お盆いかがお過ごしでしょうか?
私メは相変わらず関係なく仕事です(笑)
なかなか書ける時間がなくてスミマセンm(__)m
今回は教育ネタにて(前回の前フリを踏まえて)。
まず夏休みの少し前のハナシから。
6月頃くらいに、
我が愚息1号(長男小6)と2号(次男小2)の宿題の量が、
著しく違うことに気がついた。
明らかに2号の宿題の方が多い。
といっても、国語のドリル1ページ、
20問程度の簡単な算数プリント1枚。
あとは国語の教科書の音読2~3ページ程度なので、
やれば30分以内に確実に終わるようなカンジ。
けっして多いとは思えない。
というか1号が家で宿題をやっている気配がナイ。
「オマエちゃんと宿題やってんのかよ?」と1号に聞けば、
「宿題は学校で終わらせてきてるから」と言う。
怪しい・・・・
おそらく宿題をやってこない輩の類に入っているのだろう。
と思ったので、
前回書いた「酷暑のサッカー特訓」の折、
同じクラスの同級生の子に、
「コイツちゃんと宿題やってきてんの?」と、
さり気なく聞き出してみようと試みたら、
中学受験に挑む予定の優等生の子が、
「まぁ授業そのものが宿題みたいなものですからね、
だいたいウチの担任、
教室に来ないで、いつも校長室にいるんですよ」という。
はて?どういうことかいな・・・と更に聞くと、
「ウチのクラス学級崩壊しているんです」、
「そうそう!もうウチら終わってるし」と相槌を打つ面々。
「だからプリント自習が授業になっちゃってるんで、
結果的にそれが宿題になっているというか・・・」。
「はぁ?」である。
授業=宿題とは何ぞやと・・・・
なんとなく愚妻から、
そういう類のウワサ話は聞いてはいたものの、
本当に1号のクラスが学級崩壊しているとは思わなんだ。
ということでコトの発端から一応、事情聴取。
そして要約すると、こういうコトらしい。
クラスに1人授業中「発作」のように騒いだり、
教室内をうろついたりして授業に集中できない子がいるとのこと。
おそらく察するに例のADHDの子で「多動」の症状が出ている子であろう。
最近では1クラスに1人必ず程度の差があれど、
この手の子がクラスごとに振り分けられているのが一般的で、
問題はその程度が、どの程度酷いのか・・・ということになる。
もちろん、養護教諭がアシストする体制は敷いていて、
授業中「トラブル」が発生したら、
すぐさま、その子を静かな別の教室に誘導して、
その子の心を落ち着けるように対応しているという。
まさにVIP待遇だ。
と書くと問題になるらしい。
子供の人権と学ぶ権利が優先されるのが、
我が国の義務教育制度の根幹である為だ。
日本国憲法の3大義務に書かれている。
それと「健常者」と決して差別してはならないもある。
「異常」な子の親が(これも問題発言になるが)、
「正常」な子たちとの同じクラスでの教育を望めば、
当然のことながら、
その願いは速やかにかなえられなくてはならない。
最高裁の判例にもある。
したがって、この手のモンスター児童に対して、
学校側も「腫れ物」に触るような対応をせざるを得ない。
また、この手の子の親の多くが、
これまた、いわゆるモンスター系というのは、
教育界では今や常識。
したがって現在
「この手の子」たちは治外法権状態にある。
どんなに騒ごうとも暴れようとも、
「先生」から怒られることがナイらしい。
もはや教室テロである。
しかし「当局」はコレを放置、黙認せよ!という。
言い方を変えると事なかれ主義ともいう。
さすがは日教組、サヨクの極みココにアリ。
テロはサヨクの常とう手段は、
重信房子が詳しい。
閑話休題。
そこに、数人の悪ガキがいて、
「彼」と同じ調子で悪フザケ。
彼らは「健常者」なので当然「叱る」ものの、
「どうしてアイツはOKでオレはダメなんだよ?」となる。
法の下の平等という観点からすれば、
至極正論。
とはいえ、そういう輩も放置すれば、
同じように暴れたり騒いだり教室をうろついたり・・・
カオスな状況が次第に醸成されてゆくこととなった。
今や体罰は厳禁!
