正覚ノ門 徒然帖

正覚者の言葉、日々の雑感。
・金剛般若経・無著頌 R2/1/7〜3/11 7/20〜
・長老偈経 3/14〜7/17

金剛般若経 十五b

2020-08-21 05:55:57 | 日記

おはようございます。

十五 b さらにまた、スブーティよ、実に、この法門は不可思議で、比べるものがない。スブーティよ、如来はこの法門を、この上ない道に向かう人々のために、もっとも勝れた道に向かう人々のために説かれた。ある人々は、この法門を取り上げ、記憶し、誦え、理解し、他の人々に詳しく説いて聞かせるだろう。スブーティよ、如来は、目ざめた人の智慧によってこういう人々を知っている。スブーティよ、如来は、目ざめた人の眼でこういう人々を見ている。スブーティよ、如来は、こういう人々を覚っている。これらすべての人々は、計り知れない福徳を積んだことになるだろう。不可思議で、比べるものがなく、限りなく、無限の福徳を積んだことになるだろう。スブーティよ、これらすべての人々は、みずから目ざめに与る(あずかる)ようになるだろう。
それはなぜかというと、この法門を、信解の劣った人々は聞くことができないからだ。自己に対する執着の見解のある人、生きているものに対する執着の見解のある人、個体に対する執着の見解のある人、個人に対する執着の見解のある人々は聞くことができないからだ。求道者の誓いを立てない人々は、この法門を聞いたり、あるいは取り上げたり、あるいは記憶したり、あるいは誦えたり、あるいは理解したりすることができない。そのようなことわりはありえないのだ。
(中村元 紀野一義 訳  岩波文庫)

頌39 (この法門は、"思議することのできないもの"、すなわち)一般的な知の対象ではなく、("比較を絶したもの"であるから、大乗に)独自なものである。そのようにして、("至高の道に入った")偉大な人格の拠り所となるのであり、("劣った考えに信を置く人々"にとっては)これを聞くことは困難であり、しかも("無量の功徳の集積"の)要因を最高に成長せしめるのものである。
頌40a-b ("その肩に担う"とはすなわち)純正な教え(正法)を維持することであり、(説法することによって)その場所が(香りが薫ぜられたり花が盛られたりする)器となる。
(無著造 世親釈 長尾雅人訳注 中公文庫)

"その肩に担う" 15bの前半の段落末「みずから目ざめに与る(あずかる)ようになる」の部分を指す。宇井伯寿博士の訳では「自己の肩によって菩提を荷う」となっている。