以前から申し上げていますが、最近のYahoo!知恵袋の「南京事件」についての質問、回答などもについては、一頃に比べるとレベルの低下が著しくなっており、デマや誹謗中傷を楽しむ悪質投稿者が幅をきかせる、もはや「便所の落書き」と表現したくなるような「ベストアンサー」が日々、続々と出ているのが現状であると感じています。
勿論、そうではないとお考えの方も少なからずいらっしゃるとは思いますけど、あえて今回は「国際法」を根拠に「南京事件」の「否定論」を主張するにあたって
著名な学者の発言を引用することのことの是非を問うてみたくなりました。
こちらの質問
南京事件(南京大虐殺)について質問です。
南京事件は実在したのでしょうか。
高校の授業で『歴史学ではすでに日中共同研究により学問的決着がついており、日本政府の公式見解としても南京大虐殺が歴史的事実であるとしている。』と教わりました。しかし、実際は無かった。と言ってる人もいますよね?
なぜ、そのように歴史修正主義?を取るのでしょうか。なにが問題となって論争があるのでしょうか。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13199453673
で選ばれた
x氏による「ベストアンサー」の回答からの抜粋です。
▼『日中開戦 軍法務局文書からみた挙国一致体制への道』北博昭
「繰り返してきたが、日中の戦いは、国際法上の戦争ではなく、事変であった。」
▼『戦争と法』 筒井若水教授(※国際法学者、東大名誉教授)
「4.戦争に至らない戦争
戦争の開始を決定することは、関係国を規律する法規を決定する前提となる。したがって、戦争の開始が法的に確認できなければ、実際に交戦行為が行われている場合でも、当然には、戦争法が適用されることにはならないのである。」
一応言っておくと、香西茂 、太寿堂鼎、高林秀雄、山手治之各氏の著である『国際法概説 第4版』(有斐閣双書)P280にはこのような記述があります。
戦争法
こうして戦争が開始されると、交戦国は相互に、通常の関係において尊重される相手国の国際法上の権利を一般的に否認して、相手国を屈服させるために必要なあらゆる手段を行使する必要がある。したがって戦争状態に入ると、交戦国の間では、通常の国際法(平時国際法)はその効力が停止される。
しかし、戦争当時国の間が全く無政府状態となるわけではない。相手国を屈服させるために必要なあらゆる手段を行使するといっても、これらの武力行使は実は無制限ではなくそれを規律する国際法規が存在する。交戦国家間の武力行使に適用せられて、その遂行の手段・方法を規律するこの国際法規を戦争法(交戦法規)という。
私自身も一般論としては
「支那事変」のような
戦争の開始が法的に確認できない
「武力紛争」についても
戦争法(交戦法規)については適用されると理解しています。
とは言え、Xなる回答者により引用されている筒井若水氏といえば「国際法」、とくに「戦争法」の分野において、我が国でも評価の高い法学者です。
では、その氏は、その著書である『戦争と法』(東京大学出版会)において、どのような文脈で
戦争の開始を決定することは、関係国を規律する法規を決定する前提となる。したがって、戦争の開始が法的に確認できなければ、実際に交戦行為が行われている場合でも、当然には、戦争法が適用されることにはならないのである。」
という発言をされたのでしょうか?
