Shpfiveのgooブログ

主にネットでの過去投稿をまとめたものです

Yahoo!知恵袋で見かけたトンデモ議論(24) 「南京事件」いわゆる「百人斬り競争」における「正直」とは何か

2019-05-30 23:26:36 | 政治・社会問題
先頃、Yahoo!知恵袋でこのような質問が投稿されました。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14208245009


南京大虐殺と百人斬り
百人斬り競争と言えば、
南京大虐殺の代名詞とも言えるほど
有名な出来事ですが、
後年、様々な主張がなされています

しかし、否定すればするほど、
捏造の意図が見えなくなってきます

事実であった場合、

新聞社
記者
野田、向井、

全員が正直者になります

しかし、否定した場合

1、新聞社が捏造したのは何故?
2、記者が捏造したのは何故?
3、野田、向井、が捏造を日本全国に吹聴して回ったのは何故?

全員、嘘つきで、
難解な出来事になります

特に野田は死刑執行直前に犯行を否定する遺書を残しますが、
それまで日本国内で百人斬りを自慢し吹聴して回っていた事が決定的な証拠になりました

ではこの南京大虐殺、
否定する方に問います

1、新聞社
2、記者
3、野田
4、向井

誰が一番最初の嘘つきなんでしょうか?



まず、こんな事は本来いうまでもないことですけど

いわゆる「百人斬り競争」は、「南京事件」の全体像から見れば、たいして重要ではないエピソードでしかありません。

仮に「百人斬り競争」の存在が否定されたとしても、それによって「南京事件」は虚構などというネトウヨ的な妄想が立証されるなどという可能性はゼロです。


だから

百人斬り競争と言えば、
南京大虐殺の代名詞とも言えるほど
有名な出来事です


ある意味、これは過大評価です。

また、後述するように、私自身はこの「百人斬り競争」の話題自体、むしろ「南京事件」の本質を隠し、問題の所在を見えなくしてしまうものだと思っています。

今回は相当に長くなりそうなので、とりあえず私自身がこの「質問」に関連して投稿した質問と、ベストアンサーの方の見解を見ていただくことにしましょう。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14208305359



ポアロさんに、ご連絡をかねての質問です。

先ほどこちらの「質問」に回答したんですけど
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14208245009

>この質問、「結論
ありき」と理解しているのでスルーするつもりだったんですが、大切な友人が回答しているので、口を挟ませていただくことにします。

まず、私自身は「南京事件」は明白な史実だったと思っていますけど

仮に「敵兵を戦闘中に百人斬った」のだとしても、それが「戦争犯罪」だったかどうかとは無関係です。

だから

>新聞社
記者
野田、向井、

全員が正直者になります

→そうである場合には「戦争犯罪」は構成しません。

>しかし、否定した場合

1、新聞社が捏造したのは何故?
2、記者が捏造したのは何故?
3、野田、向井、が捏造を日本全国に吹聴して回ったのは何故?

全員、嘘つきで、
難解な出来事になります

→別に難解な話ではありません。

当時の日本で戦意高揚のため、威勢のいい武勲話が大々的に取り上げられていたのは、単なる史実に過ぎません。

また、戦場で「百人斬った」こと、それ自体が「戦争犯罪」を構成するわけではないと考えられていましたから、それを(当時なら)自慢する事があったとしても不思議ではないでしょう。

問題はそこにありません。

いわゆる「百人斬り裁判」で裁判(東京裁判じゃないよ)でも論点になっているのは

この「百人斬り」なるものが、実態としては「捕虜の据えもの斬り」などの、いわば「殺人ゲーム」的な「戦争犯罪」だったかどうかです。

で、その件についてなら、私自身は判断を保留にしています。
(否定も肯定もできるだけの根拠を持ちません)

ただし

当時の日本軍による「敗残兵狩り」それ自体が、多くの場合「戦争犯罪」を構成していましたので

野田、向井両少尉もまた、結果として(伝えられるような話ではないにせよ)、捕虜殺害などについては「戦争犯罪」に該当するような行為があった可能性は否定できないわけです。

で、あえて言いますね。

誰が嘘つきかよりも、否定、肯定を問わず

「南京事件」を自らのイデオロギーによって政治利用しようとする人たちこそが、問題を拗らせています。
2019/05/26 16:28

→いったん回答を取り消し、再投稿しようと思ったんですけど

何と、当該案件の質問者にいきなりブラックリストに入れられてしまったのか、回答できなくされてしまいました(苦笑)。

ええと、これは、つまり

この質問者は、自らが「南京事件」を自らのイデオロギーによって政治利用しようとする人であることを認めたということなのでしょうか?

いずれにしても

反論を許さず、一方的な返信だけつけて、いきなりブラックリストに入れられたということは

当該案件の質問者は、私の意見など必要としないと理解しましたので、以降は相手にしません。
(場合によっては、別な機会にその嘘を指摘することならあるかもしれませんけど)

ただ

ポアロさんご自身は、私のこの回答について、どのような感想をお持ちになられますか?

