シャバ駄馬男「シャバでひとつ…」

秋田のタレント、シャバ駄馬男のたわいない日常ダイヤリー

勝ちたい気持ち…

2008年11月10日 | スポーツ
 久しぶりに書いた。しばらくばたばたしていて全然更新できなかったけど、いてもたってもいられず書いた。
 野球ファン、いや、巨人ファンを引退してから早6年。それでもテレビ中継や新聞のスポーツ欄ではなにげに結果をチェックしたり、それに対して軽くうなずいたり嘆いたり…。別れた彼女の事が何となく心配で、でも、悪戦苦闘しながらも一生懸命ってるんだなあ、なんて、ホッとしたりもして…みたいな。

 でもって今回のメイクレジェンド。元カノはついに日本一の夢を掴もうとしていた。元彼の俺は純粋に「がんばれよ」という気持ちで応援することにした。

 第一戦で敗れるも、二戦、三戦と連勝。元彼の俺は次第にヒートアップし、まさにつきあっていたときのように(ファンだった頃のように)、ボルテージが上がり始める。逆転劇から先に王手をかけたときは、アツい抱擁をした。テレビに…。

 遠くから元カノを静かに応援するつもりが、いつの間にか6年以上前の俺たちの関係に戻っていた。お前がヘマをすればその夜は不機嫌で、次の日の仕事にも影響が出る。お前が鮮やかに決めればその日はお祭りで、次の日楽しく仕事ができた。

 たった5戦でどっぷりと過去を取り戻した俺は、ついに第6戦で爆発する。
なんども勝ち越しのチャンスがありながらそれを簡単につぶす。勝てた試合を落としてしまう。6年前、俺が彼女に別れを告げることとなる最大の原因が、再び目の前に訪れた。神様は俺にすべてを思い出させてしまったのだ。

 3勝3敗という対戦成績で第7戦を観ることになる。

俺は臨戦態勢を整え画面の前に座り込む。こんな気持ちはいつ以来だろう。俺って昔毎日こんな気持ちで過ごしてたんだろうなあ。古き良き昭和のお父さんになったんだろうな~。

 そんなのんきな事を言っている場合ではない。そして試合が始まる。


そして試合が終わる…。

俺の中にある言いようのない空しさ。

ここからはもはや元カノという疑似設定はやめ、ぶっちゃけトークしますけど。

最低だ!

最後の最後まで信じた俺がアホだった。
巨人対西武の第7戦。勝っても負けてもこれが最後。どれだけわくわくして観れるのか。そんな試合を望んでました。でもなにあれ?初回の2安打2点のみ。これが日本一の頂上決戦ですか?かつて巨人に勝ててうれし涙を流した清原のような選手が出てくるようなすばらしい試合を期待してたのに。

 なぜこんなに元カノに…、いやジャイアンツに腹を立ててるか。それは、最終戦で絶対に日本一になる!絶対に負けたくない!という気持ちが、観ている俺に全く伝わらなかったからです。
 そりゃ当然一生懸命やったとは思います。西武だって完璧な投手リレーだから普通ならそう簡単に打てないのもわかります。でも、絶対に勝ちたいという気持ちが、観ている人、応援している人に伝わらなければ駄目でしょう。

 少なくとも、いや、西武には大いにそれを感じた。2-1という最小得点差はリードしているとは思えないほどの緊迫感で、いつ逆転されるのかという思いは、西武に、絶対に負けたくないという気迫を感じたから。8回表、先頭打者の片岡がデッドボールでガッツポーズし1塁に歩いていったとき、巨人を応援していた誰もが、
「これ、やばいかも…」

と思ったはず。案の定、その不安は的中し、あっという間の逆転劇ですよ。

 2-3。同じ1点差ながら、リードを許した巨人が追いかける1点は、ハラハラもクソもなく、ほぼ終戦を意味する大きなリードに思えました。それは、何度も言うように、巨人の選手から、相変わらず勝ちたいという気持ちが全く伝わってこなかったから。

 おれがかつて愛した巨人は違った。どの打者がバッターボックスに入ってもハラハラし、いつこの劣勢を跳ね返してくれるのか、本当に最後の最後まで目が離せなかった。打席に立つ9人、そしてベンチの控え選手も含め、すべてがスターだった。

 しかし今の巨人にはそれがない。確かに若手は育ってきているかもしれない。でも、巨人を引っ張る生え抜きの選手が見あたらない。高橋由しかり、二岡しかり、
純巨人産選手がこの大一番に怪我などで体調をあわせられないとは何事?あなたたちがしっかりとリーダーシップをとらなねればならないでしょうが。ベストではないものの、阿部慎之助の存在感はやはり別格で、6戦7戦も無理してでもチームを引っ張って欲しかった。たとえ生え抜きでも、日替わりでプチヒーローが誕生するような若手ばかりでは勝利に安定感もなにもない。顔に輝きもカリスマ性もない。正直2軍の試合を観ているようだった。

 ここまでいうと巨人ファンにぶっ殺されるかもしれないけど、いっときますが、俺は私設応援団以上に、徳光さんや黒鉄ヒロシさんや中居君以上に熱狂的な巨人ファンでした。ファンをやめるとはなんたることととお思いでしょうが、ジャイアンツという球団のもつカリスマパワーは、絶対的に他を圧倒するものではなくてはならず、そこにある勝利の美学というのは、常に「さすがジャイアンツ」と賞賛されるべきものなんです。

 と、ジャイアンツにかこつけましたが、どんなスポーツでも同じ。観るものを感動させるのは、そこに必死さを感じるから。絶対に負けたくないという強い思いが伝わるから。それが伝わらなければ、たとえその人が一生懸命やってるつもりでも、決してそれはベストではないんです。

 残念ながら第7戦の巨人にそれを見いだすことはできませんでした。しかしその状況に選手達自らが気づくのなら、それは確実に来年への糧となるでしょう。

 一生懸命さがなければ、やっている人も観ている人も、最終的に不満や愚痴しか残らない。しかし、全力で望んだ結果の敗北は、どこかに必ずすがすがしい達成感があり、それ以上に大いなる悔しさが残ります。その悔しさは必ず雪辱へのパワーとなります!

 嗚呼愛しのジャイアンツよ!元カノよ!俺はいつでも君の活躍を観ている。別れても今なお観ている。それはずっと君を愛していたからさ。

 俺の本心を話そう。そう、本当は君の元に戻りたいんだ。ジャビ子…、いやビッキー。