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岡本太郎が大好きで、美術館や記念館に何度も行った。画集や著作もたくさん持っている。殊に語録集『強く生きる言葉』『壁を破る言葉』は大好きで、何度も何度も読みかえたし、私の「言葉のノート」にも何ページにもわたって記してある。今でも大好きだけれど、その中に「ニブイ人間だけが「しあわせ」なんだ」という言葉がある。これは芸術家に限ったことではないだろうが、殊にクリエイターは、満たされてしまったら、そこでおしまいだし、「原罪」もわからぬような鈍感な人間では人の心を動かすようなものは何ひとつ作れないだろう、というようなことなのであろう。ほんとうに、その通り、ほんとうの、ほんとうに、その通り。そして、私は、そのように生きていた気がする。「幸せになってはいけない」「幸せになったらおしまいだ」この呪文が頭を駆け巡り、いつしか私を支配していたような気がする。これは岡本太郎の言葉に出会ったからではなく、もともと、そのように生きてきたので、この言葉に頷いたのだ。それはクリエイターとして、正しい、あり方と思われる。今でもそう思う。そのような生き方は美しいと思う。そう思う反面、現在は、「幸せ」ということを考える。幸せになりたい。幸せになってもよいとおもう。幸せになって、それでも、表現できることがあるような気がする。それでも人の心を動かせるものが、ことが、できる気がする。どうしても、どうしてもそんな気がする。いや、できる!!
私は、勿論不幸は好きではない。しかし、正確に言うと、自分を不幸だと思うことの方が、、もっと好きではない。私が一番嫌いなのは、そうたいして不幸でもないのに、自分をよっぽど不幸だと思わないと安心出来ないような人である。(宇野千代)
よく世間には「自分には運がない」と言う人がありますが、私には、自分のことを運がないと言う人は、何だが、卑怯なことを言っているように思われて、好きになれません。あなたも自分のことを、運の好い人間だと思うようになってください。きっと自分の思った通りになれますから。運というのは自分で拓くものです。(宇野千代)
おばあさんが、屋台の下から、折りたたみ式の椅子をもう一脚だしてひろげてくれた。私たちは三人並んでそこにすわる。あいかわらず小屋の外はあかるくて、人生の善いこと、美しいこと、輝かしいことはすべて、すぐそこを流れているような気がした。隣で、兄が柿のたねを食べる。かりかりと心細い音がする。(「なつのひかり」江國香織)
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