2024/10/28 mon
翌日俺は新宿へ向かう。
長谷川と仕事内容の話をして、これから新たな生活が始まるのだ。
西武新宿駅北口を出ると、職安通りを真っ直ぐ歩く。
この辺りのエリアはハングル文字の看板が多い。
中国じゃなく韓国だったっけかな?
一昔前に流行ったアイドルのブロマイド写真やポスターを扱う店、焼肉や海苔巻きの店をよく見掛ける。
妙に中年女性の姿が多い。
ドンキホーテを過ぎ、区役所通りのあるT字路へ差し掛かる。
稲荷鬼王神社の横にホットモットの弁当屋があるので、食事を取る際便利そうな場所だ。
通り沿いにあるスーパーの赤札堂の前で長谷川に連絡を入れた。
三軒先のマンションから長谷川の姿が見える。
「岩上さん、お疲れ様です。一緒に仕事できるの楽しみにしていましたよ。事務所、すぐそこなんで行きましょう」
彼の事務所は一階にあり、中々の広さである。
間取りは1Kだが玄関横にミニキッチン、ユニットバスがあり、その先に細長い形で事務所になっていた。
手前にゆったりしたソファに、ガラス製のテーブル。
右手に事務用テーブルが二つ。
奥に大型のテレビが置いてある。
これから俺はここで働くのか……。
胸がくすぐったい感覚。
長谷川に促され、ソファへ腰掛けた。
歌舞伎町浄化作戦時代、コマ劇場からさくら通りにある途中にあった『オレンジ』の名義人松村は捕まり消滅した。
長谷川が経営する現在の職種は二つ。
歌舞伎町といっても職安通りに近い二丁目エリアで、ひっそりアジア系外国人相手にやる一円レートのゲーム屋。
もう一つは横浜の繁華街で裏ビデオ屋をしているようだ。
ただこちらはすでに名義人はクビにして、店も撤退するところらしい。
「今説明した横浜のビデオ屋が問題というか、悩みのタネなんですよね……」
「…と言いますと?」
「僕は横浜って土地柄をよく理解していなかったのもあるんですが、あまりにも売上が酷くて…。一ヶ月の売上いくらだったと思いますか?」
一概に裏ビデオといっても場所によって売上は変化する。
前に俺が統括していた五店舗のビデオで、西武新宿駅前通りと一番街通りの間にあった店は、一日五十万は平均あった。
月で換算すると一千五百万円。
逆に東通りと区役所通りの間にあった一、二階の店は平均すると、一日辺り十万程度売れればいい感じである。
同じ建物の一階にある『リング』の名義人の伊田よりも、二階にある『らせん』の松本のほうが比較的売上は良かった。
だらしなく適当な伊田よりも、几帳面で神経質な松本のほうが、店内も綺麗で客に分かりやすく作品を展示していた違いだろう。
このように裏ビデオはまず立地場所、次に売り子である名義人の質で売上が違ってくる。
横浜自体俺も縁が無いので分からないが、歌舞伎町の下のラインの売上月百五十万と考えると、さらに下がった金額だろう。
「月で百万くらいですか?」
「そんなにあったら撤退なんて考えていませんよ」
「半分の五十万くらいですか?」
「一万二千円ですよ……」
「一日の売上がですか?」
「いえ…、一ヶ月間でです」
どんな経営をしたら、そんな馬鹿げた金額の売上になるのだろうか?
