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瀧浪貞子氏の「女性天皇」について

2017-07-09 14:09:18 | 皇室関連
京都女子大学文学部史学科教授 の瀧浪貞子氏は、古代日本史の専門家として知られています。

氏のプロフィールについて、ご参考までに
http://researchmap.jp/read0175268/

さて瀧浪氏は、女性天皇について

「『皇位』の継承者ではあっても『皇統』の継承者ではなかった」と述べています。
(『女性天皇』集英社新書P204より)
推古天皇にはじまり、称徳天皇までに至る古代日本の「女性天皇」について、「中継ぎ的な存在」と説明されることがあります。

同書はその内容について丁寧に分析をしていますが

「中継ぎ」というのは、「皇位」は継承するが、あくまでも皇位を一時預かり、正統の継承者(男帝)に渡すための「皇統」の継承者ではないということについて説明しています。

また現代の皇室典範改正論については

「男性の有資格者がいないから女帝を認めるといった糊塗的な対処であっては、問題の先送りに過ぎず、なんら本質的な解決にはならない」

と、指摘しています。

参考までに、同書を読んだ方のコメントを例として紹介しておきます。
なお、この方は男系継承、あるいは女系容認のいずれの論にも与していませんが、どちらを支持するにしても参考となるご意見だと思います。
http://dainagon-end.at.webry.info/200412/article_12.html

まず、古代の女性天皇には、二つのパターンがあったことが指摘される。
一つは、推古天皇のように、次代の王族たちに適当な候補者がいないため、あるいは、逆に有力な候補者が多数いてその衝突を回避するため、女性天皇がたてられたケースである。
これは、王が実際に為政者である必要があり、そのための要件として年齢要件(本書では30歳とする)があったり、為政者にたる政治力を有している(有力豪族や王族たちの支持)ことが要件であったりしたため、である。

次に、持統天皇以下の女性天皇であるが、これは、天武と持統の子孫(嫡系)に王位を伝えていくためのものであった。

やはり、天皇が実際に為政者である必要があることから、年少の草壁皇子や首皇子に王位を直接渡すことが出来なかったため、他の王族に王位を明け渡さずに、「不改常典」により嫡系相承を実現するための方策であった。したがって、このことから女性天皇による生前譲位が導き出される。王位につくのは、譲位することが前提であるからである。
ところが、首皇子(聖武天皇)には、結果として男子がなく、「不改常典」による嫡系相承として長女を正式な王(今までの「中継ぎ」的な女性天皇とはことなる)とすることになった。これが、孝謙=称徳天皇である。

しかし、称徳天皇自体も自分の子孫に王位を譲ることは期待されておらず、また、当時の豪族・王族の間では、その支持を得ることはできなかったであろう。

その意味では、称徳天皇は女性天皇でありながら、男系男子天皇と振る舞いつつも、男系原理を転換することは、そもそも期待されていなかったし、自身もその意図は無かったのである。

以上にみたように、日本の古代史上の女性天皇は、第1の類型でも第2の類型でも、基本は男系天皇を導き出すための「橋渡し」天皇という位置づけであった。

したがって、官僚制が整備され、皇太子の政務関与が不可欠でなくなると、幼年皇太子が誕生し、律令官制が整備され、特に不比等らが用意した議政官優位の体制が造られると、王にさえ統治能力は問題でなくなってくるのである。

逆に、王に求められる資質は、挙げて「不改常典」にさだめられた皇統の相承原理にしたがっているということになる。もちろん、「不改常典」そのものは、称徳後によって、ある意味反故にされたが、しかし、基本的原理そのものは、皇統が天智系に復帰したこととも関係して、むしろ強く意識されていくことになるのである。(あえて説明すると、「不改常典」とは天智の口伝による皇統相承原理とされ、従来の、兄弟=同輩間相承を否定し、世代間相承を皇位継承原理とするものである。)

男系による皇位継承は、男系に限定するということで皇統相承原理として確立していった。王位につくのに、統治能力(政治力は勿論、徳も、芸術的才能も、信仰心)も必要ないのであれば、皇統につく原理として限定的に働くのは、男系子孫に限られるという一点にしかなかった。
そして、神武天皇が男性である限り、かかる限定原理は「男系」という形しか取り得無かったであろう。

