすい形に再構成することによって処理負荷を低減していると考えられる。ステレオタイプは、こうした認知レベルでの適応規制の所産として捉えることができる。」(「格差と序列の心理学」p72「1 正当化動機とステレオタイプ」)

この「ステレオタイプ」を今回の「距離の呪文」に置き換えると理解しやすいのではないか。

しかし、今回の事態で、なぜそんなに認知の負荷を下げなければならないほど、人びとの情報処理は飽和しているのか。

情報処理能力の低下は「マスクをめぐる混乱」にも現れている。「マスクが足りない」ということではなく、「マスクの意味をめぐる混乱」である。接近する人の双方が、潜在的に感染者である可能性を想定して、会話や発生での飛沫が相手に届くのを防止する意味で、マスクは着用することになっている。その意味ではもちろん、予防に全く意味がないわけではない。飛沫の吸引を百パーセント止めることはないにせよ、かなりの量の飛沫をせき止める可能性もあるだろう。冷静に思考すれば簡単に答えの出るそうしたことにすら、多くの人が適切な判断がつかないまま、混乱した言説を吐いている場面に毎日のように出会う。

結局のところ、そこまで人の思考能力を下げている原因は、不安・恐怖によるストレスだろうと考える。そして、国の政策も、結局「不安と恐怖を梃子とした行動抑制」で局面を統制しようとしているようだ。残念ながら、メディアもまた、この「不安・恐怖による統制効果」に便乗しているとしか思えない報道姿勢だ。

③「専門家」の巫女化

今回、多くの「専門家」と称する人たちが、ロックダウンなどを強権的におこなうのが必要、と発言している。彼らは巫女である。不安な状況下で神の託宣を述べる。

神の託宣、というのは、「人の移動と接触を断って感染を抑える」という以上のことは何も言えないにも関わらず、感染症について「専門性」があるから、と語ることが、古代社会での神託と何ら変わらないからだ。

残念ながら、日本の科学史、科学論の先駆者であり、著書に「ペスト大流行」「安全学」があるという、かの村上陽一郎氏までが、日経新聞でこんなことを言う。

「人の行動範囲はかつてと比べて格段に広がったので、ウイルスの広がるスピードが上がり、感染の連鎖を断ち切るのが難しい。治療法やワクチンがない現状では、他人との接触を強制的に断つしかない。医療のキャパシティを上回ると、重症度に応じた感染者の隔離も必要だ。人がとれる対策は中世や近世とさほど変わらない」

だが、昔と同じはずがない!!!のである。ペストやスペイン風邪の時は原因である病原菌やウイルスを知らなかったし、感染のメカニズムもわからなかった。今回はそれが明確なのだ。

もちろん、ここにも、この記事がインタビューを要約したもの、という点で村上氏の意図と異なる内容になっている可能性はある。しかし、この言説は「専門家の託宣」として機能する。

 

「4月7日に政府は首都圏を中心とする7都府県に「緊急事態宣言」を出し、16日夜には区域を全国に拡大した。感染の拡大を防ぐため、「人と人の接触機会を8割削減する」ことが強く求められている。この数値は、厚生労働省のクラスター対策班に所属する北海道大学の西浦博教授らが感染症の数理モデルによるシミュレーションに基づいて算出したものだ。」(新型コロナ感染症、接触削減「8割必要」モデルで算出 日経サイエンス 2020/4/25) https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58399970T20C20A4000000/

「人と人の接触機会を8割削減する」としている、この根拠は以上に記されている。

もちろん、すべては「仮説」である。仮説に基づいて対策を立てるしかない。それは容認する。

しかし、社会に多大な打撃を与え続ける政策根拠として、この算出根拠は理解できるだろうか。検証され、反証される可能性はどうだろうか。出したもの勝ち、なのではないだろうか?

呪術的世界から、もう一度論理的思考を取り戻すこと。そのことを通じて、強権と強力な抑制を待望する心理的陥穽から抜け出し、必要な倫理を取り戻すこと。今がその転機だと考える。


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