Shpfiveのgooブログ

主にネットでの過去投稿をまとめたものです

Yahoo!知恵袋で見かけたトンデモ議論(24) 「南京事件」いわゆる「百人斬り競争」における「正直」とは何か その3

2019-06-08 22:41:31 | 政治・社会問題
さらに続きです。

実のところ、私自身は

野田、向井両少尉が「百人斬り競争」を本当に行ったかどうか?

それとも

実際には捕虜の据えもの斬りや民間人殺害などの「殺人ゲーム」に興じていただけなのを、取材に来た浅海記者に面白おかしく伝えたのか?

は、大胆に言ってしまうと、どうでもいいことだと思っています。

問題の本質は、両少尉が、たまたま新聞記事に乗るなどして目立ってしまったばっかりに、言わば「南京大虐殺」の象徴に祭り上げられてしまったことだと思っています。


そもそも「南京大虐殺」というのは、なぜ起こったんでしょうか?

それは、当時の「日本軍の体質」にこそ問題があったからであり

特定の個人に「責任」を押し付けて問題解決などなるわけではないということは、あらためて考えてみる必要があることだと思うんです。

あらためて、こちらの回答から引用してみましょう。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14208305359


向井・野田両少尉が不法殺害に手を染めていたかどうかはわかりません。しかし南京市を覆ったあの時の異空間の影響からは逃れられなかったでしょう。ましていわくつきの中島今朝吾の第16師団に所属していたのですからなおさらです。ある程度は不法な処断に手を染めたと思えます。(据え物斬りでない限り、数十人は斬れないからです。)

ですがこの両少尉なみの行為を摘発し、死刑にしていたら参加日本兵が万単位で罪に復さねばなりません。よって両少尉は不幸な生贄であり、人身御供に他ないのですが、誰かが代表して罪を得ねば、事は収まらないのだとしたら、両少尉の刑死は順当、不幸な巡りあわせであるけれど、誰か二人を選ぶのだとしたら、結果はこうなるものだと思えます。


たまたま有名にならなかっただけで、当時の南京占領を行った日本軍には無数の「両少尉と同じような行動に走った軍人」がいたのは明らかです。


では、当時の日本軍というのは、そのような悪鬼羅刹の集まりだったのでしょうか?

いいえ、その多くは私たちと同じような普通の人たちが、軍により召集され、たまたま南京で暴行を働くことになったわけです。

そもそも、(野田、向井両少尉も恐らくそうですけど)戦場という現場にいる兵士たちは、いちいち国際法がどうたらなどという「解釈」など、普通はしません。

「敵だから殺す」

それだけの話であり、それが結果として「戦争犯罪」にまで至るのであれば、それは普通に考えて「管理者の責任」です。

仮に野田、向井両少尉が暴走したというなら、それは、そのような事態を引き起こした「管理者」も十分責任が問われてしかるべきでしょう。

問題の本質は、当時の日本軍における「管理者責任」とはどのようなものであったのか?

ここにあると考えます。

が、続きは別稿にあらためさせてください。

Yahoo!知恵袋で見かけたトンデモ議論(24) 「南京事件」いわゆる「百人斬り競争」における「正直」とは何か その2

2019-06-02 21:09:24 | 政治・社会問題
こちらの続きです。

あらためて、元の「質問」文から抜粋しましょう。

事実であった場合、

新聞社
記者
野田、向井、

全員が正直者になります

しかし、否定した場合

1、新聞社が捏造したのは何故?
2、記者が捏造したのは何故?
3、野田、向井、が捏造を日本全国に吹聴して回ったのは何故?

全員、嘘つきで、
難解な出来事になります

特に野田は死刑執行直前に犯行を否定する遺書を残しますが、
それまで日本国内で百人斬りを自慢し吹聴して回っていた事が決定的な証拠になりました


さて、では

事実であった場合、

新聞社
記者
野田、向井、

全員が正直者になります


これは本当のことなのかについて考えてみましょう。

まず、野田、向井両少尉は「百人斬り」競争の取材にあたった浅海記者に対して、どのように語ったのでしょうか?

それを確認する手がかりとして、実際に発表された新聞記事を確認するのが、やはり基本ではないかと思います。

ここでは第1報である1937年11月30日付東京日々新聞朝刊を取り上げることとします。
(なお、「百人斬り」については通常はこの記事が取り上げられますが、実際に浅海記者が書いたオリジナルに近いのは昭和12年12月1日付大阪毎日新聞夕刊 であると思われます。理由については引用URLをご参照ください)
http://www.nextftp.com/tarari/textkaiseki.htm