売り子であるそこの名義人が、常にサボって店にいないくらいしか思いつかなかった。
「岩上さん…、今日から早速日当出すので今から横浜の店舗見に行きませんか?」
「構わないですよ」
今日はこれからの話し合いだけで終わると思っていたので、いきなり給料を出してもらえるのは本当にありがたい。
「僕が岩上さんにお願いしたいのが、まずこれから横浜行って現状を見てもらう事」
「はい」
「浄化作戦で歌舞伎町はもう商売にならないので、店舗を構えるのを別の地域で考えてもらう事」
「んー…、分かりました」
「裏ビデオの新作は週に二回入ってくるので作品の整理と…、あとですね…、岩上さん、オレンジの松村の時オリジナルで作品のジャケット作ってくれたじゃないですか」
「あー、ああ…、あれは出ている子が可愛いのに、作品のジャケットが悪過ぎて売れなかったから、自分でデザインして作っただけなんですよ」
「いえいえ、何を言ってるんですか。歌舞伎町でそんな事考えて実際にできるの岩上さんくらいですよ。他の店でも岩上さんが評判いいのは色々聞いていましたし……」
「そんな事無いですよ」
「それでうちに岩上さんの手が空いたら来て欲しいって、何度もラブコール送っていたんですよ」
「そこまで評判してもらえて、ありがとうございます」
裏ビデオ業界では、始めに働いた北中のメロン、そして浄化作戦時代の五店舗くらい。
北中のところは最悪だった。
五店舗のほうは三人のオーナーたちが、それなりに大切には扱ってもらえた。
長谷川のところはさらに働きやすそうだ。
「一応岩上さんにはある程度の好きな時間帯にここへ来てもらい、八時間働いてもらって一万二千円という形でもよろしいですか?」
例えば昼に来たら、夜の八時で終わるのか。
まるで天国のような環境じゃないか……。
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
こうして俺の新天地が決まった。
レンタカー屋で車を借りる。
店に残ってある備品も持ち帰りたいらしく、電車ではなく車で行く事になった。
「岩上さん、車の運転のほうは?」
「大丈夫ですよ。大まかな道順だけ教えてもらえば」
横浜へ向かう途中、長谷川は組織について色々説明してくれる。
仙台出身の長谷川は表向きグループの経営者であるが、裏に金を出している韓国人オーナー夫婦がいる事。
これまでの裏ビデオ屋同様、新たに店を出す際は名義人イコール売り子を雇い、物件を借りる際もその人間の名前で登記する事。
一日一度向こうに住む韓国人オーナーから連絡が来るので、長谷川が絶対に対応し何よりも優先しなくてはいけない事。
俺は組織でのブレーン的な立ち位置で盛り上げてもらいたい事。
説明を受けていて、いい職場へ来れたのだなと実感する。
俺の考えやスキルを尊重してくれ、同時に感謝も覚えてくれる長谷川。
また彼は格闘技にとても興味があり、俺の全日本プロレス時代の話や、現在のプロレス業界の事を詳しく聞きたがる。
この人となら、いい店作りができそうだ。
関内駅から徒歩五分程度のところにある繁華街の福富町。
近くのコインパーキングに車を停めた。
以前全日本プロレスへ行く前、金沢八景駅周辺に住んだ事はあるが、横浜の中心的な場所は初めてである。
繁華街といっても歌舞伎町とはまったく違った雰囲気で、バブル時代の名残りのような古い建物が多い。
「関内駅から真っ直ぐ伸びる長い商店街が伊勢佐木モール。そこから曲がると福富町になるんですよ。ここのブックオフを曲がった通り沿いに、うちの店あるんですよね」
古びた建物に色々な個人店の洋食屋。
面白そうな街であるが歌舞伎町と違い、一通りはいまいちだ。
店のシャッターを開ける長谷川。
斜め向かいにはアルパインという洋食屋だかフレンチ料理の店がある。
中へ入るとかなり大きな店舗だ。
「本当にここで売上が一ヶ月一万二千円だったんですか?」
「ええ…、使った売り子が悪かったのもあるんでしょうけど……」
知らない土地なので偉そうな事は言えないが、それでも売り子の完全な怠慢が真似いた結果だと思う。
使えそうな事務用を一緒に運び出す。
「ビデオの値段設定は?」
「そこの壁に貼ったあるように、歌舞伎町の時と変わりないですよ。まあうちはビデオは置かず、DVDのみでしたが」
一枚なら三千円、二枚で五千、五枚で一万円。
確かに歌舞伎町の店と変わりはない。
「人通りはまばらですがその名義人、サボっていただけじゃないんですか?」
