翌日は朝から雨だった。漁は中止になった。
長の家で打ちつける雨音を聞きながら、長は浮かぬ顔をして、戸を挟んで奥で寝ているお島の方へ顔を向けた。
昨夜遅く、坊様がお島を肩に担いで戻って来た。長は慌てたが、坊様の言うままに奥に床を作ってお島を寝かせた。案ずる長に、坊様は話は明日じゃと告げると囲炉裏の横に転がってすぐに鼾をかいた。何とも釈然としない長だったが、こうなると致し方が無い。長も自棄になって酒を煽って寝入ってしまった。
そして、朝になり、坊様から昨夜の事をすっかり聞いたところだった。
「……やはり、おてるは村を怨んでおりやしたか……」長は大きく溜め息をつく。「どうしたもんでやしょう?」
「とにかく、夜は浜へは行かぬこと。それと、お島はどこか近くの尼寺へ入れる事じゃな」
「左様で……」
二人は沈黙する。雨足が一層激しくなった。風も出て来たのか、波の荒れた音も交じってくる。
「この雨や風、おてるの怒りでやしょうかねぇ?」長が弱々しくつぶやく。「なんだか、叫んでいるように聞こえやすよ……」
「ははは、そんな事はあるまいさ」坊様は陽気に笑う。「気にするとな、何でもそうじゃないかと思うものだ。これはただの雨風じゃ。すぐに晴れちまうよ」
「……へい……」長は己に言い聞かせるように頷く。「……にしましてもなぁ、おてるの事、昔の話ですになぁ……」
「怨みに刻限は無いのじゃよ」坊様は言うと、炉端の干し魚を取り上げて一口齧る。「おてるにとっては、今しがた起きたのも同じさ。この先、村の衆の代が変わって総入れ替えとなっても、おてるには分からん」
「じゃあ、ずっと怨みが残ると……」
「そうなるな」
「お島を尼寺へ預けても、別の女がおてるに憑かれるって事は?」
「有り得ることじゃ」
「なら、村ごと、どっかへ移るしかねぇと……」
「かも知れん……」
「でも、ここは魚を獲るにはうってつけの場所でしてな。他へはちょっと…… それに、村の衆にどう言えばいいやら……」
「わしが村人なら、怨まれる事をしたヤツらだけここに残って怨まれていろ、なんて言うだろうな」
「お坊様、そんな殺生な……」
長は嘆くように言う。坊様は黙って口の中の魚を噛んでいる。
「でも、お坊様の言う事も一理ありますなぁ……」長はぽつんと言う。「あの時、きちんと供養しなかった村の自業自得ですなぁ……」
「だがな、そんな事を言っておっても埒は開かん」坊様は干し魚をもう一口齧る。「おてるは鬼になりかけておる。始末の悪い事に、鬼になって地獄に堕ちるのを望んでおる」
「そりゃあ……」
「うかうかしていると取り返しがつかん事だけは確かじゃのう……」
長は黙ってしまった。坊様は手にしていた干し魚を炉端に戻した。
雨風は激しさを増して行く。
つづく
長の家で打ちつける雨音を聞きながら、長は浮かぬ顔をして、戸を挟んで奥で寝ているお島の方へ顔を向けた。
昨夜遅く、坊様がお島を肩に担いで戻って来た。長は慌てたが、坊様の言うままに奥に床を作ってお島を寝かせた。案ずる長に、坊様は話は明日じゃと告げると囲炉裏の横に転がってすぐに鼾をかいた。何とも釈然としない長だったが、こうなると致し方が無い。長も自棄になって酒を煽って寝入ってしまった。
そして、朝になり、坊様から昨夜の事をすっかり聞いたところだった。
「……やはり、おてるは村を怨んでおりやしたか……」長は大きく溜め息をつく。「どうしたもんでやしょう?」
「とにかく、夜は浜へは行かぬこと。それと、お島はどこか近くの尼寺へ入れる事じゃな」
「左様で……」
二人は沈黙する。雨足が一層激しくなった。風も出て来たのか、波の荒れた音も交じってくる。
「この雨や風、おてるの怒りでやしょうかねぇ?」長が弱々しくつぶやく。「なんだか、叫んでいるように聞こえやすよ……」
「ははは、そんな事はあるまいさ」坊様は陽気に笑う。「気にするとな、何でもそうじゃないかと思うものだ。これはただの雨風じゃ。すぐに晴れちまうよ」
「……へい……」長は己に言い聞かせるように頷く。「……にしましてもなぁ、おてるの事、昔の話ですになぁ……」
「怨みに刻限は無いのじゃよ」坊様は言うと、炉端の干し魚を取り上げて一口齧る。「おてるにとっては、今しがた起きたのも同じさ。この先、村の衆の代が変わって総入れ替えとなっても、おてるには分からん」
「じゃあ、ずっと怨みが残ると……」
「そうなるな」
「お島を尼寺へ預けても、別の女がおてるに憑かれるって事は?」
「有り得ることじゃ」
「なら、村ごと、どっかへ移るしかねぇと……」
「かも知れん……」
「でも、ここは魚を獲るにはうってつけの場所でしてな。他へはちょっと…… それに、村の衆にどう言えばいいやら……」
「わしが村人なら、怨まれる事をしたヤツらだけここに残って怨まれていろ、なんて言うだろうな」
「お坊様、そんな殺生な……」
長は嘆くように言う。坊様は黙って口の中の魚を噛んでいる。
「でも、お坊様の言う事も一理ありますなぁ……」長はぽつんと言う。「あの時、きちんと供養しなかった村の自業自得ですなぁ……」
「だがな、そんな事を言っておっても埒は開かん」坊様は干し魚をもう一口齧る。「おてるは鬼になりかけておる。始末の悪い事に、鬼になって地獄に堕ちるのを望んでおる」
「そりゃあ……」
「うかうかしていると取り返しがつかん事だけは確かじゃのう……」
長は黙ってしまった。坊様は手にしていた干し魚を炉端に戻した。
雨風は激しさを増して行く。
つづく
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