トイレのドアが開いた。さとみが廊下に出てきた。
「会長!」しのぶが真っ先にさとみに駈け寄る。「どうなったんですか? 終わったんですか? まだ何かあるんですか?」
矢継ぎ早の質問攻めに、さとみは力無い笑みを返す。
「ほらほら、しのぶちゃん、さとみちゃんはちょっと疲れているようよ」百合恵がしのぶに軽く注意する。それからさとみを見る。「この様子だと、無事に終わったようだわね……」
「……はい、何とか……」
さとみは答えると足元が覚束なくなり倒れかけた。素早く百合恵がさとみを抱きしめる。
「さとみちゃん、大丈夫なの? ちゃんと歩けてない様だけど……?」
百合恵が抱きしめたまま、さとみの顔を覗き込む。
「大丈夫です」さとみは幾度か口をぱくぱくさせて答える。「本当、大丈夫ですから……」
しのぶは百合恵の隣で心配そうな顔をしている。
「しのぶちゃん……」さとみはかすれた声で言う。「大丈夫。全部終わったわ。安心して……」
「会長……」しのぶは泣き出した。「わたしが無理な事を言っちゃったから…… 会長が大変な目に遭っちゃって……」
「平気よ、気にしないで。霊を助けるのが務めだから」さとみは笑む。「……ただ、ずっと霊体を抜け出させたままだったので、生身の動きがぎくしゃくしているだけよ……」
「そうなんですか?」しのぶがすんすん鼻を鳴らしながらさとみを見る。「じゃあ、ちょっとした油切れってわけですね」
しのぶの言葉に百合恵はくすっと笑う。
さとみは松原先生がぽかんとした顔で立っているのを見た。そしてその横に、やつれ果ててはいるもののほっとした表情の男の霊体が立っているのが見えた。
「……百合恵さん、あの人って……」
「ああ、あの人? 中から一斉に霊体たちが飛び出してきた時は驚いたけど、みんなが去って行く中で、一人だけ残って、心配そうにしていたわ」さとみの言葉に百合恵は霊体を見る。「あれが嵩彦さんよ……」
と、壁を抜けてみつと冨美代が現われた。それを見た嵩彦は冨美代の所にふらふらした足取りで駈け寄った。何かを話している。それに冨美代が答えている。
「……なんて言っているんですか?」
さとみが百合恵に訊ねる。さとみは生身では霊体の姿は見えるが声は聞こえない。百合恵は生身のまま霊体が見え、話が出来る。
「ええとね…… 『僕は君の負担にならないように現場を去ったんだ。悪く思わないでくれたまえ』『ええ、分かっておりますわ。ここでわたくしを案じていて下さったのですね』『僕に出来る事はこれくらいしかないんだよ。情けない話だけど』『いいえ、いいえ、そんな事ございませんわ。安全な所に居て下さると知ればこそ、存分に出来ました』『分かってくれて嬉しいよ。それに、僕を励ましてくれたのも嬉しかったよ』『婚約者としては当然ですわ。夫を支えない妻などおりませんもの』『え? 僕を嫌ったんじゃないのかい?』『そんな事ございませんわ。それに、嵩彦様の頑張りが囚われの方々をも発奮させたのですから、上首尾でございましたわ』『ああ、冨美代さん!』『嵩彦様!』 ……あらら、二人で手を取り合っちゃって…… 周りに誰もいなかったら、熱い抱擁と接吻って感じねぇ」
「百合恵さん!」さとみは真っ赤な顔になって下を向いた。「そこまで言わなくても良いですよう……」
みつが百合恵の傍に来た。百合恵に話しかけている。
「あらそうなの?」百合恵は抱きしめているさとみを見る。「虎之助さん、片割れとどっかに行っちゃったんだって?」
「そうなんです…… 流人って言うんですけどね、結構悲惨な姿に戻っちゃったんですけど、それが良いとか、素敵とか言って……」
「変わった霊体ねぇ……」百合恵は呆れたように言う。「でも、それじゃあ、竜二が泣いちゃうかもね」
「でも、竜二は虎之助さんの事をイヤがっていたじゃないですか?」
「ふふふ…… イヤよイヤよも好きうちって言うのよね」