それが知りたくてリクエスト質問させていただきました。


リクエスト回答者の方「回答」ではなく、あえて返信から引用させていただきます。

私は南京事件には真犯人が居ると思っていますよ。派遣軍、軍、師団などにいる参謀飾緒を下げた少壮軍人の共犯です。少佐から大佐といった中でも将来、省部行きを約束されたような一部エリート将校団です。

 彼らは軍司令官、や部隊長など飛び越えて組織的な捕虜殺害を企てたはずです。そうじゃなければあのような采配は取れないんですよ。
 市民を捕まえる部隊は「取り調べの為と思っていた。」、処刑場で待ち構える機関銃部隊は「便衣兵と判明した者だけが来ると思っていた」。部隊長クラスはただの通常任務として動くだけで、虐殺が実行される筋書きが出来ていたんです。色々な殺害命令もトップではなく途中段階から発せられている様に見受けられます。

 幕府山事件にしても、ほぼ両角業作一人の発案と差配で起きています。彼は部隊指揮官ですが、大佐です。グループの意図を感じ取っていたのでしょう。(中島師団長は例外でしょう。)


2019/05/29 20:43


それにしてもこれらの中で沖縄で戦死した、長勇以外、誰一人今に至るも表に出てこないのは凄い結束です。

 死刑になった松井司令も谷師団長も恐らく知らない事だった思います。彼らは罪を被せられた。
 当然、士官学校を出たとはいえ、まだ少尉の向井氏。野田氏はこのグループではありません。彼らも南京事件の象徴とされ人身御供のピースになりましたが、見事に見捨てられたのです。

 こうして将官と尉官が死刑になり、主導的な役割を担った左官クラスのエリートはまんまと逃げおおせました。

これは日本軍の構造上の特徴でもあります。ノモンハンの時と全く同じ図式がある訳です。

2019/05/29 20:52

当時の日本軍の実権は、一部の少壮軍人の手にあり、現場の佐官級が牛耳っていたのです。どの戦線でも実権を握っていたのは彼らです。

ここがこの事件の核心なのですが、全く関わりのない司令官レベルのお神輿的人材や、下級将校、及び兵の責任にして、実行者たる彼らは責任から逃げています。

まあ、南京事件の実存さえ謀略と信ずる人らに、もしくは事件を懐疑的に思っている人達には、そこまでの考察に至らず己の命脈を終える事でしょうが、何とかこの話を「日本軍の失敗」として、後世の反省材料として伝えたいとおもいますね。

2019/05/29 22:50

まずは、これらをお読みいただいた上で、次に話を進めようと思います。

偉大な数学者、志村五郎氏が亡くなりました

2019-05-20 20:48:07 | ニュース
プリンストン大学名誉教授だった数学者の志村五郎氏がさる5月3日、89歳で亡くなりました。

日本経済新聞
https://r.nikkei.com/article/DGXMZO44435430U9A500C1CZ8000?s=3

志村 五郎氏(しむら・ごろう=数学者、米プリンストン大名誉教授)プリンストン大の発表によると、5月3日死去、89歳。

楕円関数の性質に関する「谷山・志村予想」を提唱。350年余り数学者を悩ませてきた「フェルマーの最終定理」の証明につながった。東京大助教授、大阪大教授を経て1964~99年にプリンストン大教授を務めた。(ワシントン=共同)

慎んでご冥福をお祈りいたします。

志村五郎氏は、我が国においてはお世辞にも知名度は高いとは言えませんけど、数学者としての業績は世界中から高く評価されてきました。

また趣味の分野では中国文学に造詣が深く、その方面の著作もあったりします。

以下、ご参考までに。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E6%9D%91%E4%BA%94%E9%83%8E

私自身は理数系苦手人間なんですけど(苦笑)

そんな私でも

おそらく、今後の我が国で志村五郎氏を超えるだけの実績を残せる数学者が出てくる可能性は、とても小さいように感じられてしまいます。

さて、その志村氏ですけど、若かりし頃

おそらくは、我が国のいわゆる「進歩的文化人」と呼ばれる人たちに見切りをつけ

自ら東大を去ったことは、あまり知られていません。

こちらに紹介記事があります。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/56391?display=b&utm_medium=amp&utm_source=amp&utm_campaign=link

志村さんの自伝的なエッセー集「記憶の切絵図」(筑摩書房)と、その続編「鳥のように」(筑摩書房)の2冊である。

 読む人によって、この2冊から受ける印象は様々であろう。

 私にはこの2冊から、志村さんがどうしても伝えたいと思った第2次世界大戦後の「進歩的知識人」の嘘や、彼らが持っていたソビエト連邦や北朝鮮などへの「無謬神話」の愚かしさ、また60年安保を契機として、志村さんが東京大学に見切りをつけて職を辞し、1年だけ大阪大学に勤務したのち米国に去ってしまった理由が、手に取る様に解るように思われた。

 もちろんそれは、私自身の偏見による読後感に過ぎないだろう。

 ただ、かつて同じ大学に学生として学んだ後、教官として20年以上、大学を中から見て来た一個人として、志村さんの批判は、襟を正して聞くべき本質を数多く含んでいると正味で思っている。

私自身、この点についてまったく同感なので、あえて、ここで紹介させていただきました。

現在の我が国は、今や「新興衰退国」とさえ呼ばれてしまっていますけど

そこに至るまでに、「自虐」に明け暮れ、我が国をミスリードしてきた、いわゆる「進歩的文化人」の罪は、とても重いように感じられます。

志村氏がそうした人たちと、あえて袂を分かち

海外でゼロから実績を積まれたことを思うとき

やはり、現在の我が国の言論空間は「おかしい」と再認識せざるを得ません。

私たち日本人に素質がないわけではないと思います。

我が国の言論空間をミスリードする「自虐」こそが、現在の我が国で志村氏のような偉人が育たない真の理由ではないでしょうか?