「叱る」のも、れっきとした「言葉の暴力」なので、
叱る=体罰という奇妙な方程式が完成する。
教えて育てる「教育」とやらは何処へ。
そんなこんな、しているうちクラス全員が、
ゾンビ化してしまい次第に担任も、
精神的に追い詰められていったらしい。
腐ったミカンどころのハナシじゃナイ。
子供のゾンビ化だ。
坂本金八いや小山内美江子もビックリだろう。
こんな脚本など書けまい。
それっぽく書いたとしてもスポンサーが放送を許さない。
シュールでカオスなシーンの連続ののちに待ち受ける、
生命力なき無色なエンディングなど、
「古典的」な高齢の視聴者は絶対に許さない。
が、これが「現場」の現実なのだ。
そして先日。
夏休みに入り早々、
そのバカ息子二人が通う小学校で、
担任との二者面談。
我が家は貧乏暇なしの共稼ぎ家庭なので、
運動会は別として、
平日に行われる学校行事(家庭訪問含め)は、
夫婦で交互に参加するようにしている。
もっとも、
それとて私メが平日休みを取れる
特殊な職種であるから出来るのだが…
と言いながら、
よくよく考えたら毎年、
私メが夏の二者面談に行っていることに、
今更ながら最近気がついた。
今年で5回目だ。
昭和の時代では考えられないことだろう(笑)
特段、教育熱心でもナイし、
だいたい相手の担任の先生とて、
自分より一回り、いや二回り年下だったりで、
(過去に年上だった先生は1人のみ)
逆面接のような雰囲気になってしまい、
あまり「いい面談」だとは思えないが、
毎回、私メが行っている。
要するに愚妻は行きたくないということ。
確かに愚息二人とも、まさしくバカ息子そのもの。
二人とも、とにかく元気一杯な子であることは褒められても、
その「お言葉」の倍以上に毎回、
もっと国語と算数を頑張るように指導してくれ。
という苦言を呈される。
ハイご無理ごもっともでございますm(__)m
というカンジ。
苦情処理は「プロ級」の自信はあるものの、
金にならない苦情処理は単なる苦痛の時間に過ぎない。
2回り年下の「教師」から苦言を呈されるのは、
ちと酷暑の外回り並みに辛い。
面接の前日、愚妻から1号の先生との面談の際、
「どうして教室に来ないのか?」という詰問は厳禁との、
お達しがあった旨の注意を受けた。
まるでジャニーズやバーニングの記者会見のような、
台本通りの形式的ヤラセ会見みたいだ。
はてさて当日、
いざ、1号の担任と面談すると、
やはり「いつも」の内容と同じで、
こちらとしてはサッサと済ませてもらえて有り難いが、
台本丸読み感は否めず、
所々無理に文章をオリジナル化させようとすると、
ハナシがダラダラとなってしまうカンジ。
「時間がねんだから、まずは要点から先に言えよ」
と喉元から出かかるが、
そこはグッとこらえる。
愚妻曰く、母親だとこういう場合、
かなり突っ込んでややこしいことになるケースが多いので、
男親が行った方がスムーズに終わるらしい。
確かに概ね男は長話が嫌い。
特に「仕事」として割り切って嫌々やっている場合など…
結論としては、
あまり愚息とはコミュニケーションが、
取れていないみたいだな・・・
という印象だった。
それと思っていたよりも「正常」なカンジで、
あまり鬱病を罹っている風にもみえなかった。
が、中学受験組の親たちからの厳しい質問攻めは、
想像だに難くない。
この時期は受験の具体的なハナシをする時期にあたる。
どう対応したのだろう?
と考えると、
また一段と鬱がひどくなるのではなかろうか?
と心配になってしまう。
とまぁ、
こういう「鬱病」または「うつ病予備軍」の教師が、
今の日本に、どれだけいるのだろう?
