形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

万年筆売り

2011-05-17 18:20:56 | 昭和の頃

幼稚園の頃からずっと、蒲田の隣り駅、目蒲線、矢口の渡に
住んでいた。 目蒲線は、大田区蒲田と目黒を結ぶ東急の電車で、
現在は目黒線と多摩川線に分割され、その名前は消えている。

矢口の渡では毎週土曜日に、駅近くの商店街沿いに夜店が出た。 
それは子どもたちの、土曜日の大きな楽しみの一つだった。

そこに時折、万年筆売りが来た。 香具師(やし)である。
香具師というのは縁日などで物を売ったり、興行をする人のことだ。
私は中でも、万年筆売りが大好きだった。 このインチキ万年筆に
何度もだまされた。 でもなぜかまた買ってしまう。

夜店の中でも万年筆売りは、口上が面白くて人気があり、そのまわりは
黒山の人だかりになった。 道に大きな風呂敷を広げ、その上には
青っぽい泥が山のように盛られている。 泥の中には、一本一本油紙に
包まれた万年筆がいっぱい埋まっているのだ。 

香具師の口上はだいたい決まっている。 自分は万年筆工場で働いていたが、
工場が火事になって会社がつぶれてしまった。 そこで社長から給料の代わりに、
火事場からさらったこの泥まみれの万年筆を渡された、というのがその口上だ。 
だからこの万年筆は、ちゃんとした工場で作られていたんだぞ、というわけ。

今考えると、工場で万年筆にインクを入れるわけがないのに、なんで
青い泥なのか、ヘンなのだが・・・・。 だが聞いているほうはそこまで
考えない。 火事になっている工場と、消防隊が水をかけている光景が
目に浮かび、泥まみれになった万年筆が目の前にあった。

万年筆売りは、泥の中から油紙に包まれた万年筆をおもむろに取り出し、
雑巾で一拭きする。 なんとそこから、ピッカピカの万年筆が出てくるのだ。
この汚い泥の中から、ピカピカの万年筆が出てくるところが最高の見せ場で、
子どもたちの大好きなところだった。

見物人のあいだから、驚きのまじった、オ~ッ!という声がもれる。 
香具師はその万年筆の先をインク壺につけて、白い紙にサラサラと線を
書いて見せる。 どうだ、見たか!である。 たしかに見た!ちゃんと
書ける!おまけに安い! たしか2、3百円ぐらいで、文房具屋で
売ってる万年筆の、10分の1ぐらいじゃないかと思う。 夜店に行くのに
2百円も親からもらっていないから、家に飛んで帰って、貯めたこづかいを
持って買いに行った。

そんな週明けの、月曜日の学校の教室には、きまって、情けない顔で
万年筆を手にしてる、何人かの級友がいた。 私もその中の一人だった。

その万年筆、インクを入れて書こうとすると、ペン先からボタボタ、インクが
ノートに滴り落ちて、まともに使えないのだ。 だからペン先をインク壺に
つけつけ書くハメになる。 それも付けペンほどもインクがもたず、
しょっちゅう壺につけないとダメで、とうてい万年筆とはいえない代物だった。

あるとき、多摩川園遊園地の出口で売っていたのは、万年筆の端に
小指の先ほどの水晶!! がハメ込んであるというものだった。 
たしかに透明で、きれいな水晶がついていた。 だが買ったらやっぱり、
インク、ボタボタで、腹立ちまぎれに水晶をマッチの火であぶったら
燃えちゃった! というのもあった。

時代とともに万年筆は廃れてしまい、
夜店の万年筆売りはどこかに行ってしまった。
                    

形之医学・しんそう療方 東京小石川
http://www.shinso-tokyo-koisikawa.com/



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