この点、現在の女性天皇をめぐる議論の中で、男系に固執する理由にY遺伝子の存在を強調する方もいる。
Y遺伝子だけをたどれば、神武天皇まで行き着くはずだというのである。
おもしろい考え方である。

これは、あまりに現代的な解釈であろうけど、血脈というのを今いる天皇から始めるのか、始祖から考えて、現王からたとえ遠縁になっても始祖と血統的に繋がりが確認できる者に王位を譲るべきなのか、という点において、「不改常典」とそれの破られ方はあきらかに後者によっている。

「万世一系」とは、連綿と続く皇統というイメージよりも、かならず神武まで遡ることが確かな一族による統治を指している。(理念的な話としては。)

天皇制度における皇位の相承原理は、男系血統によってはじめて、血統の純粋性を強調できるのであって、女系に移れば、血統の純粋性は保たれない。というか、始祖まで遡る「一系」とは、いえなくなる。男系か女系かのいずれかでなければ、皇統の転移という問題が生じるのである。

とすれば、女性天皇はともかく、女系天皇の出現を認めることは、天皇制度の相承原理を大きく逸脱するといえ、つまりは、日本国に君臨する天皇の内在的原理を放棄することになるのである。
だからこそ、男系派の主張が「伝統」を根拠に根強く主張されるのであろう。

しかし、以上にみたように、男系限定は、単なる「伝統」ではなく、皇位の根本的相承原理であり、そして、それこそが、天皇を天皇たらしめていた唯一といってよい根拠だから、というべきであろう。
要は、男系に限るという「原則」が、皇統を他の血統と根本的に差別化し、特権化しているという点を看過しては、ならないのであろう。
男性天皇に限定されたのは、なるほど、明治時代かもしれないが、男系を血統原理とする以上、男性天皇が基本形態であって、女性天皇は皇太子制度や補弼者が責任をとる明治憲法体制の下では、その固有の存在意義なかったことにも注意がいるだろう。
この限りでは、一部の論者が、天皇が大元帥であるために、男性でなければならなかったというのは、必ずしも当を得た見解ではないように思われる。

日本古代史上でも、女性の軍事指揮官は存在したし、源平の巴御前や北条政子などの伝統からは、大元帥であるために天皇位が男性に限定されたというのは、たとえ、そういう要素があったにしても、本質的ではないと思わせる。

そこで、女性天皇を是認するか、女系天皇を是認するか、であるが。

ここで、今の日本社会が、女性天皇を認め、さらには、女系天皇を容認している事実に着目したい。
以上にみたように、男系であることが天皇を天皇たらしめている血統原理であるとすれば、今の日本社会は、かかる原理をもはやすててよい、と考えていることになる。

では、どういう原理を国民が支持しているのであろうか。

より、根本的には、国民主権原理の一表現である「国民の総意」に君臨する天皇である。
以上に検討してきた天皇が天皇たる原理は、伝統的な歴史的な天皇についてのものである。
しかし、遅くとも昭和21年日本国憲法の成立によって、天皇の位は、アマテラス神の末裔であることによって、保障されたわけではなく、国民の総意にもとづく地位へと変更された。

これは、一瞬一瞬、国民の総意が天皇の位を支えていることを意味しているわけで、国民主権原理の外に、天皇の位を維持すべき支えもなければ、天上よりつり下げられる糸があるわけでもない。

であるとすると、「伝統」天皇が依拠していた血統原理に、さほど、重きをおく必要がない可能性がある。もちろん、国民の総意が伝統的なものとして天皇を支えている場合もあるのであって、このときは、国民主権原理に反しない限りで皇統の「伝統」を国民が認めているとも考えられる。

次に、社会的な、天皇像を描いてみると、神武以来の皇統に連なっているから、国民の尊敬が得られるかと言えば、そうではないだろう、と思う。
現在、天皇家が果たしている役割は、日本の理想的な家庭像であり、昭和時代には昭和天皇を家父長に見立てた天皇家像が日本の理想的家庭像であったろうし、平成次代には、今上陛下と皇后陛下を中心とする天皇ご一家のあり方が、理想的な家庭像であったろう。
この方々の血縁をとおくはなれて、仮に昭和天皇の直宮系に男性皇族がいたとしても、天皇位をそこへもっていくことには、国民的な支持が得にくいであろう。
愛子内親王以外のどなたが今の皇太子の後を継ぐことになっても、国民の中にはわだかまりが残ろう。むしろ、日本では長系相続の伝統も根強いからである。

