形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

春の潮・ファーブル昆虫記から

2011-05-19 18:56:44 | Weblog


  ことのなりゆきはこんな具合だった。
 我々は5人か6人だった。
 私は一番年上でみんなの先生であったが、
 それ以上に仲間であり、友達だった。

 彼ら少年たちは燃えやすい心と楽しい空想とを持ち、
 我々に好奇心をそそり、知識欲にかりたてる、
 あの人生の春の潮に満ち満ちていた。

 一同はあのことこのことを語り合いながら小径を歩いていくと、
 道ばたに生えた草ニワトコやサンザシの花の上では、
 もう金ハナムグリが強い匂いに酔いしれていた。

 我々はレ・ザングルの砂土の高台に、
 聖タマコガネがもう姿を見せて、
 古代のエジプト人が地球の像とした、
 糞の団子を転がしているかどうか見に行くところであった。

 また我々が調べようとしていたのは、
 丘のふもとの小川では、敷きつめたような浮き草の下に、
  珊瑚の小枝に似たエラのある、若いイモリが隠れていないか、
 小川の華奢な小魚のトゲ魚は、
 藍と緋の婚礼の首飾りをもうつけたかどうか、

 ・・・・略・・・・

 いや、まあこのくらいにしておこう。
 要するに、単純で素朴で、生き物と一緒に暮らすことに、
 心の底から喜びを感ずる我々は、
 春の生命の目醒めという楽しい饗宴のうちに、
 朝の幾時間を過ごそうと出かけたのだ。    』

             「ファーブル昆虫記」 (岩波書店刊)より。


この冒頭の一節を読むと、友達と遊んだ小学生の頃を思い出す。
私たちも多摩川に出かけていくとき、道草を食いながら歩く途中、
途中で見つける生きものたちに心を躍らせていた。

いつも同じ家の、海中にさらしたような小さな穴が沢山空いた木の
門柱には、きまったようにトカゲが日向ぼっこしていた。 ガイシと
呼ばれていた、大量のレンガが散乱した、崩れた工場の廃屋の周りの
水溜りには、小エビが素早く動いている。
今日は何がいるかな ・・・・ 私たちはそれらを見つけることを
期待しながら多摩川に向かって歩いていった。 子どもたちは生きものを、
その姿のむこうにある、小さな命を見つめる眼差しで見ていたように思う。


形之医学・しんそう療方 東京小石川
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