と、思うにゾッとする。
連日のように「犯罪」あるいは、
「過剰体罰」や「セクハラ」を犯すなどやらかして、
「逮捕」や「懲戒処分」される教師のニュースがある。
恐らく精神に異常をきたしてしまった
面々の悲劇的で哀れな結末なのだろう。
最近、ハンドスピナーなるモノが流行している。
数日前にイオンに行くと324円で売っていたので、
とりあえず購入。
「こんなに安いのか?」と思ったら、
愚息ら曰く別名「民族」なるハンドスピナーなどだと、
数千円もするらしい、
というかホンモノ・ニセモノ・プレミアムモノ入り乱れていて、
それこそ価格も現在バブル状態だそうな。

当然、潮風太子が購入したのは
「まがい物」。
といいながらも、
こんなモノでも3分ほど、
クルクル回り続けるのには、
ちと驚いた。
ただクルクル回るだけのオモチャで、
何が面白いのか「マインクラフト」同様に、
全く理解に苦しむ私メ。
とはいえブームはブーム。
単に乗り遅れのオッサンということなのか。
このハンドスピナーなる商品。
元々はアメリカ人で、
身体の不自由な人が、
子供と遊ぶツールとして発明したものの、
全く売れず、
特許権を放棄した途端、
オフィスの机上で遊べるオモチャ(洋駒)、
として別の企業が売り出し、
その直後、後追いでコレをADHDの子供に、
駒が回っている間、
集中して見続けさせることで、
改善がみられた。
などという報道がされた途端、
「はて、このハンドスピナーとは何ぞや?」
というトコロからアメリカで大ブレーク。
日本では、かのヒカキンがYouTubeで、
紹介した途端、
瞬く間に子供たちの間でブレークを始め、
「民族」なるデザインのハンドスピナーを筆頭に、
各種乱立する状況となった。
クルクル回る「ハンドスピナー」を、
ジッと見ていると皆一応に気持ちが落ち着くのだそうな。
ということは、
このハンドスピナーを教室に置いておけば、
良いということになるか。
立て掛け式の巨大な「スピナー」を黒板のところに1台、
ド~ンと設置し、教室が騒がしくなってきたら、
教師は、それを回す。
すぐさま皆が「集中」できるようになり、
たちどころに静かな教室へと変わる。
ってか?

なんて思っていたら先日、
ロシアで「ハンドスピナーによるアメリカ陰謀説」が。
ハンドスピナーは大衆をゾンビ化させる、
あるいは催眠状態にするために使われている道具として、
使われている。
のだそうな・・・・
あら残念、
荒れた教室での子供のゾンビ化を阻止するための、
「革命的ツール」になりえるかと思いきや、
すでに、この「ハンドスピナー」を使用している子供たちこそ、
何を隠そう、すでに「ゾンビ化」しているというのなら、
もう完全に手遅れじゃないの!である。
かくしてADHDの多動系の子を中心に、
それに相乗りして騒ぐバカガキどもと、
それとは対照的に我関せずとする、
ゴーリキーの小説に出てくるような、
無気力化した諦めの階級脱落者たち風情の、
多くの子供たちと、
教育に失望し虚ろな目をしながら授業をしている教師が、
織りなす「義務教育」の世界。
果たしてこんなことで、
日本の義務教育というシステムが、
その先、未来永劫、
健全な状態で維持し続けることができるのだろうか?
学習障害の問題は全体の学力低下に直結する。
いや近々にも、この国全体の深刻な大問題となろう。
というのに、あまりに放置がすぎやしないか?
良きに計らえとは「バカ殿様」の決めゼリフなれど、
この国を動かすことができる、
現在のトップの政治家たちが、
この体たらくぶりでは、
これまた絶望的な状況だ。
かくして日本各地に点在する虚ろな教室は、
一つの線で繋がっていき、
やがて虚ろな社会の構築へと暴走を始める。
そういうタイミングで「独裁者」が登場してきたのが、
これまでの歴史だというのに。
せっかくの夏休み、
ADHD対策を立てる絶好のチャンス!
学校の先生方の「夏の研修」のカリキュラムに、
このADHD対策も一つ、
組み入れてもらえないものだろうか?