「でも、虎之助さんって男ですよ?」
「でもすんごい美人だったじゃない? からだの事は瑣末な事だわ」
「百合恵さんまで……」
「まあ、今回は女子トイレでの事だから豆蔵たちは遠慮してもらったけど、結果は知らせなきゃね。竜二、きっと泣くわよ」百合恵は笑み、さらにさとみを強く抱きしめた。「とにかく、今回も頑張ったわね。もう、わたしなんかいらないんじゃないかしら?」
「そんな事無いですよう!」さとみはぷっと頬を膨らませる。「今回だって、おばあちゃんが助けてくれたんですから!」
「おばあちゃん……?」
「そうです。危なくなった時、ぱあっとからだを金色に光らせてくれて、攻撃を防いでくれたんです。あの黒い影も、おばあちゃんの守りには敵わなかったみたいで、姿を消しちゃいましたし」
「そう……」
「そうです。だから、わたし、みんなに守られて何とかやれているんです。だから、百合恵さん、そんな事を言わないで下さい!」
「はいはい、分かったわ」百合恵はさとみの頭を撫でる。「さあ、もう帰りましょうか。ねえ、先生?」
突然、百合恵から話を振られた松原先生は、我に返る。
「あ、そう、そうですね」松原先生は軽く咳払いをする。「まあ、無事に解決したようだし、テストも近いし、帰る事にしよう。……百合恵さん、帰りにお店に寄っても良いですか?」
みつは百合恵とさとみに一礼し、冨美代と嵩彦を伴って姿を消した。これから、豆蔵たちの所へ行って話でもするのだろう。そして、冨美代と嵩彦の二人の門出でも祝うのだろう。さとみはそう思った。さとみたちはぞろぞろと廊下を歩いて階段を下りて行く。廊下の電気が消え、真っ暗になった。
しんとなった廊下に、黒い影が現われた。皆が去って行った方を向いている。
「綾部…… さとみ……」
影は低い押し殺したような声でつぶやくと、すうっと消えた。
つづく
「会長!」しのぶが真っ先にさとみに駈け寄る。「どうなったんですか? 終わったんですか? まだ何かあるんですか?」
矢継ぎ早の質問攻めに、さとみは力無い笑みを返す。
「ほらほら、しのぶちゃん、さとみちゃんはちょっと疲れているようよ」百合恵がしのぶに軽く注意する。それからさとみを見る。「この様子だと、無事に終わったようだわね……」
「……はい、何とか……」
さとみは答えると足元が覚束なくなり倒れかけた。素早く百合恵がさとみを抱きしめる。
「さとみちゃん、大丈夫なの? ちゃんと歩けてない様だけど……?」
百合恵が抱きしめたまま、さとみの顔を覗き込む。
「大丈夫です」さとみは幾度か口をぱくぱくさせて答える。「本当、大丈夫ですから……」
しのぶは百合恵の隣で心配そうな顔をしている。
「しのぶちゃん……」さとみはかすれた声で言う。「大丈夫。全部終わったわ。安心して……」
「会長……」しのぶは泣き出した。「わたしが無理な事を言っちゃったから…… 会長が大変な目に遭っちゃって……」
「平気よ、気にしないで。霊を助けるのが務めだから」さとみは笑む。「……ただ、ずっと霊体を抜け出させたままだったので、生身の動きがぎくしゃくしているだけよ……」
「そうなんですか?」しのぶがすんすん鼻を鳴らしながらさとみを見る。「じゃあ、ちょっとした油切れってわけですね」
しのぶの言葉に百合恵はくすっと笑う。
さとみは松原先生がぽかんとした顔で立っているのを見た。そしてその横に、やつれ果ててはいるもののほっとした表情の男の霊体が立っているのが見えた。
「……百合恵さん、あの人って……」
「ああ、あの人? 中から一斉に霊体たちが飛び出してきた時は驚いたけど、みんなが去って行く中で、一人だけ残って、心配そうにしていたわ」さとみの言葉に百合恵は霊体を見る。「あれが嵩彦さんよ……」
と、壁を抜けてみつと冨美代が現われた。それを見た嵩彦は冨美代の所にふらふらした足取りで駈け寄った。何かを話している。それに冨美代が答えている。
