我々の周囲では、死刑を廃止すべき、と言えば、何を非常識なことを、と考える人がまだ多数だと感じている。少なくとも、原発を廃止することが非常識だ、と考える人よりかなり多いだろう。だが、死刑に関する日本国内の常識が、この半世紀の間に世界標準と異なって来ていることは意識されていない。この四半世紀の間に、国家が死刑を存置する積極的な姿勢を持つことは、特異なことになりつつある。その趨勢と断絶して、死刑を廃止しようと考えない、この日本の感覚の欠落が何に起因するのか、それはまだ分からない。 . . . 本文を読む
今日、3人の死刑執行があったことが伝えられている。3人について詳しい情報は入っていない。死刑執行に抗議する。死刑制度を廃止することが求められている。死刑制度を必要とする社会と精神風土は、差別のない社会の実現を遠ざけていく。 . . . 本文を読む
★私の経験(1)-特定の「死刑囚」への関心から「消極的廃止論者」へ
私が死刑について考え始めたきっかけは、無実の死刑囚の存在でした。
「彼らを死刑にしてはならない」と考え、またそのことを訴える行動にも参加しました。
次に、有実の死刑囚の中にも、どうしても量刑不当と思われる人がいることに気付きました。
「彼らを死刑にすべきではない」と考えました。しかし、それはより小さな声の訴えになりました。
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去年、障害福祉をテーマにインターネットラジオ(実際にはボイスブログですが)OpenSession♪の蒲田駅前街頭収録を3ヶ月間、毎週行いました。反響は殆んどないに等しかったのですが、自分たちにとって、語り、伝える努力責任のようなものを再確認することになりました。
こんな世の中だから、伝え続けなければならない。
そんなわけで、今後も語ることを自らに課し続けようと思っています。
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