一応言っておきますけど、だからといって「自賛史観」を言い立てるネトウヨ連中を擁護する気はまったくありませんよ。

こうしたネトウヨ連中も、その本質は「自虐史観」そのものでしかないと思っていますので。

ただ、こいつらは「自虐」を「他罰」に置き換えているだけです。

話がそれました、

いずれにしても、我が国が生んだ偉人の一人が世を去りました。

繰り返しになりますが

慎んでご冥福をお祈りいたします。


Yahoo!知恵袋で見かけたトンデモ議論(23) 悪質投稿者による「北方領土問題」についての「質問」 その3

2019-05-10 22:15:26 | 政治・社会問題
こちらの続編です。

その後、質問者「ID非公開」とJ氏が私に対する陰口で盛り上がっているのを確認しましたので、証拠隠滅、つまり投稿が消される前に取り上げておこうと思いました、

ご判断は閲覧者の皆様にお任せいたしますが、先ずは見てください。

「ID非公開」の発言

投稿を削除したことについて先生がいろいろ言っていますが、これについては、↑で最新投稿されたodaさんとのやりとりで反論していますのでご参照ください。
相変わらずのトンチンカン反応なので笑っちゃいます。


投稿を消したのはSKさんの手法を真似ただけです。
おそらくSKさんは、過去投稿をとりあげられて、別の場所でああだこうだといわれるのがうっとおしいので消したのだと推察するのです。
というわけで「削除」はべつにたいした意味があるわけではありません。
2019/05/10 11:16


いや、当方としては、あまりにトンデモ発言を連発しているように見えるので、他の閲覧者の皆様のご判断をいただくためにも取り上げさせていただいているんですけど(笑)。

判断するのは私でも、あなたでも、そして誹謗中傷的な陰口が大好きなJ氏でもなく

第三者です。

私が言っているのは、あくまでも

返信でのやり取りを消すくらいなら、はじめからこんなくだらない「質問」なんかするなよ

ということです。

それは私が云々ではなく、閲覧してくれる第三者の評価を拒絶することでもありますし、返信の多くを意図的に取り消すことにより、かえって、その「胡散臭さ」を自ら強調するというバカさ加減にも気づいたら?

ということでもあります。
(まあ、はじめから利口だとは思っていませんけど)

「ID非公開」の発言

>質問者「ID非公開」は、とうとう自身の別IDで、あたかも別人であるかのような回答(つまり「自作自演」)をし始めました(爆笑)。


先生の投稿です。
では反論しておきましょう。

なぜ別IDを使ったのか?
それはjesさんと対立する問題が生じたからです。
面と向かってやりあうとついついエスカレートして、下手すると喧嘩別れになるかもしれません。
そこで別人に、jesさんと同じ投稿をさせて私が答えるという方法を考えついたのです。
これだと直接jesさんと対立しなくても済みますからね。

その「別人」ですが、まったく違うIDだとjesさんが気がつかないおそれがあります。
なので「ejz」の別IDを使ったのです。
これだと「なるほど、そういうことか」と、すぐに気がつきますからね。
わざわざ別ID(ejz)を使ったのは以上の理由です。

2019/05/10 18:03

いや、私は「ejz」の別ID」のことだとは一言も言っていないのだが(爆笑)。

もっとも、これだって事情を知らない人には別人のIDに見えるだろうけど、それは目をつぶるとしても

こういうことは言いたくないんですけど、あえてハッキリ言います。

xs45exhとv9dqed7って、あなたの別IDでしょう?

https://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/xs45exh


https://chiebukuro.yahoo.co.jp/my/v9dqed7


否定するのはかまわないけど、両IDからあなたの文体や思考パターンがにじみ出ているよ。

いくら「ID非公開」にしても、あっさり正体がわかるのと同じでね。

それにしても笑えるのが

それにしても、なぜ先生はこれくらいのことに気がつかないのでしょうか?
もし私が先生の立場なら、すぐに気がつきますけどね。


>あたかも別人であるかのような回答(つまり「自作自演」)をし始めました(爆笑)。


などとおっしゃる先生のトンチンカンさに
いまさらながら驚きます(笑)