「……なんて言っているんですか?」
さとみが百合恵に訊ねる。さとみは生身では霊体の姿は見えるが声は聞こえない。百合恵は生身のまま霊体が見え、話が出来る。
「ええとね…… 『僕は君の負担にならないように現場を去ったんだ。悪く思わないでくれたまえ』『ええ、分かっておりますわ。ここでわたくしを案じていて下さったのですね』『僕に出来る事はこれくらいしかないんだよ。情けない話だけど』『いいえ、いいえ、そんな事ございませんわ。安全な所に居て下さると知ればこそ、存分に出来ました』『分かってくれて嬉しいよ。それに、僕を励ましてくれたのも嬉しかったよ』『婚約者としては当然ですわ。夫を支えない妻などおりませんもの』『え? 僕を嫌ったんじゃないのかい?』『そんな事ございませんわ。それに、嵩彦様の頑張りが囚われの方々をも発奮させたのですから、上首尾でございましたわ』『ああ、冨美代さん!』『嵩彦様!』 ……あらら、二人で手を取り合っちゃって…… 周りに誰もいなかったら、熱い抱擁と接吻って感じねぇ」
「百合恵さん!」さとみは真っ赤な顔になって下を向いた。「そこまで言わなくても良いですよう……」
みつが百合恵の傍に来た。百合恵に話しかけている。
「あらそうなの?」百合恵は抱きしめているさとみを見る。「虎之助さん、片割れとどっかに行っちゃったんだって?」
「そうなんです…… 流人って言うんですけどね、結構悲惨な姿に戻っちゃったんですけど、それが良いとか、素敵とか言って……」
「変わった霊体ねぇ……」百合恵は呆れたように言う。「でも、それじゃあ、竜二が泣いちゃうかもね」
「でも、竜二は虎之助さんの事をイヤがっていたじゃないですか?」
「ふふふ…… イヤよイヤよも好きうちって言うのよね」
「でも、虎之助さんって男ですよ?」
「でもすんごい美人だったじゃない? からだの事は瑣末な事だわ」
「百合恵さんまで……」
「まあ、今回は女子トイレでの事だから豆蔵たちは遠慮してもらったけど、結果は知らせなきゃね。竜二、きっと泣くわよ」百合恵は笑み、さらにさとみを強く抱きしめた。「とにかく、今回も頑張ったわね。もう、わたしなんかいらないんじゃないかしら?」
「そんな事無いですよう!」さとみはぷっと頬を膨らませる。「今回だって、おばあちゃんが助けてくれたんですから!」
「おばあちゃん……?」
「そうです。危なくなった時、ぱあっとからだを金色に光らせてくれて、攻撃を防いでくれたんです。あの黒い影も、おばあちゃんの守りには敵わなかったみたいで、姿を消しちゃいましたし」
「そう……」
「そうです。だから、わたし、みんなに守られて何とかやれているんです。だから、百合恵さん、そんな事を言わないで下さい!」
「はいはい、分かったわ」百合恵はさとみの頭を撫でる。「さあ、もう帰りましょうか。ねえ、先生?」
突然、百合恵から話を振られた松原先生は、我に返る。
「あ、そう、そうですね」松原先生は軽く咳払いをする。「まあ、無事に解決したようだし、テストも近いし、帰る事にしよう。……百合恵さん、帰りにお店に寄っても良いですか?」
みつは百合恵とさとみに一礼し、冨美代と嵩彦を伴って姿を消した。これから、豆蔵たちの所へ行って話でもするのだろう。そして、冨美代と嵩彦の二人の門出でも祝うのだろう。さとみはそう思った。さとみたちはぞろぞろと廊下を歩いて階段を下りて行く。廊下の電気が消え、真っ暗になった。
しんとなった廊下に、黒い影が現われた。皆が去って行った方を向いている。
「綾部…… さとみ……」
影は低い押し殺したような声でつぶやくと、すうっと消えた。
つづく
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