今の日本社会は、神武に遡る天皇の血統原理を支持しているわけではなく、今の天皇を始祖とする新天皇制度を支持しているようにも思われる。
もちろん、話がそこまでに及ぶのならば、天皇制度を敢えて維持していくわれわれの決断の根拠とは、何か、が次の課題であろうか。


※以上は私自身の認識とは一致しない部分もありますが、知恵ノートをお読みいただいている方のご判断にお任せしたいと思い、そのまま引用しています。


また氏は以前、皇位継承問題について、このような発言をされたこともあります。

http://www.kyoto-np.co.jp/info/sofia/20060514.html

女性天皇をめぐる論議は、目下秋篠宮妃紀子さまの懐妊でトーンダウンしているが、その結果いかんでは新たな展開もあり得るであろう。そこでこれまでの議論を振り返ってみると、焦点は「女性天皇」(愛子さま)容認論から、その次の世代、すなわち愛子さまの子ども(男女にかかわらず)を天皇として認めるか否かという「女系天皇」問題に移っている。

天皇の血脈を父方ではなく、母方を通して受け継ぐのが女系天皇であるが、むろん過去にその事例はない。
ただし多くの研究者も見落としているのだが、かつて女系天皇が誕生したかもしれない場面はあったのである。

奈良時代末の七七一年、光仁天皇(天智天皇の孫)と聖武天皇の娘の井上内親王(光仁天皇の皇后)との間に生まれた他戸(おさべ)親王が皇太子に立てられている。同じ聖武の娘の称徳(孝謙)女帝が未婚であったため、聖武の血脈を受け継ぐ者がいなくなり、窮余の一策として他戸に白羽の矢が立てられたのだった。

これはまさしく、いうところの女系皇太子である。しかし女系であることを突かれたのか、反対派によって他戸親王は廃太子され、即位は実現しなかった。

代わって擁立されたのが、渡来系氏族を母(高野新笠(たかののにいがさ))とする山部(やまべ)親王こと桓武天皇(天智系)である。その結果、女系天皇は避けられたが、聖武(天武系)の皇統は断絶することになる。

親から子へという父子間の直系継承はもっとも自然で、合理的な継承法と思われがちだが、皇位継承をその「直系」に限定したために有資格者が先細りし、断絶の危機に逢着(ほうちゃく)したのが奈良時代であった。

ちなみに今上天皇は、十八世紀末の光格天皇七代目の直系にあたっており、直系継承が定着しているかのように思われてきたわけだが、通常は親-子-孫と三代続くのさえ極めて希(まれ)であった。平安時代以来、継承の対象として兄弟や叔父・甥(おい)が、時には直接血縁関係のない疎遠な皇族が選ばれたことも珍しくないのである。

このように見てくると、直系にこだわらず、皇族の中から広く候補者を選んできたことが、こんにちまで皇統が継続されてきた唯一最大の理由であったことがわかる。

それが「万世一系」といわれてきたことの実態であり、日本の王権を存続させてきた現実的な知恵であった。

しかし、暗黙のうちに縛りを避けてきた皇位継承も、明治の皇室典範によって「男系の男子が継承する」と規定されたため、極めて制約の強いものとなった。それがこんにちの議論の出発点となっていることは言うまでもない。そうした経緯を理解し、過去の歴史に学ぶというのであれば、かつてのように継承(者)の要件は皇族であること以外に規定する必要はないと考える。
それに、現に皇太子が存在するにもかかわらず、早々と次の継承者を定めるというのも、過去にはなかったことである。可能性を広げるためにも、現皇太子が即位する時点でもっともふさわしい継承者を選ぶ-それで遅すぎることはないと思うのだが。
[京都新聞 2006年05月14日掲載]