私は確認のため手元にある『戦争と法』(1976年1月20日発行の第2版)の当該箇所(
4.「戦争」に至らない戦争同書P24~26)を読み、念のため全体を読み直し
そして愕然としました。
少なくとも、私の手元にある『戦争と法』(1976年1月20日発行の第2版)の該当箇所からは、筒井氏による、そのような文章をみつけることはできません。
あえて、当該箇所(
4.「戦争」に至らない戦争同書P24~26)を、ここに引用させていただきます。
4 「戦争」に至らない戦争
戦時への移行が不確定で、しかも戦争同様の武力衝突が行われている情況は、広い「行為説」によってのみ戦争に含められる。
交戦行為が行われても、当事国の関係が戦時に移行しなかった例はとくに多くを数える。
二十世紀以降、とくに日本に関係したものだけを拾っても、一九〇〇年の義和団の乱があり、一九三一年の満州事変、一九三八年の張鼓峰事件、一九三九年のノモンハン事件、一九三七年の日華事変(支那事変)があって、いずれも、ソ連や中国との間に「戦争」は発生しなかった。これらの場合においては、当事者の間で戦争を開始する意思は存在せず、戦争ではなくして、兵力による衝突のみが行われた。とくに日華事変は、発生以来第二次世界大戦終了まで、日本軍が満州を含めて、中国側のかなりの部分を占領するという事態であり、陸戦のみでなく、海戦や空戦も行われた。他方で、義和団の乱や満州事変においては海戦が行われず(海上においては平和関係にあり) 、その意味でもこれらは部分戦争であった。
こうした場合とはちがって、正式の戦争に発展する前に、戦争ではない抗争が続いて場合もある。一九二八年から始まったボリビアとパラグァイ間のチャコ紛争は、一九三三年になって、これが戦争であることが宣言された。日華事変も日本が対米宣戦をした後には、中国も連合国として日本と戦争状態にあることが明らかにされた(一九四二年一月一日の連合国共同宣言)。
軍事力の一部(陸軍)のみが戦争に加わり、その意味で戦争が限定的な場合も決して珍しいものではない。たとえば、一九四〇年七月三日、一時間二七分の間、第三国の気づかぬ間にオラン港沖で英仏間に海戦があり、仏艦隊が全滅して終了したことがあるが、その後には英仏間にまったく戦闘は行われず、逆に両国は大戦を通じて親密な同盟関係にあった。なお、この事件は、フランスの伊対独降伏にともない、仏艦隊がドイツに利用されるのを防ぐためにイギリスが起こしたものであり、国際法上の緊急避難の例として引かれる。
また、戦争は、通常国際法主体たる国家の間で行われるべき国際法上の関係として理解されているが、戦時中は国家をなしていなかったことが明らかでも、講和において、その戦争の参加国であったとして扱われることもある。第一次世界大戦のヴェルサイユ講和条約にはチェコ・スロバキアとポーランドが調印したが、この両国は、大戦中には存在しておらず、当然ドイツと正式の戦争は行っていない。同様に第二次世界大戦の日本とのサンフランシスコ講和条約に調印したフィリピン、インドシナ三国、セイロンなどは、厳格に言えば、大戦中には独立の国家として存在していなかった。逆に、一九三六年に始まったスペイン内乱は、独伊ソなどが公然介入し、その混乱の規模からいっても優に戦争に匹敵していたが、厳格には一国内の内乱であって戦争ではないとされ、一九五〇年の朝鮮事変や一九六〇年のベトナム紛争は、実質的には分裂した国家間の戦争であっても、一国内の事件と考えるかぎりでは、戦争ではないことになる。
第二次世界大戦後三十年の間、世界のいずれかの地域で常に戦火が交わされていたが、それらの多くは、正式の戦争ではなく、右にあげたいずれかのあいまいな状態に属している。「朝鮮戦争」「ベトナム戦争」の呼称も法的な意味はもたず、第三者がそれとなく表現している日常的な表現にすぎない。しかし、それらがすべて戦争ではないということになれば、今日、戦争という現象は国際社会にほとんどありえないものとなる。そして、この「戦争がなくなった」現象が、国際連合が義務として加盟国に要求する戦争禁止の効果として実現されたと思うものは 誰もいないであろう。
以上、ここで引用した文章で(
4.「戦争」に至らない戦争同書P24~26)は終わり、以下(5.現代国際法体系上の位置づけ)の項に入ります。
一体X氏は筒井若水氏の『戦争と法』 (第何版?)「4.戦争に至らない戦争」のどこから
戦争の開始を決定することは、関係国を規律する法規を決定する前提となる。したがって、戦争の開始が法的に確認できなければ、実際に交戦行為が行われている場合でも、当然には、戦争法が適用されることにはならないのである。」
という文を引用したのでしょうか?
それがわからない事には、そもそも議論することさえできません。
なお、X氏の「国際法解釈」それ自体にも疑問は多々ありますが
それは別なところで、あらためて取り上げさせていただこうかと思っています。
いずれにしても、このような出典不明の怪しげな文を引用した
「ベストアンサー」が、日々、続々と選ばれているのが、Yahoo!知恵袋の「南京事件」関連の質問群の現状であるとは言えそうです。