どこの大手マスメディアも取り上げにくいネタであろうから、
こうして貧乏人がコッソリ書くしかナイ。
これとて言論の自由が保障されている今のウチに、
書いておかなければならないとは、
なんとも嘆かわしい時代になったもんだなと。
長文にて失礼いたしました。
ではまた次回。
私メは相変わらず関係なく仕事です(笑)
なかなか書ける時間がなくてスミマセンm(__)m
今回は教育ネタにて(前回の前フリを踏まえて)。
まず夏休みの少し前のハナシから。
6月頃くらいに、
我が愚息1号(長男小6)と2号(次男小2)の宿題の量が、
著しく違うことに気がついた。
明らかに2号の宿題の方が多い。
といっても、国語のドリル1ページ、
20問程度の簡単な算数プリント1枚。
あとは国語の教科書の音読2~3ページ程度なので、
やれば30分以内に確実に終わるようなカンジ。
けっして多いとは思えない。
というか1号が家で宿題をやっている気配がナイ。
「オマエちゃんと宿題やってんのかよ?」と1号に聞けば、
「宿題は学校で終わらせてきてるから」と言う。
怪しい・・・・
おそらく宿題をやってこない輩の類に入っているのだろう。
と思ったので、
前回書いた「酷暑のサッカー特訓」の折、
同じクラスの同級生の子に、
「コイツちゃんと宿題やってきてんの?」と、
さり気なく聞き出してみようと試みたら、
中学受験に挑む予定の優等生の子が、
「まぁ授業そのものが宿題みたいなものですからね、
だいたいウチの担任、
教室に来ないで、いつも校長室にいるんですよ」という。
はて?どういうことかいな・・・と更に聞くと、
「ウチのクラス学級崩壊しているんです」、
「そうそう!もうウチら終わってるし」と相槌を打つ面々。
「だからプリント自習が授業になっちゃってるんで、
結果的にそれが宿題になっているというか・・・」。
「はぁ?」である。
授業=宿題とは何ぞやと・・・・
なんとなく愚妻から、
そういう類のウワサ話は聞いてはいたものの、
本当に1号のクラスが学級崩壊しているとは思わなんだ。
ということでコトの発端から一応、事情聴取。
そして要約すると、こういうコトらしい。
クラスに1人授業中「発作」のように騒いだり、
教室内をうろついたりして授業に集中できない子がいるとのこと。
おそらく察するに例のADHDの子で「多動」の症状が出ている子であろう。
最近では1クラスに1人必ず程度の差があれど、
この手の子がクラスごとに振り分けられているのが一般的で、
問題はその程度が、どの程度酷いのか・・・ということになる。
もちろん、養護教諭がアシストする体制は敷いていて、
授業中「トラブル」が発生したら、
すぐさま、その子を静かな別の教室に誘導して、
その子の心を落ち着けるように対応しているという。
まさにVIP待遇だ。
と書くと問題になるらしい。
子供の人権と学ぶ権利が優先されるのが、
我が国の義務教育制度の根幹である為だ。
日本国憲法の3大義務に書かれている。
それと「健常者」と決して差別してはならないもある。
「異常」な子の親が(これも問題発言になるが)、
「正常」な子たちとの同じクラスでの教育を望めば、
当然のことながら、
その願いは速やかにかなえられなくてはならない。
最高裁の判例にもある。
したがって、この手のモンスター児童に対して、
学校側も「腫れ物」に触るような対応をせざるを得ない。
また、この手の子の親の多くが、
これまた、いわゆるモンスター系というのは、
教育界では今や常識。
したがって現在
「この手の子」たちは治外法権状態にある。
どんなに騒ごうとも暴れようとも、
「先生」から怒られることがナイらしい。
もはや教室テロである。
しかし「当局」はコレを放置、黙認せよ!という。
言い方を変えると事なかれ主義ともいう。
さすがは日教組、サヨクの極みココにアリ。
テロはサヨクの常とう手段は、
重信房子が詳しい。
閑話休題。
そこに、数人の悪ガキがいて、
「彼」と同じ調子で悪フザケ。
彼らは「健常者」なので当然「叱る」ものの、
「どうしてアイツはOKでオレはダメなんだよ?」となる。
法の下の平等という観点からすれば、
至極正論。
とはいえ、そういう輩も放置すれば、
同じように暴れたり騒いだり教室をうろついたり・・・
カオスな状況が次第に醸成されてゆくこととなった。
今や体罰は厳禁!
