形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

弘法浜漂流記(3)・銃剣道の達人?!

2011-09-01 13:01:46 | 昭和の頃

その日、バイトの作業は浜で漁礁の型枠を清掃する仕事だった。
漁礁というのは、海に沈めておく魚の住む家のこと。
コンクリートでできた、2メートル四方ぐらいの大きさで、枠だけで、
壁のないサイコロのような形をしている。 これをたくさん海に沈め、
魚の家にする。 型枠を組み立て、中に鉄筋を組んでコンクリートを
流し込み、固まったら型枠をバラすと出来上がる。 バラした木の型枠は
繰り返し使うので、こびりついたコンクリートを、ケレンという、1、5メートル
ぐらいの棒の先に、小さな鉄板のついたもので、コンクリートをかき落す。

一緒に仕事をしながら現場の作業を指示する、若頭と呼ばれた、
三十代はじめぐらいの、体格も元気もいい人がいた。
昼休みにみんなで休んでいるとき、
「 オレは東大の剣道部を出たんだ 」 といって、みんなを笑わせた。
「 法学部とかじゃなく?」
「 いや、剣道部。 誰か、剣道教えてやろうか? 」 とケレン棒を、
竹刀のように構えながら言い出した。 誰も取り合わずに笑っていると、
「 どうだ藤助爺さん、一丁教えてやろうか? 」  と、
一緒に休んでいたお爺さんに声をかけた。

そのお爺さんは、六十代半ばぐらい。 背筋はシャンとしているが、
短い髪に小柄でほっそりしていた。 とても無口な人でいつも黙々と
仕事をしていた。 その藤助爺さん、そばに置いてあったケレン棒を
持つと、スッと立ち上がった。

そして槍をもつような格好で構え、棒を構えている若頭に対すると、
軽快なフットワークで、小さな鋭い突きを繰り出しながら、砂の上を
滑るようにように前進した。
若頭は、おっ?!おっ?! と、驚きの声をあげ、後退しながら
突きを返す。 藤助爺さん、突き出されたケレン棒を小さく弾くと同時に、
凄まじい突きを入れる。 たちまち若頭は追い込まれ、後ろにあった
型枠に足をとられて、両足を宙に跳ね上げひっくり返った。 
みんな唖然としていた。 仕事をしているときの藤助爺さんとは、
まるで別人だった。

若頭は起き上がって砂をはたきながら、
「 爺さん、なにかやってたのかい? 」 とあきれて聞いた。
藤助爺さんは、
「 昔、銃剣道の教官をしていたことがある 」 と答えた。
藤助爺さんの過去は知らないが、いろいろなところに、
いろいろな人が埋もれているものである。 そのときから、
みんなの藤助爺さんを見る目が、変わったのはいうまでもない。

いまでも藤助爺さんの颯爽とした姿は目に残っているが、
その顔は陰のようになって浮かんでこない。 もう何十年も前のこと。
                 

形之医学・しんそう療方 東京小石川
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