別人を装うなら「ejz」なんてIDは絶対に使いませんよね。
2019/05/10 18:05

と言っている頭の悪さにはある種の感動さえおぼえたくなります。

私は前の記事でもハッキリと

>しかも、呆れたことには「別IDを二つも使って」です。

→と明言しているんですけどね。

なお「ID非公開」氏は、こちらでもわかるように他にも沢山の別IDを持っており、少なくない人たちに迷惑投稿もしています。

正直私もこいつの別ID全部は把握していません。

個人的には、こんなのを放置する知恵袋の運営にも猛省をうながしたいですけど、まあ、無理でしょうね。


さて、われらがJ氏です。

まあ我等が先生ですから
喜び勇んで足がもつれたと言うことで
オッチョコチョイが玉に瑕・・(笑

(以下略)
2019/5/1018:19:36

こちらこそ笑わせてもらいました(笑)。

そもそも、こいつの「おかしさ」が理解できない時点で

あなたは間違いなくこいつ、つまり「ID非公開」のお仲間です(笑)。

余談

そもそも「ID非公開」の「質問」は

それなら、あの戦争の終戦末期(1945年8月~9月)に北方の日本領土へ侵攻してきたソ連はあきらかに侵略ですよね。

それなのになぜ国際社会はソ連の侵略を責めないのですか。
それは、ソ連が戦勝国で日本が敗戦国だからでしょう。


ですが、そもそも論でいうと「侵略の結果による征服」であっても、必ずも国際社会が非難するとは限りません。

例えば、日本国による「韓国併合」は、当時においても、現在でも、国際社会はこれを(同時代の国際法に基づき)「合法」としています。

大韓民国がこれを覆したいというなら、まずは国際司法裁判所への付託からはじめるべきでしょう。

が、これを大日本帝国による朝鮮半島への侵略ではない、などと考えているまともな人も、普通はいません。

いるとしたら、日本国のネトウヨと呼ばれる人の、さらにその一部くらいです。

逆に満州国が独立主権国家であると考えたとき、ソ連の侵攻と、最終的な中華人民共和国による併合は「侵略」に当たるはずですけど、国際社会はこれを「侵略」であるとはしていません。

が、ロシアによる「北方四島」の「併合」について、国際社会は、これを認めていません。
(認めているのは、あくまでも占領までであることに注意!)

つまり「侵略による併合」が、そのまま国際社会の非難につながるとは限らないんです。

Yahoo!知恵袋で見かけたトンデモ議論(23) 悪質投稿者による「北方領土問題」についての「質問」 その2

2019-05-08 06:17:07 | 政治・社会問題
こちらの「続編」です。

さて、当該の知恵袋質問に「ID非公開」氏をよく知るはずのjes********氏が回答を入れました。


失礼、横からチャチャ入れます。

<それなら、あの戦争の終戦末期(1945年8月~9月)に北方の日本領土へ侵攻してきたソ連はあきらかに侵略ですよね。>


質問のソ連が終戦末期に侵略したと主張される
「北方の日本領土」とは具体的に何処を指しますか?


①北方4島を含む千島列島全域

②北方4島(色丹・歯舞・国後・択捉)

③北方2島(色丹・歯舞)

④南樺太


この回答に対してjes********氏と「ID非公開」との間に47件の返信のやり取りがあったのですが、どういうわけか「ID非公開」氏による返信がすべて消されていました。

自らが取り消したのか、知恵袋の運営により「不適切な投稿として削除」されたのかは不明ですけど

そんなことになるくらいなら、はじめからこんな「質問」なんかするなよ

くらいのことは言いたくなりますね(笑)。

その中には、是非拙ブログにて「ネタ」として取り上げたいと思うようなトンデモ発言があったので、その意味ではちょっと残念ですけど(笑)

それはともかく、この質問自体は「侵略の定義」についてなされたものですから、その意味でjes********氏の回答は、確かに的はずれではあります。


あらためて言いますけど

ソ連の「対日参戦」は、アメリカ、イギリスとの間で取り交わされた「ヤルタ秘密協定」に基づき、ソ連の参戦を国際法違反に問わないという前提で行われたものであり
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%AB%E3%82%BF%E4%BC%9A%E8%AB%87

国際法上の定義で考えれば、本来は「侵略」と呼ぶべきものであるが故に、日本側がポツダム宣言を受け入れることで「無条件降伏」(その定義は今は問いません)したあとの極東国際軍事裁判で、後付けの理屈で「先にソ連に対する侵略を行ったのは日本側である」という有権解釈を押し付けたわけです。

一応、他の閲覧者の方のために念押ししておきますが

私自身は「ソ連が日本に対する侵略戦争を仕掛けたから、ソ連は悪だ」などという単純な話をしているのではありません。

それよりも、ソ連の対日参戦は「侵略ではない」という国際社会の評価を確立するために、極東国際軍事裁判により「先に侵略行為を行ったのは日本側である」という判決が必要とされたという、その事を重要視したいと思っています。

そうでなければ、ソ連の対日参戦は「国際社会から侵略と言われかねない」行為であるということを、当のソ連自身が認識しており、故に「日ソ中立条約」が継続中であることを理由に、アメリカからの対日参戦の依頼を一度は断っていること

連合国による極東国際軍事裁判で強引に「先にソ連に対する侵略を行ったのは日本側である」という判決が「結論ありき」で(ソ連を免責するために)くだされたこと

これは「侵略というものが、本来はどのようなものなのかのコンセンサスが、それ以前からあった」ことを意味しているからです。

「侵略の定義についての議論」は、後日別な記事で取り上げようと思っていますけど、以下は余談。

「ID非公開」は、jes********氏に対する自身の返信が消えたあと、補足で

「侵略の定義はあった」と主張する人は以上の指摘に対して どのような説明するのですか?

この問いかけに対して説明できないようですね。

「侵略の定義はあった」というのはデタラメだということですか?
あるいは
説明できるほどの知識も文章力もないということですか?