「僕もそうだと思います。ただ、仙台のオーナーがオープンして一ヶ月で辞める判断したんですよね」
上がそう決めたのなら仕方がない。
俺も川越から新宿へ通い、店舗がさらに横浜だと色々大変そうなので、これはこれで良かったのかもしれないな。
再び車へ戻り、発進させる。
「あっ、岩上さん。そこをそっちへ曲がってもらえます?」
長谷川の言うように運転すると、盾を持った連中が見えてくる。
辺り一帯鉄線のバリケードで括られており、俺は一番街通りの四十四人亡くなった爆破事件を思い出す。
「あれ…、ひょっとして機動隊ですか?」
「ええ、黄金町って言って赤線で有名な場所なんですよ」
「赤線?」
「あれ、知らなかったですか。俗に言うちょんの間…、要は売春婦や立ちん坊たちの密集地ですよね」
「へえー……」
「黄金町駅がすぐそこにあって、あの建物あるじゃないですか」
古い小さな造りの二階建ての建物が、川に沿って一列にズラッと並んでいる。
「規模は小さいですが、歌舞伎町の浄化作戦みたいなもんですよね。赤線は違法なので、機動隊をああやって配置して徹底的にやっているところなんですよ」
俺が歌舞伎町へ来始めた頃、西武新宿駅北口前辺りに三十人以上ズラリと立っていたロシア系の娼婦。
いつの間にか姿を見掛けなくなっていたが、国の指令で警察によって浄化されたのだろう。
ここ黄金町でも同様の行為の瞬間を今俺は目撃しているのか。
とても貴重な場面。
俺は運転席から黄金町の様子を目に焼き付けた。
レンタカーを返し、新宿の事務所へ戻る。
「岩上さん、お腹減ってませんか? 近くに幸永っていう焼肉屋あるんで行きませんか?」
長谷川の提案に乗り、焼肉屋へ。
事務所から徒歩三分程度にあった。
「うちの事務所から五分くらい歩けば、地下鉄の東新宿駅があるんですよ」
今まで歌舞伎町の中心部でしか活動した事のない俺は、端っこの職安通り辺り一帯の光景が目新しかった。
歌舞伎町内は住む場所でないが、この辺なら交通の便もいいし住みやすいかもしれない。
焼肉の幸永へ入ると、カルビ、ロース、ホルモンを始め、鶏の皮も注文する。
「僕はこの鶏皮、好きなんですよね。ここ狭いけど安くて旨い店なんですよ」
確かに安くて美味しい。
長谷川は代金すべてをご馳走してくれ、一旦事務所へ戻る。
「何かご馳走になってしまい、すみません…。ご馳走様でした」
「いえいえ、いいんですよ。あ、今日の日当渡しておきますね」
そう言って長谷川は一万二千円をくれた。
「ちょっと早いけど、今日は岩上さん上がっても大丈夫ですよ」
時計を見るとまだ夕方六時過ぎ。
「俺がここへ来たの昼の一時ですよ? さすがに……」
「いいんですよ。まったりやっていきましょう。明日も昼くらいにお願いしますね。他の店舗探しに行きますから」
至れり尽くせりで逆に申し訳なく思う。
しかしここは長谷川の好意に甘えさせていただく。
帰り道の足取りが軽く感じるのも、すべてこれから長谷川と共にやっていく嬉しさからだろう。
新宿は難しいから、他のエリアで……。
近場だと池袋や渋谷、上野辺りもいいんじゃないか。
浅草ビューホテル時代、裏ビデオ屋なんて見た事無いもんな。
十円レートのゲーム屋の看板を見た事はあったが、あの当時は何屋なのかまったく分からなかった。
百合子には明るい話題を話せそうだ。
俺は特急レッドアロー小江戸号へ乗り、川越に戻る。
ある程度自由な出勤時間に、拘束は八時間。
…といっても、いい意味で大雑把。
夢のような環境の職場である。
長谷川の事務所へ到着すると、一服しながら今日の計画を立てる。
まずは池袋と渋谷の繁華街にある裏ビデオ屋を見に行く。
次は上野のアメ横周辺。
この辺は俺が予想した通りだ。
「あとですね…。秋葉原にも最近裏ビデオでき始めたらしいんですよ」
「へー、あのオタクの街にですか」
「今日はいくつか回って出す店舗の場所決めましょう」
最初に池袋駅西口エリアへ向かう。
ここはミニ歌舞伎町のような繁華街がある。
浄化作戦の影響か、三軒ほどしか裏ビデオ屋を見掛けなかった。
ここで店舗を出すとしたら……。
いまいちいい想像が湧かない。
「次は渋谷行きますか」
さすがに昨日と違い、移動は電車を使う。
長谷川は道玄坂やらセンター街とかエリア別に裏ビデオ屋の位置を丁重に説明してくれる。
しかしどうも渋谷は苦手意識があり、いまいち覚えられない。
全日本プロレスの合宿にたまプラーザ駅へ向かう際、迷子になった過去。
あれが未だトラウマのようになっているのかもしれない。