「叱る」のも、れっきとした「言葉の暴力」なので、
叱る=体罰という奇妙な方程式が完成する。
教えて育てる「教育」とやらは何処へ。
そんなこんな、しているうちクラス全員が、
ゾンビ化してしまい次第に担任も、
精神的に追い詰められていったらしい。
腐ったミカンどころのハナシじゃナイ。
子供のゾンビ化だ。
坂本金八いや小山内美江子もビックリだろう。
こんな脚本など書けまい。
それっぽく書いたとしてもスポンサーが放送を許さない。
シュールでカオスなシーンの連続ののちに待ち受ける、
生命力なき無色なエンディングなど、
「古典的」な高齢の視聴者は絶対に許さない。
が、これが「現場」の現実なのだ。
そして先日。
夏休みに入り早々、
そのバカ息子二人が通う小学校で、
担任との二者面談。
我が家は貧乏暇なしの共稼ぎ家庭なので、
運動会は別として、
平日に行われる学校行事(家庭訪問含め)は、
夫婦で交互に参加するようにしている。
もっとも、
それとて私メが平日休みを取れる
特殊な職種であるから出来るのだが…
と言いながら、
よくよく考えたら毎年、
私メが夏の二者面談に行っていることに、
今更ながら最近気がついた。
今年で5回目だ。
昭和の時代では考えられないことだろう(笑)
特段、教育熱心でもナイし、
だいたい相手の担任の先生とて、
自分より一回り、いや二回り年下だったりで、
(過去に年上だった先生は1人のみ)
逆面接のような雰囲気になってしまい、
あまり「いい面談」だとは思えないが、
毎回、私メが行っている。
要するに愚妻は行きたくないということ。
確かに愚息二人とも、まさしくバカ息子そのもの。
二人とも、とにかく元気一杯な子であることは褒められても、
その「お言葉」の倍以上に毎回、
もっと国語と算数を頑張るように指導してくれ。
という苦言を呈される。
ハイご無理ごもっともでございますm(__)m
というカンジ。
苦情処理は「プロ級」の自信はあるものの、
金にならない苦情処理は単なる苦痛の時間に過ぎない。
2回り年下の「教師」から苦言を呈されるのは、
ちと酷暑の外回り並みに辛い。
面接の前日、愚妻から1号の先生との面談の際、
「どうして教室に来ないのか?」という詰問は厳禁との、
お達しがあった旨の注意を受けた。
まるでジャニーズやバーニングの記者会見のような、
台本通りの形式的ヤラセ会見みたいだ。
はてさて当日、
いざ、1号の担任と面談すると、
やはり「いつも」の内容と同じで、
こちらとしてはサッサと済ませてもらえて有り難いが、
台本丸読み感は否めず、
所々無理に文章をオリジナル化させようとすると、
ハナシがダラダラとなってしまうカンジ。
「時間がねんだから、まずは要点から先に言えよ」
と喉元から出かかるが、
そこはグッとこらえる。
愚妻曰く、母親だとこういう場合、
かなり突っ込んでややこしいことになるケースが多いので、
男親が行った方がスムーズに終わるらしい。
確かに概ね男は長話が嫌い。
特に「仕事」として割り切って嫌々やっている場合など…
結論としては、
あまり愚息とはコミュニケーションが、
取れていないみたいだな・・・
という印象だった。
それと思っていたよりも「正常」なカンジで、
あまり鬱病を罹っている風にもみえなかった。
が、中学受験組の親たちからの厳しい質問攻めは、
想像だに難くない。
この時期は受験の具体的なハナシをする時期にあたる。
どう対応したのだろう?
と考えると、
また一段と鬱がひどくなるのではなかろうか?
と心配になってしまう。
とまぁ、
こういう「鬱病」または「うつ病予備軍」の教師が、
今の日本に、どれだけいるのだろう?