などとほざいています(笑)。

Yahoo!知恵袋にも、国際法についての詳細な知識と、正確な理解を持つ投稿者の方は何人もいらっしゃいますし、そこまでいかなくとも、それなりに国際法、あるいは近現代史に詳しい投稿者さんもいらっしゃいますけど

そうした方は、ほぼ、この質問に回答していません。

おそらくは

「結論ありき」のトンデモによる質問であり、このような質問者と不毛なやり取りをするのがバカバカしいと思っていらっしゃるんでしょうね(笑)。


なお、質問者「ID非公開」は、とうとう自身の別IDで、あたかも別人であるかのような回答(つまり「自作自演」)をし始めました(爆笑)。

しかも、呆れたことには「別IDを二つも使って」です。

どのIDがそれなのかは、ここでは指摘しませんけど

この「質問」と称する投稿で、どのようなベストアンサーが選ばれるのか?

これは楽しみではあります。
(勿論、皮肉ですよ)

Yahoo!知恵袋で見かけたトンデモ議論(23) 悪質投稿者による「北方領土問題」についての「質問」

2019-05-04 07:07:09 | 国際情勢
知恵袋で、またこのような「質問」が投稿されています。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13207216353


質問(№2) 侵略について
「国際法で言うところの「侵略」というのは「外形的定義」で言えば、 ある国家・武装勢力が別の国家・武装勢力に対して、自衛ではなく、一方的にその主権・領土や独立を侵すこと」


こういうことを主張する人がいます。
それなら、あの戦争の終戦末期(1945年8月~9月)に北方の日本領土へ侵攻してきたソ連はあきらかに侵略ですよね。

それなのになぜ国際社会はソ連の侵略を責めないのですか。
それは、ソ連が戦勝国で日本が敗戦国だからでしょう。

ということは侵略という定義があったとしても意味をなさないということですよね。
伊藤隆氏や日本政府見解が「侵略の定義は定まっていない」というのは、まさにこの点なのです。

「侵略の定義はあった」と主張する人は以上の指摘に対して
どのような説明するのですか?


はい、あれはソ連による侵略行為です。

お仕舞い。

実際、欧州議会は「ロシアによる日本への北方領土の返還」を求める決議をしているんですけど、この悪質投稿者はその程度のことも知らないんでしょうか?
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E6%96%B9%E9%A0%98%E5%9C%9F%E5%95%8F%E9%A1%8C

2005年7月7日付けの「EUと中国、台湾関係と極東における安全保障」と題された決議文の中で、ヨーロッパ議会は「極東の関係諸国が未解決の領土問題を解決する2国間協定の締結を目指すことを求める」とし、さらに日本韓国間の竹島問題や日本台湾間の尖閣諸島問題と併記して「第二次世界大戦終結時にソ連により占領され、現在ロシアに占領されている、北方領土の日本への返還」を求めている[108]。ロシア外務省はこの決議に対し、日ロ二国間の問題解決に第三者の仲介は不要とコメントしている。

欧州議会に限りません。

ロシアによる北方領土統治は、アメリカも認めていません。

北方四島に対するアメリカの公式見解はこのようなものです。
http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/JPRU/19570523.O1J.html

1945年2月11日の日本に関するヤルタ協定はいかなる日本領土における法的権原をもソ連邦に移譲する効力を持つ様には意図されたものではなかったし、又そうした効力をもってもいなかったということ、特に、日本に関するヤルタ協定も1951年9月8日サンフランシスコで調印された対日平和条約も歯舞群島におけるいかなる権原をもソ連邦へ移譲しなかったしこれら諸島における日本の権原を縮少せしめたものではなく、且つ、これらの文書における「千島列島」という字句は、従来常に日本本土の一部であったものであり従って正義上日本の主権下にあるものと認められるべき歯舞群島、色丹島又は国後島、択捉島を含んでもいなければ含む様に意図されもしなかったということを繰り返し言明する。

中華人民共和国も、別にそれを承認しているわけではありません。
(基本的に不介入の立場であり、中華人民共和国で発行されている世界地図には北方四島は日本領土とされています)

また、ロシアとの間にクリミア問題をかかえるウクライナでは、こんな出来事が
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.asahi.com/amp/articles/ASM2P43Y2M2PUHBI00X.html%3Fusqp%3Dmq331AQQCAEoAZgBifz-zLrxn7f3AQ%253D%253D


「北方領土の日」の7日、ロシア大使館前に日の丸と横断幕が並び、若者約10人が雪の中に立った。日本ではない。ウクライナの首都キエフでのことだ。


とは言うものの

実際にはアメリカも先の大戦終結にあたり、ソ連の侵略戦争を援助していますけどね。
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/biz-journal.jp/i/amp/2019/01/post_26352.html%3Fusqp%3Dmq331AQQCAEoAZgBq-y-_L2Jn4LvAQ%253D%253D


元より政治の世界は「国際法」だけで決まるようなものではなく、裏では様々な駆け引きがあるというだけの話であり

その事自体が別にソ連の「侵略戦争」を免責するわけではありません。

さて、では

なぜ国際社会はソ連の侵略を非難しないんですか、ということですけど、

非常にざっくりですが、法的な話でいうと、我が国がポツダム宣言を受け入れたことを前提に連合国により行われた極東国際軍事裁判裁判による「有権解釈」で、ソ連の対日参戦は正当なものであり、関東特別演習の実施などにより日ソ中立条約を先に破ったのは日本国と認定されています。

つまり連合国は、そのままでは「国際法違反」としかいいようがないソ連の対日参戦を免責するために、まず極東国際軍事裁判を使ってソ連に対する侵略行為を行ったのは日本側であるという「結論ありき」な判決を押し付けたわけです。

