奥浜名湖の歴史をちょっと考えて見た

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イナサの国=龍蛇神のクニ(4)ー浜松市引佐郡

2022-02-19 20:43:02 | 郷土史
立須の峰・天白磐座遺跡・白岩水神社は深い関係があります。「立須」は式内「大煞」神鎮座地で、「煞」は殺と同義です。つまりこの神は寿命を司り、御神体は奇岩重々たる峰から「龍」です。これが里に下ると「蛇」になり、天白磐座に鎮座することになります。それはちょうど冬至の日の落ちる方角にあり、太陽の死(陰)を意味すると同時に生(陽)へ転換するいわば再生の地なのです。この磐座自体は陽神(男性器)ですが、ちょうどほぼ真北に白岩神社=うなぎ井戸があります。「う」は烏で黒を象徴し、方位で言えば北、象意は水、すべて陰に属します。しかし「なぎ」はサンスクリット「ナーガ」の転化、すなわち蛇です。蛇は陰陽五行では南を指します。つまりこの蛇は天白磐座からやってきたのです。井戸=深い穴は女性器の象徴で、磐座の神はここに妻どいするわけです。それゆえ、子を成すことで、永遠の命と豊穣を保証する神なのです。ここにいる蛇はやがて成長すると天=立須に登り、龍となります。こうしたことが悠久の時を紡いで繰り返されてきたのです。  立須の峰に上ると東に三方ヶ原台地が眼下に広がります。ここは太陽崇拝の峰で、それゆえ最初は大和三輪山と同じ蛇神を祀っていたのですが、のち竜神信仰へとかわったのでしょう。三岳山にある三岳神社は中世になって建てられたのですが、ちょうどタチスの峰のほぼ真東にあたり、春分・秋分の日の太陽を配する位置にあります。ここからも、かの峰の太陽信仰を表わされています。  自然の偶然の配置により、白岩水神社はタチスの峰からは冬至の日の太陽の沈む方角にあたり、死と再生の位置になります。この神社を新しいという学者もいますが、天台宗の開祖最澄の祈願文(別稿)の白磐神は遠江の地に、該当する神が見当たらずおそらくこの神で良いと思います。過去、この神社の前に池(泉)があったということですが、ここにほぼ真南の天白磐座から地下を通じてやってくるのです。  渭伊神社がもと八幡宮(現龍潭寺)の場所に鎮座していたという学者がいますが、井伊氏始祖誕生の井が古代迄遡るということは証明できません。名井と言われる井はほかにもありますが、段丘端ではもっとあり、消長を繰り返したことでしょう。こうした井はよく手入れしないと埋まっていき、また水腐れをおこします。この井は御井でなく、御手洗の井にしかすぎなかったのです。また井をさらうため井の神に石や陶器そのほかを捧げるのですが、江戸時代にはすでに埋まりかけていて、そうした祭祀が行われた形跡はありません。 「イナサ」の意味については別に書きます。