ここでも新しく店を出したとしてと想像するも、いい閃きは得られなかった。
「岩上さん、あそこのラーメン屋入りませんか? 僕はラーメンに結構目がなくて」
長谷川に合わせる形で店に入る。
俺は味噌ラーメン、長谷川は濃厚豚骨醤油を注文。
「もう三食ラーメンでもいいくらい好きなんですよ」
そう麺を啜る彼を見て、ワールドワン時代の番頭だった佐々木さんを思い出す。
どこか俺が旅行へ行った際、電話をしてお土産何がいいか聞くと、「ワイ、麺類に目がない」とか言っていた。
最近佐々木さんと連絡取ってないが、今度久しぶりに連絡してみるか。
ラーメン屋自体、俺は地元川越にある十八番しか好んで行かなかった。
そういえば百合子を十八番に連れて行った事無かったよな。
今度連れて行ってみるか。
渋谷駅周辺を歩いていると、突然長谷川が体調不良を訴える。
「すみません…。ちょっとそこで休んでいいですか?」
半分地下にあるデパートの階段横の通路に横たわる長谷川。
「大丈夫ですか、長谷川さん?」
「僕はあまり身体強くないんですよ…。心配させちゃってすみません。ここで少し休んでいれば、大丈夫ですから……」
仕方なく俺も近くで腰掛け、通行人を眺めていた。
「あー…、多分さっきのラーメンを大盛りにご飯も食べたから、食べ過ぎなんですよ……」
「気にしないで休んでて下さいよ」
食あたりなど起きた事が無い俺は、どのくらい具合が悪いのか分からない。
だが自身の物差しで物事を考えてはいけないのは分かるので、黙ったまま横にいた。
三十分ほど経ち、「岩上さん…、僕はもう少しここで休んでいるので今日は先に帰って大丈夫ですよ」と気遣ってくる。
「いえいえ、俺もまだいますよ」
「いえ…、本当に先行って大丈夫ですから…。あっ、日当渡すの明日でもいいですか?」
「金なんていつでもいいですよ。本当に大丈夫なんですか?」
「ええ…、いつもこんな感じで休んでいれば戻りますから。また明日事務所でお待ちしてますよ……」
変に長谷川に気を遣わしたく無かったので、俺は彼を置き去りにして渋谷駅へ向かう。
川越着いたくらいに一度連絡入れとくか。
それにしてもこんなんで給料もらっていいのか申し訳ない気持ちで一杯だった。
川越へ帰ってから電話をすると、長谷川は事務所へ戻っていた。
「すみません、岩上さん。僕、本当にああなると駄目なんですよね」
「いえ、気にしないで下さい。それより先に帰ってしまいすみませんでした」
明日も行く約束をして電話を切る。
これから百合子が部屋へ来るから、今のところの話をしておこう。
あの馬鹿な當真が率いたガールズコレクションのような風俗でもないし、給料だってキチンと出る。
百合子を少しでも安心させたかった。
携帯電話が鳴る。
画面を見ると登録の無い番号。
何となくガールズコレクションの杏子だと分かった。
出れば本人からだと確認できるが、俺はあえて着信を放置する。
正直気にはなるが、あの店とはもう終わった事なのだ。
それに杏子とまた連絡を取り合ったところで、何も生まれない。
百合子にまた変なヤキモチを焼かせるのも嫌だった。
また俺が寝ている時勝手に携帯電話を百合子に見られても面倒なので、俺は杏子とおぼしき電話番号の着信履歴を削除する。
少しして百合子が到着。
あの時電話に出ていたら、また大変な事態になっていた。
百合子へ長谷川の話をすると、終始笑顔で安心しているようだ。
明日の予定は上野と秋葉原。
ピンと来るいい場所があればいいが……。
翌日事務所へ着くなり、長谷川は昨日の分の日当と、今日の分まで渡してきた。
「本当に昨日はすみませんでした。今後食べ過ぎに気をつけますので」
長谷川の人柄には、ほのぼのさせられる。
確かに昨日の体調不良が嘘のように回復している長谷川。
俺たちは上野アメ横へ向かった。
てっきり山手線で新宿から上野へ行くものと思っていたが、路線に詳しい長谷川は事務所から近くの東新宿駅へ行く。
「ここから上野御徒町駅で行ったほうが全然早いんですよ」
確かに駅出てすぐ目の前がアメ横だ。
しかも本当に着くのが早い。
浅草ビューホテルから近い距離にあるアメ横。
当時の俺はホテルでひたすら働き、外へ出ても競馬か緑寿司、豚八くらいしか行かなかったので、初めて訪れる場所である。
マグロのさくを売る店や、魚介類全般扱う店など、歩いているだけで面白い。
昼間からアメ横は人で賑わい、仕事中じゃなければ俺も買い物を楽しみたいところだ。
ただこのエリアで裏ビデオはどうか?