実際には、あのパール判事もソ連の対日戦争は「侵略」であると、いわゆる「パル判決文」でも認定しているんですけどね。

あくまでも参考です。
http://www.seisaku-center.net/node/108


判決のデタラメさを最も浮き彫りにしているのは、何と言っても対ソ関係への言及だと言える。
 東京裁判ではソ連人の検察官が、張鼓峰・ノモンハン両事件を含む日本の一連の行動を対ソ「侵略」と主張、日本をソ連に対する侵略国であると断罪した。判決は、「ソ連に対する日本の政策」「戦争の計画と準備」「張鼓峰事件」「ノモンハン事件」などに項目をわけて、いずれの項目でも検察側の主張をほぼ全面的に認める認定を下している。
 まず判決は「ソ連に対する日本の政策」の項で、モスクワ大使時代の広田弘毅の参謀本部への報告、モスクワ駐在の河辺陸軍武官の発言、荒木陸相の地方長官会議での発言、「国策の基準」、日独防共協定等々を、日本の対ソ戦争の意図を示す具体例として取り上げた。その上で、「裁判所が審理している全期間を通じて」――つまり昭和三年から二十年まで、日本は対ソ侵略戦争を企図・計画したこと、そして、この侵略戦争は日本の国策の主要な要素の一つであり、その目的は極東におけるソ連領土を占領することであったことを認定した。
 次に判決は「ソ連に対する戦争の計画と準備」の項で、関東軍と陸軍中央との間に交わされた電報や重要文書、「関東軍特別演習」(関特演)と呼ばれた独ソ戦開戦後に行われた秘密動員計画などを取り上げ、結論として、日本はソ連に対して侵略戦争を計画しただけでなく、そのための「積極的準備を継続していた」と認定した。
 さらに判決は、日本は対ソ侵略戦争を現に遂行したとして、二つの国境紛争――すなわち張鼓峰・ノモンハン両事件を取り上げた。
 後者のノモンハン事件について言うと、判決は「敵対行為は日満側軍隊によって始められた」と述べた検察側の証言を受け入れ、同事件を日本側の攻撃により始まったと認定。その上で、同事件は日本の「侵略戦争」だったと認定する。
 「明らかに日本軍が慎重な準備の後に企てたものであり、その意図は、日本軍に対抗する敵の軍隊を殲滅することであった。従って、この事件が対立する国境警備隊間の単なる衝突であったという主張は、成り立たない。これらの状況のもとにおいて、本裁判所は、この作戦行動は日本側によって行われた侵略戦争というべきものであると認定する」
 以上のように判決は、日本は対ソ侵略戦争を企図・計画し、その準備を行ったばかりか、実際に遂行したと判定したのである。


ただし、我が国はサンフランシスコ平和条約第11条により、極東国際軍事裁判の諸判決を受け入れています。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/qa/


2 この裁判については様々な議論があることは承知していますが、我が国は、サンフランシスコ平和条約第11条により、極東国際軍事裁判所の裁判を受諾しており、国と国との関係において、この裁判について異議を述べる立場にはないと考えています。



また、その後の日ソ共同宣言においても、ソ連側の日ソ中立条約の一方的破棄を含む「ソ連側の侵略行為」は正否判断無しに、解決済みの問題とされました。

つまり、ソ連による侵略戦争を仕掛けられた側である日本国から、当該行為に対するクレームが出る可能性はないと言っていい状態です。

従って、国際社会が「ソ連が日本国に対して仕掛けた侵略戦争」それ自体を問題にする理由がありません。

それだけの話です。

ただし、ソ連自身はサンフランシスコ平和条約を批准することなく、これを不当な条約であるとして、一貫して否認する道を、あえて選びました。

故に北方領土問題は未解決のまま残り、国際社会がソ連の後継国であるロシアの「北方領土」に対する領有権を認めないという事態になっているわけです。

このことは、あえて言いますが

「政治的には」国後、択捉は、我が国がサンフランシスコ平和条約で放棄した「千島列島」に含まれていないことの傍証とも言えるでしょう。

いったん、ここまでにしておきますが、必要により追記する、または新しい記事を投稿するなどにより

もう少し、今回引用したYahoo!知恵袋の「質問」を見ていこうと思っています。

追記

私自身は極東国際軍事裁判の判決文そのものを読んでいますが、「ソ連に対する日本の侵略」についての抜粋をネットで紹介したものを昨日の時点では見つけることができませんでした。

今朝見つかったので、ここに引用しておきます。

http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/HoppouShiryou/1948Toukyousaiban.htm

(一部引用)

三、ソ連に対する侵略

中立条約

ソビエト連邦に対するドイツの攻撃
 前に述べたように、一九三一年と一九三三年に、日本はソビエト連邦から中立条約の締結を求められたが、それを拒絶した。一九四一年までには、ドイツとイタリアを除いて、日本はほとんどすべての国との友好関係を失っていた。国際情勢が非常に変化していたので、日本は十年前に拒絶したことを今度は喜んで行なう気になった。しかし、この気乗りは、何もソビエト連邦に対する日本の態度の変化を示すものではなく、この国に対する日本の領土獲得の企図が減じたことを示すものでもない。
 一九四一年四月十三日に、すなわちドイツのソビエト連邦に対する攻撃の少し前、日本はソビエト連邦との中立条約に調印した。この条約は、次のことを規定した。
   第一条
『両締約国は両国間に平和及友好の関係を維持し、且相互に他方締約国の領土の保全及び不可侵を尊重すべきことを約す』
   第二条
『締約国の一方が一又は二以上の第三国よりの軍事行動の対象となる場合には、他方締約国は該紛争の全期間中中立を守るべし。』