(見出し)百人斬り競争! 両少尉、早くも八十人
(本文)【常州にて廿九日浅海、光本、安田特派員発】 常熟、無錫間の四十キロを六日間で踏破した○○部隊の快速はこれと同一の距離の無錫、常州間をたつた三日間で突破した、まさに神速、快進撃、その第一線に 立つ片桐部隊に「百人斬り競争」を企てた二名の青年将校がある、無錫出発後早くも一人は五十六人斬り、一人は廿五人斬りを果たしたといふ、一人は富山部隊 向井敏明少尉(二六)=山口県玖珂郡神代村出身=一人は同じ部隊野田毅少尉(二五)=鹿児島県肝属郡田代村出身=銃剣道三段の向井少尉が腰の一刀「関の孫六」を撫でれば野田少尉は無銘ながら先祖伝来の宝刀を語る。
無錫進発後向井少尉は鉄道路線廿六、七キロの線を大移動しつつ前進、野田少尉は 鉄道線路に沿うて前進することになり一旦二人は別れ、出発の翌朝野田少尉は無錫無錫を距る八キロの無名で敵トーチカに突進し四名の敵を斬つて先陣の名 乗りをあげこれを聞いた向井少尉は奮然起つてその夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を斬り伏せた 。
その後野田少尉は横林鎮で九名、威関鎮で六名、廿九日常州駅で六名、合計廿五名を斬り、向井少尉はその後常州駅付近で四名斬り記者等が駅に行つた時この二人が駅頭で会見してゐる光景にぶつかつた。
向井少尉 この分だと南京どころか丹陽で俺の方が百人くらゐ斬ることになるだらう、野田の敗けだ、俺の刀は五十六人斬つて歯こぼれがたつた一つしかないぞ。
野田少尉 僕等は二人共逃げるのは斬らないことにしてゐます、僕は○官をやつてゐるので成績があがらないが丹陽までには大記録にしてみせるぞ。

つまり野田、向井両少尉の「主観」としては

僕等は二人共逃げるのは斬らないことにしてゐます

ということであり、この言葉が「正直」なものであり、額面通りだというなら

両少尉は

捕虜、民間人などの虐殺には手を染めなかった

あくまでも向かってくる敵に対する戦闘行為として「百人斬り競争」を行った

ということになるはずです。
(念のためですけど、私がそう思っているという意味ではありません)

それであるなら「戦争犯罪」は構成しません。

さて、では

中華民国側の「確定判決」である「南京軍事法廷」の判決文より抜粋しましょう。
http://yu77799.g1.xrea.com/gunjihoutei.html


日本軍は殺人をゲームや娯楽にしていたのであり、それは被告本国の『東京朝日新聞』に掲載されている(京字一〇号証拠書類の二八四・二八五ページを見られたい) 。 虐殺の写真および虐殺都市の映画はともに日本軍が撮影したものであり、それによって武勲を誇示しようとしたのである。

念のためですけど、百人斬りを取り上げた本多勝一氏の、後の名誉毀損裁判における主張も
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%BA%BA%E6%96%AC%E3%82%8A%E7%AB%B6%E4%BA%89

宮本武蔵や佐々木小次郎でもない一般人が百人も戦闘で斬れるはずがない。実際には両少尉は捕虜や農民を斬ったのであり、それを新聞記者にぼかして伝えたのだ。

というものです。

つまり

野田、向井両少尉が浅海記者に語ったとされる「新聞記事の内容」が「正直」なものだとすれば、少なくとも「戦争犯罪」は構成しないものと考えられます。


もっとも

僕等は二人共逃げるのは斬らないことにしてゐます


という「逃げない敵」が、捕虜になったあと、身動きの取れない状態にされ、まさに「据えもの斬り」を待つばかりだった中国人兵士を含まないとするなら、話は多少違って来ますけど

あくまでも参考であることをお断りしておきます。

http://www.nextftp.com/tarari/hora.htm


仮にそうであったとしても、一般的常識で考えた時、これを「正直な話」とは言わないでしょう。

特に野田は死刑執行直前に犯行を否定する遺書を残しますが、
それまで日本国内で百人斬りを自慢し吹聴して回っていた事が決定的な証拠になりました


これについても

野田少尉は、自分のしたことが「戦争犯罪」であるという自覚を持っていなかったからこそ、そのようなことが出来たということになるのでしょう。

参考までに野田少尉の遺書を引用します。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%94%B0%E6%AF%85_(%E9%99%B8%E8%BB%8D%E8%BB%8D%E4%BA%BA)


此の度中国法廷各位、弁護士、国防部各位、蒋主席の方々を煩はしましたる事に就き厚く御礼申し上げます。
 只俘虜、非戦闘員の虐殺、南京事件の罪名は絶対にお受け出来ません。お断り致します。死を賜はりましたる事に就ては天なりと観じ命なりと諦めて、日本男児の最後の如何なるものであるかをお見せ致します。
 今後は我々を最後として我々の生命を以つて残余の戦犯嫌疑者の公正なる裁判に代へられん事をお願ひ致します。
 宣伝や政策的意味を以って死刑を判決したり、面目を以て感情的に判決したり、或は抗戦八年の恨みをはらさんがため、一方的裁判をしたりされない様に祈願致します。
 我々は死刑を執行されて雨花台に散りましても貴国を怨むものではありません。我々の死が中国と日本の楔となり、両国の提携の基礎となり、東洋平和の人柱となり、ひいては世界平和が到来する事を喜ぶものであります。何卒我々の死を犬死、徒死たらしめない様に、それだけを祈願致します。
 中国万歳
 日本万歳
 天皇陛下万歳

 野田毅


野田少尉が認めるのを拒絶しているのは

只俘虜、非戦闘員の虐殺、南京事件の罪名


であることがわかります。

この野田少尉の発言が「正直」なものであった場合、つまり

あくまでも向かってくる敵に対する戦闘行為として「百人斬り競争」を行った


場合、これは「戦争犯罪」には該当しない、単なる武勇伝ということになります。

是非は別として

問題の本質はご理解いただけたでしょうか?