難しい気がする。
「マグロ丼食べられるお店何軒かあるんですけど、御徒町駅側近くのこのお店が一番美味しいんですよ。ちょっと食べて行きましょうか」
長谷川の提案でマグロ屋へ入る。
丼は発泡スチロールだが、確かに安くて旨い。
俺自身、新宿という枠に捕らわれ過ぎなのだろう。
長谷川と接していると気付きが多い。
今度早めに新宿来て、アメ横寄ってから出勤してもいいなと考える。
そのくらいここは俺にとって魅力的な街だった。
上野駅から秋葉原駅へ。
今度は山手線を使う。
たった二駅の距離。
昔ネオジオのロムソフトを求めて来た以来か?
いや、先輩の坊之薗智こと坊主さんと初めてパソコンを買いに来た以来だ。
「最近秋葉原はメイドカフェっていうのが流行っているみたいですよ。あとでちょっと寄ってみましょうか」
好奇心旺盛な長谷川は、色々ものに興味を示す。
この辺りが様々な知識として身になっているのだろう。
一昔前は無線やらゲーム、パソコンで賑わっていたイメージ。
その辺を歩く通行人の人種を見ても、明らかに歌舞伎町を歩く人間とは違う。
大人しそうな感じの人が多いのだ。
電気屋の前でキャンペーンの衣装を着た女性がビラ配りをしている。
普通なら通行の邪魔にならないようするものだが、この女性は違った。
無視して行こうとする通行人の更に前に出て強引にチラシを渡す。
俺と長谷川が通り過ぎる際も、手でいらないとジェスチャーしているのに明らかにワザと腕を伸ばし通行の邪魔をする。
「おいおい、そんな通行の足止めするんじゃ、姉ちゃん酒でも付き合えや」
俺は女性の腕を掴み、そのまま進む。
「は、離して下さい!」
俺は無視して歩き、隣で長谷川は面白そうに笑っている。
電気屋からスーツを着た年配連中数名が飛び出して来て声を掛けてきた。
そこで初めて腕を離し、少しは通行人の気持ちも考えたほうがいいと軽く説教する。
「突然岩上さん女の子の腕掴んでズルズル引きずりながら歩いていくから驚きましたよ。面白かったですけどね」
「ああいう男を舐めてるのは、少し思い知らせたほうが本人の為ですよ」
笑いながら話している内に、秋葉原の裏ビデオ屋へ到着した。
近くに個人店の牛丼屋近くの雑居ビル。
三階が裏ビデオらしい。
「ちょっと中見てみますか?」
エレベーターも無く、階段で上がる。
店内は二名の客。
奥のカウンターに四十代後半の男が店番をしていた。
棚に並べられるDVDのケースを手に取り、どんな作品があるかチェックする。
歌舞伎町と何ら変わりはない。
店番の男が俺たちを見た。
すると警察と勘違いしたのか、妙に震え出して怯えている。
まだ二月で寒かったので、俺は黒のスーツに黒のロングコート。
その格好が刑事に見えたのかもしれない。
長谷川も店番の態度に気付き、懸命に笑いを堪えていた。
あまり驚かすのも可哀想なので外へ出る。
「さっきの店員…、あれ、絶対岩上さん見て刑事だって勘違いしてましたよね」
腹を抱えて笑う長谷川。
確かにあの店番のギョッと勝手に勘違いした様子は、思い出しても笑える。
残りの二店舗の裏ビデオ屋も見に行き、大通りから少し外れた裏秋葉原と呼ばれる部分を歩く。
「長谷川さん…、ここ…、裏ビデオありなんじゃないでしょうか?」
「何を感じたんですか?」
「秋葉原にいる人間って、オタクみたいな大人しそうなの多いじゃないですか。大半は元々何かを買いに来る目的で来る人間だと思うんですね。家賃だって歌舞伎町に比べたら格段に安いでしょうし、他の裏ビデオ屋見ても、俺が商品ちゃんと番号順に整理して分かりやすくすれば、多分どこにも負けない店作れますよ」
こんな裏側の路地なのに人の数は多い。
「なるほど…、あっ、そこのパソコンパーツショップの上、空き物件の紙貼ってありますね」
階段しかないが、三十坪くらいの広さで家賃十万。
もしこのクラスの箱を歌舞伎町で借りたら四倍は取っているだろう。
いや、もっと掛かるか……。
秋葉原…、客層といい、場所といい中々の掘り出し物かもしれない。
「長谷川さん! この二階の物件、とりあえず押さえましょう。歌舞伎町とは違った面白い店、作れますよ」
まだ物件すら押さえていないのに、俺は頭の中で思い描くビデオ屋ができていた。