と、思うにゾッとする。
連日のように「犯罪」あるいは、
「過剰体罰」や「セクハラ」を犯すなどやらかして、
「逮捕」や「懲戒処分」される教師のニュースがある。
恐らく精神に異常をきたしてしまった
面々の悲劇的で哀れな結末なのだろう。
最近、ハンドスピナーなるモノが流行している。
数日前にイオンに行くと324円で売っていたので、
とりあえず購入。
「こんなに安いのか?」と思ったら、
愚息ら曰く別名「民族」なるハンドスピナーなどだと、
数千円もするらしい、
というかホンモノ・ニセモノ・プレミアムモノ入り乱れていて、
それこそ価格も現在バブル状態だそうな。
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当然、潮風太子が購入したのは
「まがい物」。
といいながらも、
こんなモノでも3分ほど、
クルクル回り続けるのには、
ちと驚いた。
ただクルクル回るだけのオモチャで、
何が面白いのか「マインクラフト」同様に、
全く理解に苦しむ私メ。
とはいえブームはブーム。
単に乗り遅れのオッサンということなのか。
このハンドスピナーなる商品。
元々はアメリカ人で、
身体の不自由な人が、
子供と遊ぶツールとして発明したものの、
全く売れず、
特許権を放棄した途端、
オフィスの机上で遊べるオモチャ(洋駒)、
として別の企業が売り出し、
その直後、後追いでコレをADHDの子供に、
駒が回っている間、
集中して見続けさせることで、
改善がみられた。
などという報道がされた途端、
「はて、このハンドスピナーとは何ぞや?」
というトコロからアメリカで大ブレーク。
日本では、かのヒカキンがYouTubeで、
紹介した途端、
瞬く間に子供たちの間でブレークを始め、
「民族」なるデザインのハンドスピナーを筆頭に、
各種乱立する状況となった。
クルクル回る「ハンドスピナー」を、
ジッと見ていると皆一応に気持ちが落ち着くのだそうな。
ということは、
このハンドスピナーを教室に置いておけば、
良いということになるか。
立て掛け式の巨大な「スピナー」を黒板のところに1台、
ド~ンと設置し、教室が騒がしくなってきたら、
教師は、それを回す。
すぐさま皆が「集中」できるようになり、
たちどころに静かな教室へと変わる。
ってか?

なんて思っていたら先日、
ロシアで「ハンドスピナーによるアメリカ陰謀説」が。
ハンドスピナーは大衆をゾンビ化させる、
あるいは催眠状態にするために使われている道具として、
使われている。
のだそうな・・・・
あら残念、
荒れた教室での子供のゾンビ化を阻止するための、
「革命的ツール」になりえるかと思いきや、
すでに、この「ハンドスピナー」を使用している子供たちこそ、
何を隠そう、すでに「ゾンビ化」しているというのなら、
もう完全に手遅れじゃないの!である。
かくしてADHDの多動系の子を中心に、
それに相乗りして騒ぐバカガキどもと、
それとは対照的に我関せずとする、
ゴーリキーの小説に出てくるような、
無気力化した諦めの階級脱落者たち風情の、
多くの子供たちと、
教育に失望し虚ろな目をしながら授業をしている教師が、
織りなす「義務教育」の世界。
果たしてこんなことで、
日本の義務教育というシステムが、
その先、未来永劫、
健全な状態で維持し続けることができるのだろうか?
学習障害の問題は全体の学力低下に直結する。
いや近々にも、この国全体の深刻な大問題となろう。
というのに、あまりに放置がすぎやしないか?
良きに計らえとは「バカ殿様」の決めゼリフなれど、
この国を動かすことができる、
現在のトップの政治家たちが、
この体たらくぶりでは、
これまた絶望的な状況だ。
かくして日本各地に点在する虚ろな教室は、
一つの線で繋がっていき、
やがて虚ろな社会の構築へと暴走を始める。
そういうタイミングで「独裁者」が登場してきたのが、
これまでの歴史だというのに。
せっかくの夏休み、
ADHD対策を立てる絶好のチャンス!