ネットの一部には、瀧浪氏の

『しかし、暗黙のうちに縛りを避けてきた皇位継承も、明治の皇室典範によって「男系の男子が継承する」と規定されたため、極めて制約の強いものとなった。それがこんにちの議論の出発点となっていることは言うまでもない。そうした経緯を理解し、過去の歴史に学ぶというのであれば、かつてのように継承(者)の要件は皇族であること以外に規定する必要はないと考える。』

だけを抜粋して、氏が「皇位の女系継承を容認」しているかのような誘導をする方もいらっしゃるようですが、前後の文章を見ればお分かりのように、これは氏の発言を歪曲解釈して結論をすり替える論法です。

いわゆる「女系天皇容認」を声高に主張する一部の方の、こうしたインチキな論法が、逆に「女系天皇」についての主張を胡散臭いものとし、説得力のないものとしている、という事は、この議論にかかわるのであれば認識しておく必要がある、と考えます。

なお、こちらにも瀧浪氏についての紹介記事があります。

http://www.consortium.or.jp/cmsfiles/contents/0000000/436/9.pdf#search='瀧浪貞子+女系天皇+容認'
(現在リンク切れです、ご容赦ください)

女帝の問題は古代史を考えるうえで避けて通れない」と気づき、まず着目 したのが孝謙天皇だ。 聖武天皇の娘に生まれ、女性として初めて立太子し、 聖武の志をみごとに継いだ未婚の女帝である。
孝謙を調べていくなかで、もっぱら軟弱な天皇とされてきた聖武の強さも見えてきました。」
- ともいう。それを機に研究を飛鳥時代にまでさかのぼらせ、日本最初の女帝・推古から8代6人の女帝の即位の事情や天皇と しての事跡を明らかにしてきた。

『女性天皇』はそうした研究の集大成である。女帝の犬半は亡くなった天皇か先の天皇の皇后で、 天皇崩御に伴う空位に就くことを求められたケースが多い。後継の親王や王が年少であったり、ライバルがいて後継をしぼりきれないときに、中継ぎとして即位している。もちろん、帝位をめぐる暗闇があり、 権謀術数があった。

「女帝の子どもは次の天皇にしないという不文律があったんです。 皇位が女帝の係累に移らないようにするためです。だから女帝は一代限りの皇位継承者。皇極天皇の子どもだった中大兄皇子 (天智天皇) も本当は皇位に就けなかったのです」「持統以降になると天武の子である草壁皇子系の嫡系男子を正統な後継者とするという観念が定着し、女帝は草壁皇統の中継ぎに徹底するようになります」-。

推古や斉明は女帝でも男帝と同じように死ぬまで皇位にあった。しかし持統以降は草壁皇統の継承者に即位の条件が整えば譲位する。 野球用語でいえば、前者はクローザーで、 後者はセットアッパーといったところか。

「6人の女帝はいずれも自分に課せられた役割を自覚し、その目的に向かって精いっぱい生き抜いたと思いますよ。女性は男性より強いのかな。 生き生きとした生涯だった気がします」と瀧浪さんは、古代の女帝を肯定的に捉える。
では、来るべき将来の日本に女性天皇は望ましいのかどうか。

瀧浪さんは慎重に言葉を選びながら、いくつかの論点を示した。

皇室はいわば日本の文化遺産であり、男系を重視してきた。その特殊性が失われれば民間と変わらない存在となる。その是非をどう考えるか。その場合、皇統が傍系に移ることに抵抗はないのか。しかし、直系に拘泥するなら女性天皇は不可避となる。では女性天皇に結婚・ 出産など個人としての選択の自由を保障できるのか。 ファッションなどに大衆の関心が集まって女性天皇が芸能人なみに扱われる風潮に懸念はないか- など。

そLて「論議は結局、天皇制そのものに行き着くと思いますが、そのためには拙速をさけ、結論はまだ継承可能な次の世代に委ねてはどうでしょう」-。

いまの研究対象は平安京と、平安京を舞台に活躍した藤原氏である。 女帝論や皇位継承論の中で、いつも気になっていたという。
「千年をこえる政治世界をリードしてきた理由はなにか。その秘密をあらためて考え直してみたい」 と、声を弾ませた。

(引用終了)

古代史の専門家として、「皇位継承問題」についての識見ある発言だと思います。