 日本政府は、その当時に、防共協定と三国同盟とによって、ドイツに対する約束があったので、この条約に調印するにあたってはその立場が曖昧なものであった。日本政府が中立条約に調印した行為は、さらに一層曖昧なものであった。この政府が調印したときに、それはソビエト連邦に対するドイツの攻撃が切迫していたことを予期するあらゆる理由をもっていたからである。
 すでに一九四一年二月二十三日に、リッベントロップは大島に対して、ヒットラーは冬の間にいくつかの新しい部隊を編制したこと、その結果として、第一流の攻撃師団百八十六箇を含めて、ドイツは二百四十箇師団をもつことになろうと告げた。リッベントロップは、さらに『独ソ戦』の見透しについて詳しく述べ、これは『結局ドイツの偉大なる成功に終り、ソビエト政権の終焉を意味するであろう』といった。
 ソビエト連邦に対するドイツの来るべき攻撃は、一九四一年三月に、ドイツの指導者-ヒットラーとリッベントロップと日本の外務大臣松岡との会談において、さらに一層具体的に論ぜられた。
 一九四一年三月二十七日の松岡との会談で、リッベントロップは松岡に対して、『東部のドイツ軍はいつでも使用することができる。万一ロシアがいつかドイツに対して脅迫と解釈される態度をとるならば、総統はロシアを粉砕するであろう。ロシアとのこのような戦いは、ドイツ軍の完全な勝利と、ロシアの軍隊とロシアの国家との絶対的破壊で終るであろう、とドイツでは誰でも確信している。総統は、ソビエト連邦に対して進撃した場合には、数カ月後には、ロシアは大国としてはもはや存在しなくなるであろうと確信している』と述べた。
 同じ日に、ヒットラーは松岡に同じ趣旨のことを話した。すなわち、大島、オット、リッベントロップの列席している所で、ドイツはソビエト連邦とある条約を締結したが、それよりも一層重要なことは、ソビエト連邦に対して、自己の防衛のために、ドイツは百六十箇ないし百八十箇の師団を使用し得るという事実であるとヒットラーは述べた。リッベントロップは、一九四一年三月二十九日の松岡との会談で、ドイツ軍の大部分はドイツ国の東部国境に集結されていると述べ、ひとたびソビエト連邦との戦争が発生すれぱ、この国は三、四カ月以内に席捲されてしまうという確信を再び表明した。その会談において、リッベントロップは、また次のように述べた。『・・・ロシアとの紛争は、どうしても起り得ることである。いずれにしても、松岡は帰国の上、日本の天皇に対して、ロシアとドイツとの間の紛争は起り得ないと報告することはできないであろう。それどころか、事態は、このような紛争が起りそうだとまではいかないにしても、起ることがあり得ると考えなければならないものである』と。
 これに答えて、松岡はかれに、『日本は常に忠実な同盟国であって、共同の努力に対して、単によい加減のやり方ではなく、すべてを捧げるであろう』と保証した。
 モスクワで中立条約に調印した後、帰国して間もなく、松岡は東京駐在ドイツ大使オットに対して、『ドイツとロシアとの衝突の場合には、日本の総理大臣や外務大臣は、だれであっても、日本を中立にしておくことはとうていできないであろう。この場合に、日本は必然的にドイツ側に立って、ロシアを攻撃しないわけには行かなくなるであろう。中立条約があったところで、これは変えられない』と述べた。
 大島は、一九四一年五月二十日の松岡あての電報で、ワイツゼッカーがかれに対して、『松岡外相が、もし独ソ開戦せば、日本はソ連邦を攻撃すべきことをオットに述べられたることは、ドイツ政府はこれを重要視しあり』といったと報告した。
 中立条約を調印する際に、日本政府がとった不誠実な政策は、この条約の調印のための交渉と同時に、ドイツとの間に、一九四一年十一月二十六日に満了することになっていた防共協定を延長するための交渉が行なわれていたという事実によって確認される。防共協定は、ドイツとソビエト連邦との間の戦争が起ってから、一九四一年十一月二十六日に、さらに五カ年間延長された。
 ソビエト連邦と中立条約とに対する日本の政策は、一九四一年六月二十五日、ドイツがロシアを攻撃してから三日後に、スメタニンが松岡と行なった会談によって示されている。日本駐在のソビエト大使スメタニンによって、日本は一九四一年四月十三日のソビエト連邦と日本との間の中立条約に従って中立を維持するかどうかと聞かれたときに、松岡は卒直な回答を避けた。しかし、三国同盟は日本の対外政策の基礎であり、もし今次の戦争と中立条約がこの基礎及び三国同盟と矛盾するならば、中立条約は『効力を失なうであろう』ということを力説した。スメタニンとの会談について、松岡が悪質な批評を行なったことに関するドイツ大使の報告については、すでに前に述べた。一九四一年六月、ソビエト連邦に対するドイツの攻撃の少し前に、梅津はウーラッハ公爵との会談において、『日ソ中立条約を目下のところ歓迎している。しかし、三国同盟は日本の外交政策の不変の基本をなしているから、中立条約に対する日本の態度も、従来の独ソの関係が変更を受けるようになれば、直ちに変更しなければならない』と述べた。
 日本はソビエト連邦と中立条約を締結することに誠意をもっていなかったが、ドイツとの協定がいっそう有利であると考えたから、ソビエト連邦に対する攻撃の計画を容易にするために、中立条約に調印したように見受けられる。ソビエト連邦に対する日本政府の態度についてのこの見解は、一九四一年七月十五日に、東京のドイツ大使がベルリンあての電報の中で報告した見解と合致する。ドイツとソビエト連邦の戦争における日本の『中立』は、ソビエト連邦に対して日本自身が攻撃を行なうまでの間、ドイツに与え得る援助に対する煙幕として、実際に役立ったのであり、またその役に立つために企図されたようであった。本裁判所に提出され.た証拠は、日本がソビエト連邦との条約に従って中立であったどころか、その反対に、ドイツに対して実質的な援助を与えたということを示している。