学校の先生方の「夏の研修」のカリキュラムに、
このADHD対策も一つ、
組み入れてもらえないものだろうか?
どこの大手マスメディアも取り上げにくいネタであろうから、
こうして貧乏人がコッソリ書くしかナイ。
これとて言論の自由が保障されている今のウチに、
書いておかなければならないとは、
なんとも嘆かわしい時代になったもんだなと。
長文にて失礼いたしました。
ではまた次回。
変わりましたよね。
昭和の小学校では、一応先生にも
威厳があり、手が出るのも普通で
誰も問題にしなかったのに。
今や学校でも学童スポーツでも
スマートな指導?ばかり。
自分もウチの子がチームにいた時は
相当熱かったけれど、やはり
次世代になれば、タダのコーチ
だから、どこかで父親コーチに
遠慮して優しいコーチになって
ますからね。
少年野球じゃ、問題のあるチーム
なら退団すればいいだけですが、
学級崩壊は洒落にならないですよね。
やはり公立学校の限界なのか、
先生の力量に頼るのも無理が
ありますので、やはり考えてる
親はお受験で私立へとなるので
しょうか。
我が家は娘息子とも、中学まで
公立でしたが、そこまでの問題が
あるとは聞いて無かったですが、
(実際あったかもしれないが、
親父との会話が少ないので)
う~んと唸る難題ですねえ。
と毎回思います。</色>
その昔はブルジョアの温室育ちのおぼっちゃま学校が、
「私立」で、そういうところに通うボンボンたちを、
よく皮肉りながら揶揄したものでした。
我々の世代は殆どの子が私立中に行けない、
貧乏人の家に生まれてきたが故に、
体罰当然、競争に勝ち残っていかなければ「上」に
上がることが出来ないという完全競争主義の、
「公立」スタイルの教育を受けて育ってきたワケですが、
今や、ノンビリ・テキトー・無教養が公立スタイルで、
厳格、競争原理主義、運動神経抜群の文武両道常識が、
「私立」スタイルとは、なんとも皮肉なものです。
「ブルジョア」家庭に生まれてこなければ、
有名進学校の私立幼稚舎、小学校、中学校に入り、
厳格な躾はもとより「まともな教育」を受けられないという、
逆転現象が起きている我が国。
この夏休みの宿題を見ても、
2号の方は、まぁ常識的な夏休みの宿題だったものの、
やはり1号の方は7つあるうち、
規定2、残り5つのうち自分のできそうな分野の宿題を、
2つ選んでやってくればOK !なんて、
そんなマイペースにもほどがあるレベルの教育を、
人格形成期にやっていたら、
将来、的確かつ迅速な判断と対応というプレッシャーに加え、
「プロ」なら当たり前の時間とノルマとの戦い、
それでいて1円のミスも許されない、
完璧な仕事を連日要求される日々に、
明け暮れる毎日を送る「まともな企業戦士」に、
この先将来、ちゃんとなれるのだろうか?と、
マジで心配になってきましたよ。
「この仕事ボク苦手だから出来ません」なんて平気で、
上司に言うような人間にはなってほしくないなと・・・
「子供の人権」「教育を受ける権利」が、
本来の意味とは違うように解釈され始めた今、
今一度、教育基本法も見直さなきゃいけない時期に、
入ってきてしまったような気が致しますハイ・・・
仰る通りで、もはや学年に1つや2つ学級崩壊しているのが、
当たり前という奇妙な時代のようで、
まさしく、どのクラスに入るかで「運命」が大きく変わって
しまうというラシアンルーレット状態の義務教育界。
しかし教師の側もまた同じという、こんな疑心暗鬼な
状況でまともな「教育」ができるとは到底思えないのですが、
文科省もこういう問題を把握しつつ黙認している状態で、
このまま放置し続けると、こういう崩壊したクラスが、
増加の一途をたどることになるんでしょうね・・・
本気で学びたければ「塾」や「家庭教師」を利用しろ!
ってなカンジで結局、貧乏人は学ぶ機会を失うことになろうとは、
「義務教育制度」を作った当時の人たちが、
知ったらビックリと同時に怒り狂うでしょうね(笑)