おはようございます。
十・b師は言われた―「スブーティよ、もしも、ある求道者が、『わたしは国土の建設をなしとげるだろう』と、このように言ったとすれば、かれは間違ったことを言ったことになるのだ。それはなぜかというと、スブーティよ、如来は<国土の建設、国土の建設というのは、国土の建設でないことだ>ととかれているからだ。だからこそ、<国土の建設>と言われるのだ。」
(中村元 紀野一義 訳 岩波文庫)
頌20(浄土というのは、仏陀の)知から流れ出たもの、ただ表象としてのみあるもの(唯識性)である。それゆえに、国土(の光輝)は捉えられるものではない。それは個別的な形状の限りではないから、(光輝ではないのであり)しかも最もすぐれた(教えによって飾られた)ものであるから、光輝ではないものが光輝であると言われるのである。
(中村元 紀野一義 訳 岩波文庫)
頌20(浄土というのは、仏陀の)知から流れ出たもの、ただ表象としてのみあるもの(唯識性)である。それゆえに、国土(の光輝)は捉えられるものではない。それは個別的な形状の限りではないから、(光輝ではないのであり)しかも最もすぐれた(教えによって飾られた)ものであるから、光輝ではないものが光輝であると言われるのである。
(無著造 世親釈 長尾雅人訳 中公文庫)
※ 国土の建設 ー 国土荘厳(こくどしょうごん)、国土の光輝(かざり)。極楽浄土などの仏国土(ひとりの仏が教化できる範囲のこと)に飾りつけを施すこと。