ドイツに対する日本の一般的軍事援助
 日本は満洲で大規模な軍事的準備を行ない、また同地に大軍を集結し、それによって東方のソビエト陸軍の相当な兵力を牽制した。この事がなかったならば、この兵力は西方でドイツに対して用いることができたであろう。これらの軍事的準備は、ドイツと日本の政府によって、右のような意味のものと見倣されていた。駐日ドイツ大使は、一九四一年七月三日に、ベルリンあての電報で、『なかんずく、右の目的の実現を目途とするとともに、ドイツとの戦いにおいて、ソビエト・ロシアを極東において牽制する目的をもって軍備を増強することは、日本政府が終始念頭に置いているところである』と報告した。
 同様にリッベントロップは一九四二年五月十五日に、東京あての電報で、ソビエト連邦に対する奇襲攻撃の成功は、三国同盟諸国に有利に戦争を進ませるのに非常に重要であろうということを指摘したが、同時に、前に述べておいたように、『ロシアは、どんな場合でも、日本とロシアとの衝突を予期して、東部シベリアに兵力を維持しなければならないから』、ソビエトに対する戦争におけるドイツヘの積極的援助として、日本の『中立』の重要性を強調した。

日本、ソビエト連邦に関する軍事的情報をドイツに提供
 日本がソピエト連邦に関する軍事的情報をドイツに提供した証拠は、リッベントロップから東京のドイツ大使にあてた一九四一年七月十日の電報に含まれている。この中で、リッベントロップは、『モスクワの日本大使の電報を回送したことに対して、この機会に、日本の外務大臣に礼を述べられたい。われわれがこの方法で定期的にロシアからの報告を受けることができれば、仕合わせである』と書いた。
 日本の軍事機関と外交機関から得たソビエト連邦に関する経済上、政治上、軍事上の情報を、日本がドイツに提供していたことを証明する証拠が提出された。一九四一年十月から一九四三年八月まで、参謀本部のロシア課長をしていた松村少将は、参謀本部の命令に従って、参謀本部の第六(ドイツ)課に対して、東京のドイツ陸軍武官クレッチマー大佐のために、極東におけるソビエト軍ソビエト連邦の戦争能力、ソビエト部隊の東方から西方への移動、ソビエト部隊の国内における移動に関する情報を、組織的に提供したと証言した。、
 前に東京のドイツ大使館付武官補佐官であったフォン・ペテルスドルフは、日本の参謀本部から、ソビエト陸軍、特に極東軍に関する秘密情報軍隊の配置、その兵力、予備軍について、ヨーロッパ戦線に対するソビエト軍隊の移動について、ソピエト連邦の軍需産業などについての詳細な情報を組織的に入手したと証言した。フォン・ペテルスドルフは、かれが日本の参謀本部から受取った情報は、その範囲と性質において、陸軍武官が普通の経路を通じて通常受取る情報とは異っていたと述べた。

ソビエトの船舶に対する日本の妨害
 日本に中立の義務があるにもかかわらず、極東におけるソビエト船舶の航行に対する日本の妨害によって、ソビエトの戦争努力は大きな障害を受けたということを検察側は主張し、そのことを示す証拠を提出した。わけても、一九四一年に、香港で、ソビエト船舶として明白な標識をつけたところの、碇泊中の数隻の船舶が砲撃され、一隻が撃沈されたこと、同じ月に、ソビエト船舶が日本の飛行機からの爆弾によって撃沈されたこと、多数のソビエト船舶が日本海軍艦船によって不法に停船させられ、日本の港湾に護送され、ときには、長期間そこに抑留されたことの証拠があった。最後に、日本は津軽海峡を閉鎖し、ソビエトの船舶がソビエト極東沿岸に行くのに、もっと不便な、もっと危険な他の航路をとらなければならないようにしたと非難された。これらの行為は、すべて中立条約に基く義務を無視して、また日本がソビエト連邦に対して行なおうと企てていた戦争の間接的な準備として、ソビエト連邦をドイツとの戦争で妨害するために行なわれたのであると主張された。
 中立条約が誠意なく結ばれたものであり、またソビエト連邦に対する日本の侵略的な企図を進める手段として結ばれたものであることは、今や確実に立証されるに至った。

(以下略)