形之医学・しんそう療方 小石川院長 エッセー

昭和の頃、自然と野遊び、健康と医療のことなど。

弘法浜漂流記(1)

2011-09-03 14:42:14 | 昭和の頃

まだ学生だった二十代始めの頃、夏休みに仲間たちと、伊豆大島で三週間
ほどの長逗留をした。 逗留といっても海岸の片隅でのテント暮らしだった。 
場所は大島の弘法浜。 浜の右側は元町港、左側は大きな岩が、ごろごろ
転がって長く続く岩場になり、弘法浜はそのあいだにある海水浴場になって
いる。

始めのうちは、バイトで貯めたお金が少しあったものの、じきに全員が帰る
船賃には足りなくなり、心細いことになってしまった。 そんな頃、朝早く
テントの入り口の前で、「そら、食え!」という声がして、何かがドサッと
投げられた。 出てみると、コブシほどもある、大きなサザエが一個、
テントの前に投げだしてあった。 それから、サザエをくれた三十代ぐらいの
漁師と話すようになった。  浜に朝早く浜に来てみろというので、まだ陽も
昇らない、青く暗い浜に出て待っていると、一人で小さな舟に乗って漁から
もどって来た。

舟を岸につけると、獲ってきた魚を箱に整理し、数のそろわない半端な
小魚をくれた。 しばらくのあいだ、私たちはその漁師から魚をもらい
おかずにしてご飯を食べた。

やがて米まで少なくなり、食べる量も加減しないとならなくなった。
困り果てて、町でアルバイトを探した。 やっと喫茶店でアルバイト募集の
張り紙を見つけて行っても、どこの馬の骨かわからない、真っ黒いのを
雇ってはくれず途方に暮れた。

あるとき、岩場で水中メガネをつけて潜ったら、オカズにぴったりの、 
大きな赤い蟹を見つけた。 必死で捕まえようとして獲りそこない、
一本の足だけ、やっともぎ取って水から出して見たら、割り箸ほどの
細さでがっかりした。 水中メガネをつけて、水の中で見ると大きく
見えるのだ。

はじめは楽しく泳いだり、潜っていた海水浴場の片隅で、私たちは空腹を
かかえ、にぎやかに騒いでいる海水浴客を見ながら座り込んでいた。

そういう日が何日か続いた頃、弘法浜の遠くのほうから、何か大声で
叫びながら歩いてくるオヤジがいた。 
顔がわかるほどに近づいてきたそのオヤジは、でっぷりと太っていて、
カンカン帽をかぶり、着ている派手なアロハシャツの前ボタンは全部
外していた。 手にはウチワを持ち、バタバタと忙し気に扇ぎながら
歩いてくる。

大声で言っているのは、「誰かバイトをする者はおらんかー!!」 と
叫んでいたのだ。 私たちは誰ともなく立ち上がり、オヤジに向かって
走り出していた。
 
  -続く- 
                       

形之医学・しんそう療方 東京小石川
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